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梅棹忠夫『東南アジア紀行(上)』(21)

8月10日(土)晴れ、暑し。

 1957年11月から1958年3月にかけて、梅棹忠夫(1920‐2010)は、大阪市立大学から派遣された学術調査隊の隊長として、タイ、カンボジア、ベトナム、ラオスを歴訪した。これはその東南アジア旅行の経験を記した私的な記録である。これまで
第1章 バンコクの目ざめ
第2章 チュラーロンコーン大学
第3章 太平洋学術会議
第4章 アンコール・ワットの死と生
第5章 熱帯のクリスマス
第6章 謙虚に学ぶべし
第7章 ゆううつよ、さようなら
第8章 最高峰にのぼる
の各章を読んできた。今回から第9章「類人猿探検隊」に入る。
 1957年12月末にタイ北部のチェンマイに到着した調査隊は、翌年1月にタイの最高峰であるドーイ・インタノンにのぼる。下山後、一行は新しい取り組みを始める。

第9章 類人猿探検隊
 ディマス神父
 バンコクのフランス大使館でもらった紹介状をもって、梅棹はチェンマイのカトリック教会を訪ね、この町の西にそびえているドーイ・ステープ(山)の裏山にいるというメオ族の部落への手引きを依頼した。
 教会側は調査隊の願いを快く引き受けて、ディマス神父というかなりの年配のスペイン人神父を同行させてくれた。
 メオ族(中国では苗族)は、アヘンの密栽培者であり、いちおう政府の許可を得て栽培しているのだが、実際には許可されたよりもはるかに広大な面積にケシを作っている。そのため、外部の人間に警戒的だが、カトリック教会の人たちだけは、彼らの部落に接近する程度までに彼らの信頼を勝ち得ているのである。

 1月14日、一行は教会によってディマス神父と合流、ドーイ・ステープへの登山を開始した。あごひげをはやしたディマス神父は、キャラバン・シューズに小さなルックサック、それにベレー帽と登山姿である。「南ヨーロッパ人らしく、陽気で、気さくな人だ。」(227ページ)

 山の上まで車で行き、了解を取り付けていた山上の別荘の1つに荷物をおいて、一行は山道を歩き出した。ところが、通訳として同行してきた葉山陽一郎が猛烈な腹痛を訴えて登山できないと言い出す。やむなく彼にチェンマイに戻ってもらうことにしたが、このため通訳がいなくなってしまった。ディマス神父は英語はできない。タイ語、中国語、フランス語とスペイン語しかわからない(これだけ分かればたいしたものである!) やむを得ず、梅棹が大学時代に学んだフランス語で何とか話を通すことになった。梅棹のフランス語は、彼が旧制高校時代に三高(当時)と京都大学近くの日仏学館に通って「どちらかというと耳と口とで覚えたものだったから、ディマス神父がゆっくりしゃべるのを聞いているうちに、しだいに記憶がよみがえってきた。まあ、なんとかなるだろう。」(228ページ)

 この経験については梅棹の『実戦・世界言語紀行』(岩波新書、1992)にも触れられている。梅棹は旧制高校で理科甲類(英語が第一外国語)のクラスであり、おそらく第二外国語はドイツ語だった。それで、わざわざフランス語を習いに出かけたのである。なお、以前に書いたことがあるが、わたしも日仏学館にフランス語を習いに出かけたことがあって、その点においては梅棹の後輩ということになる。梅棹が旧制高校時代に学んだフランス語が初めて役に立ったのは、タイにおいてだったのであるが、そういえば私も、タイでフランス人の観光団にあったので、ボン・ジュールと挨拶をして、挨拶を返してもらったことがある。

 メオ族の移動
「常緑広葉樹林のなかの細い道をのぼった。道ばたに大きなシロアリの塔がいくつも立っていた。歩いているあいだは、暑くて汗びっしょりだが、休むと、さわやかな山の空気が流れてきた。」(同上) はるかにドーイ・インタノンが見える。
 4時間ほど歩いてメオ族の村に到着する。「急な斜面の木を切りはらって、そのまんなかたりに、10戸あまりの枯葉色の小屋が、斜面にしがみつくように建っていた。それは、なにかひどく無残なものを感じさせる風景だった。それは、新しい開拓地にときとして見られる種類の無残さである。破壊と、むき出しの生存だけがあって、生活の美的秩序がまるで欠けているのである。」(229ページ)

 ディマス神父によると、この村ができたのはつい数年前のことだという。メオ族の本拠は、中国の貴州省の山岳地帯だといわれている。そこから雲南、広西、北ベトナム、ラオス、そしてタイまで広がってきた。「インドシナ半島は、昔から民族移動のはげしいところである。メオは、そのなかでもっとも新しい移住者なのである。」(同上)
 インドシナ半島へのメオの移住は19世紀にはいってからのことであるが、概して平和裏に行われた。しかし太平天国の余波であった1860年代における移住は、先住のタイ族、ヤオ族との間に血なまぐさい闘争を巻き起こしたといわれる。
 ディマス神父の語るところでは、この辺りのメオ族は中国の新政権の誕生に伴って移動してきたものであるという。ディマス神父自身も戦前は中国にいて、山岳民の布教に従事していたのが、戦後はタイに移り、タイ北部の山岳地帯にやって来て、再びメオ族に出会ったというわけである。

