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トンマーゾ・カンパネッラ『太陽の都』(11)

8月8日(木/立秋)晴れ、暑し。

 ジェノヴァ人の船乗りが、マルタ騎士団の団員に、世界一周の航海の途中で立ち寄った「太陽の都」の様々な制度と人々の暮らしぶりについて語る。
 「太陽の都」は太平洋上の島の中心部に広がる草原の中に、同心円状に城壁をめぐらして建設された都市で、「太陽」と呼ばれる神官君主によって統治されている。かれは形而上学者であり、軍事を司る「権力」、科学を司る「知識」、生殖・教育・医療を司る「愛」という3人の高官に補佐されている。これらの高官たちを含めて、「太陽の都」の役人たちは、教育を通じて教師たちに能力・適性を見定められて任命された人々ばかりである。都市の中心に立てられている神殿の外壁と、都市の城壁の壁面にはあらゆる情報を授ける壁画が描かれたり、模型が置かれたりして、子どもたちの教育だけでなく、すべての人々の教養の形成に役立っている。
 私有財産はなく、人々は共同生活を行ない、必要な物資は配給され、人々は役人が指定した施設で寝起きする。市民全体が家族として暮らし、生殖は役人たちの指定によって結び付けられた男女の間で行われる。「太陽の都」では仕事を割り当てられることは名誉なことと考えられ、人々は喜んで働くので、奴隷というものは存在しない。

 ジェノヴァ人は、ヨーロッパでは事態は逆だという。ナポリには30万人の住人がいるが、そのうち5万人は働いていない。「働く者たちは、過度の労働のあまり精根を使い果し、怠け者たちは怠惰、貪欲、淫奔、高利のため身を滅ぼしています。」(坂本訳、32-33ページ)
 しかも、問題であるのは、この怠け者たちの方が威張っていることである。「この怠け者たちは多くの人々を召使いとして使ったり、貧乏にしておいたり、あるいは自分たちの悪徳の仲間に入れるなどして駄目にしてしまいます。この結果公務はおろそかにされ、田畑の手入れ、軍務、手工業はなおざりにされたり、いやいやながらおこなわれているに過ぎません。」(坂本訳、33ページ)

 ところが、「太陽の都」では人々すべてが働くので、労働は1日4時間で済み、あとの時間は「楽しく遊んだり、議論したり、本を読んだり、勉強したり、散歩したりして過ごしています。」(同上) 今日の言葉で言えば、ワーク・ライフ・バランスが保たれているというのである(これは、政治家たちの語る言葉だけは美しいけれども、実態としてはかなり過酷な状況にある現代の日本の労働事情を考えると、理想的な社会であるし、夢想にしか過ぎないとも言えそうである)。

 モアの「ユートピア」もすべての人々が働く社会であったし、『太陽の都』と『ユートピア』は他人の勤労に寄生して無為徒食する輩を批判している点では共通している。ただ、『ユートピア』での批判の矛先は、権力者や富豪に寄生している人々に向けられている部分が多いのに対し、『太陽の都』は、あまりはっきりとは書いていないが、権力者や富豪そのものを批判しているところに両者の認識の違いがある。そのことは、次のくだりを見れば明らかである。

 ジェノヴァ人は、「太陽の都」の人々の意見として、「極貧は人間を卑屈に、狡猾に、泥棒に、油断のならない者に、亡命者に、うそつきに、偽証人にしてしまうが、富裕もまた人間を傲慢、高慢、無智、裏切り者、愛情のない者、知ったかぶりなどにしてしまうのです」(同上)と述べる。それに対して、「太陽の都」は共産主義的な社会であるから、金持も、貧乏人もなく、これらの悪徳とは無縁である、このような社会のあり方はキリスト教と一致するという。

 このようなジェノヴァ人の報告に対して、マルタ騎士団員は「太陽の都」の制度は確かに結構なものであるが、婦人の共有という点は納得がいかないと、問題を掘り下げていく。確かに会話においては、男女の別、既婚・未婚の別なく人々は交わるべきであると古代の教父たちも述べている。しかし、寝床をともにするということになると話は別であると彼は言う(この辺りは、現在のイスラム教社会の女性の地位を考えると、より深く理解できる議論であろう)。

 ジェノヴァ人もこの疑問を受け止めて、これは飽くまで現在の彼らのやり方を紹介しているだけで、もし彼らがキリスト教に帰依するようなことになれば、現在の制度をやめて、一夫一妻制をとるようになるかもしれないと語る。「今までの所では、彼らは真の信仰を知らずに、ものごとを自然のままに扱っているので、これ以上自分自身を向上させる可能性はもっていません。」(坂本訳、35ページ) このようにジェノヴァ人に語らせているカンパネッラの真意について、彼自身が「太陽の都」の制度を一つの可能性という風に認識していたのか、それとも理想として考えていたが、そのように断言することを躊躇したのか、意見は分かれるところではないだろうか。
 そして、すべての市民が働くということをめぐり、年老いて意見番の役目を果たすようになった(そのほかに、他人のために役立つ働き方はできなくなった)市民は別として、すべての市民がそれぞれの役割を与えられて働いていることを強調し、生まれつき、あるいは自己のために障害を持つようになった人々も、それぞれに与えられている能力を生かして社会のために役立っているのだと述べる。
 『太陽の都』でカンパネッラが展開しているヨーロッパ社会批判と、「太陽の都」の姿は、『ユートピア』でトマス・モアが展開しているヨーロッパ社会批判と、「ユートピア」の姿と共通する点が多いが、修道士カンパネッラが獄中で書いた『太陽の都』のほうが社会体制に対する憤激が強く、その代わりに、実際の社会の実情を詳しく観察しているとはいいがたいところがあるというのは否定できないところであろう。マルタ騎士団員は今度は「太陽の都」における戦争について質問をする。『ユートピア』と同様に、『太陽の都』における戦争についての記述は、かなりの量に及ぶが、それはまた次回に。
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