 山中の武器製造所
 村のなかは人影が少なかったが、長老格らしい老人に、ディマス神父が中国語で話しかける(フランス語ほどではないが、梅棹は中国語も多少は理解した。中国語学習についても『実戦・世界言語紀行』のなかで触れられている)。老人は、梅棹一行のことを気にしていて、「日本人か」と質問したが、神父は否定した。日本人とは名乗らない方がいいというのが神父の意見である。戦争中、多くのメオ族が対日ゲリラに動員されたという経緯がある。老人は神父のことばにも関わらず、真相を察したようであったが、おそらくは神父のお客だということで、そのまま黙認した様子であった。

 村の家には小屋が付属していて、中に炉とふいごがあって、かじ屋の仕事場のように見えた。ディマス神父の説明では、彼らは下界から鉄材を買ってきて、ここで鉄砲を作っているのだという。鉄砲はかつてはレジスタンスのための武器であったが、現在は彼らの自衛の武器であり、また他の山岳諸民族に売って彼らの収入源にもなっているのである。

 一行は村のまんなかの広場に到着したが、小川隊員だけがいない。ドーイ・インタノン下山時につづいて2度目の行方不明である。30分ほどして小川が数人のメオ族の男たちに囲まれて村に戻ってきた。男たちは鉄砲をもっている。彼は焼き畑の様子を見ようと、山むこうの畑に出かけた。そこはもちろん、アヘン作りのためのケシ畑である。気がついた時には数人の武装した男に囲まれていたという。発砲されなくて幸いであった。

 山から続々とメオが帰ってきた。男たちは武装し、あるものは馬に乗っていたが、乗馬は巧であった。女たちは背に大きなかごを背負っていたが、カレンと違って、肩にかける背負い方をしていた。「男たちは、黒いズボンをつけ、女は色のししゅうのある、ひだの多いスカートをつけていた。そして、きゃはんをつけている。男はたいてい中折帽だが、子どもたちは中国ふうのお椀帽で、上にまんまるい赤の房がついている。女たちは帽子もターバンもかぶらず、くし巻きふうのまげである。みんな重たげな銀の首輪をつけている。」(232ページ)

 「すくなくとも男の服装は、あきらかにシナ文化の影響をおもわせる。」(同上)と梅棹は観察している。男の服装以外にもそのように考える材料はある(が、ここでは省略する)。

 アヘン収入のもたらすもの
 村の真ん中に、2軒のアンペラ小屋があって、そのうち1軒は役人が来た時に泊まるものだと説明されていたが、その中にいたのは若い中国人で、アヘンの密売のための集荷をしているのである。
 もう1軒は「店」で、本当に缶詰だの駄菓子だのを売っていて、これまた若い中国人の夫婦が経営していた。一行もこの店で夕食をとった。飯屋でもあるのである。
 驚いたのは、子どもたちが親たちから小遣いをもらって、この店で食事をしていることである。
 「おそろしい崩壊がおこっている。メオの子どもたちは、家庭で一家だんらんのうちに夕食をとるかわりに、店で「てんやもの」をたべてすますのである。」(233ページ) メオの親たちは、夕食どきに子どもに小ぜにをもたせて、「外でご飯をたべといで」と、追いやるのである。・・・メオ族自身は、ケシの栽培はしても、アヘン吸引の悪臭にはそまっていないようである。彼等の肉体は健康だ。しかしアヘンは、ほかのなりわいではとうてい考えられないような多額の現金収入をもたらすのである。その現金収入が、こういう社会的退廃をひきおこしたのにちがいない。これは、わたしにとってショッキングな経験だった。アヘンは消費者の人生を破壊するばかりでなく、こういう形で、生産者の生活をも破壊して行くのである。」(同上)

 現金がだぶついているのは、子どもたちが靴を履き、青年たちは腕時計をはめていることからも明らかである。若い娘たちは化粧をしているが、青年たちまでも化粧している。「これはもう、あきらかに異常である。」(234ページ)

 人民中国の成立の余波で東南アジアに移住してきたメオ族であるが、鉄砲を製造・販売したり、ケシを栽培し、アヘンの密売に関わったり、どうも油断できない存在である。そしてそのメオ族の村の様子に「無残さ」を感じたり、メオ族の子どもたちが夕食を「店屋物」で過ごす様子に彼らの生活の「恐ろしい崩壊」を見たりするところに、単なる観察をこえた梅棹の美意識や価値観の反映を見ることができる。次回も、北タイにおける彼らの実地研究の様子を追いながら、メオ族の問題も少し追いかけてみたいと思う。 
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