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梅棹忠夫『東南アジア紀行(上)』(20)

8月3日(土)晴れ、暑し。

 1957年11月から1958年3月にかけて、梅棹忠夫(1920‐2010)は、大阪市立大学の研究調査隊の隊長として、タイ、カンボジア、ベトナム、ラオスの4カ国を訪問、熱帯における動植物の生態と人々の生活誌の調査を行った。これはその調査旅行の私的な記録である。
 参加したのは霊長類研究の川村俊蔵、植物生態学の小川房人と依田恭二、昆虫学の吉川公雄(医師でもある)、文化人類学の藤岡喜愛である。バンコクに集合した一行は、第9回太平洋学術会議に参加して、研究発表を行い、その後、自動車の運転の練習を兼ねて、カンボジアのアンコール・ワットを訪問した。この旅行から、タイのチュラーロンコーン大学に留学中の葉山陽一郎が通訳として加わった。
 一行が主要な調査を行うのはタイ北部の山間部で、タイ側の協力者としてチュラーロンコーン大学の動物学のクルーム教授の助手のヌパースパットが加わった。12月24日にバンコクを出発、ロッブリー、ナコーン・サワン、ターク、トゥーンを経て、チェンマイに到着した。森林での調査を円滑に行うため、森林局の職員の派遣を要請し、森林官のサイヤンが同行することになった。サイヤンは有能で調査は順調に進むことになる。
 一行はタイの最高峰であるドーイ・インタノンの登頂を試みる。山の標高に応じて、植物、動物、人間の生活の諸類型が垂直的に配列されているのを見極めようというのである。山麓のメー・ホーイの村を出発し、1日の行程でカレン族の集落に出会う。カレン族の集落であるパーモンで、彼らの中から荷物運びを雇い、もはや、ウマやゾウが使えない登山を続行する。

第8章 最高峰に登る(続き)
タイの最高峰
 一行はこれまで登ってきた谷のつまりの鞍部までは比較的楽に達することができた。鞍部は見晴らしがよくて、パーモンの谷を一望することができた。鞍部からは再び、深い森の中に入った。シイ、カシ類を主とする常緑広葉樹林である。樹木の下ばえは少なく、歩きやすい代わりに急傾斜になやまされた。
 このひどい登りのなかで、依田は5人分に相当する仕事をしていた。目についた植物を採集し、温度・湿度を測定し、光度計で林内の受光量を測定する。歩きながらしじゅう写真を撮る。そして登山者として歩く。
 川村は銃を携行しているが、それが役立つようなことはない。鳥も少ない。ほかの隊員はただ歩くだけである。

 「2300メートルあたりから、わたしたちは蘚苔林(モス・フォレスト)に入った。すべてが、コケにおおわれているのである。木の幹から、木の葉の表面にまで、コケが生育している。そして、木の間からもれてくる逆光線をあびて、そのコケが一せいにかがやく。あたりは、金緑色のやわらかな光に包まれる。」(219ページ)
 「熱帯の山の、上の方は、いつも雲がかかっていて、常時湿度が飽和状態に近い。それでこういうものができるのである。」(220ページ) 梅棹は、1941年にポナペ島で同じような蘚苔林を経験している。しかし、そのときとは、規模が違うという。〔映画『南太平洋』はハワイのカウアイ島でロケーション撮影されたそうであるが、映画の中で「バリ・ハイ」として描かれている山の上の方には雲がかかっていたのを思い出す。〕

 「5時、ついに山頂に達した。山頂には、1メートルばかりの高さの石積みがあった。山頂附近は、文字どおり昼なお暗い大森林だった。どっちを向いても、コケを一ぱいくっつけた巨大な木がならんでいるばかりだった。展望は何もなかった。熱帯の山というのは、こういうものだろうか。2600メートルもあるタイの最高峰だというのに。」(同上)

「出たッ!」
 その夜は、山頂近くの小さな高層湿原のまんなかの島がすこし乾いているので、そこに2つのテントを張って、9人の隊員がすし詰めになって寝ることにした。同行したカレンたちは、テントをもっていないので、少し離れた森の中の斜面で、火を焚きながら夜を明かすことになった。

 午前1時ごろ、テントの近くで「ウォーッ」というほえ声が聞こえた。しばらくの間、緊張が続き、ほえ声は7・8回聞こえたが、声の主は姿を現さなかった。それはトラであったかもしれないし、ホエジカであったかもしれない。ドーイ・インタノン山群は野生動物の宝庫であるといわれているが、一行はこれまでほとんどそれらしき動物に出会わなかった。それでも、トラに出てこられるのは御免である。ホエジカなら、テントの近くに来てくれても差支えはなかったと梅棹は書いている。

絶対最低気温
 山頂の夜は、しんしんと冷えた。寝る前から気温は低かったが、夜が更けるにつれてますます気温は下降した。明け方の、午前6時、定時観測において、寒暖計は氷点下3度を示した。
 熱帯育ちのヌパースパットとサイヤンの両人は寒さに耐えきれず、起き出したが、外を見て、「雪だ」と叫んだ。
 雪を見たことのない2人は、地面が霜で真っ白になっているのを雪と勘違いしたのである。雪ではなく霜だと聞かされて2人はがっかりした様子であったが、それでもタイではこれまで霜が降りているのが確認されたことはなかった。ドーイ・インタノンに冬季に登ったのは、この一行が初めてだったのである。

 「氷点下の気温というのは、2人のタイ生まれの隊員にとっては、あきらかに初めての体験であったはずである。タイ国内では、いままでに実測された最低気温は、プラスの0.5度ということになっている。すると、マイナス3度というわれわれの観測値は、科学的に実測されたかぎりでの、タイにおける絶対最低気温の記録となったわけである。」(223ページ)

小川の「遭難」
 下りは急な坂をどんどん降りて行き、汗はかかなかったが、膝ががくがくになった。パーモンのベース・キャンプにたどりつくまで丸1日かかってしまった。
 ベースキャンプにたどりついたのだが、途中、森を抜けたところで、休閑地のカヤの草原の生産力測定をしてから帰ってくるといって一行から分かれた小川がなかなか帰ってこない。道はわかっているから、帰ってこられるはずなのに帰ってこないので、心配になって、サイヤン、依田、川村、葉山が見に行くことになった。暗闇の中に明かりが見えて、小川の居場所が分かった。完全な暗闇になったために、道がわからなくなって、火をおこして野営しようとしていたところだったという。何も起こらず、無事帰ることができたのは幸いだったが、その間、スイギュウの群れがこちらの様子をうかがっているのに出会ったのは恐ろしい経験だったそうである。

 翌朝、カレン族たちに金を払い、また荷物をウマに積んで、パーモンを去り、その日は、ソップ・エップで泊った。そしてまた1日を費やして、ジープの置いてあるメー・ホーイの村に帰りついた。結局、ドーイ・インタノン登山にまる8日をかけたことになった。

 こうして、最後で「事件」が起きたとはいえ、どうやらタイの最高峰ドーイ・インタノン登山を終え、この書物の第8章も終わることになる。次回からは、第9章「類人猿探検隊」に入る。まだ研究調査はロケハンの段階で、隊員が腰を落ち着けて研究する場所を探さなければならない。まず、サルの研究家である川村の研究場所を探すための移動が続く。また第9章ではビルマ(ミャンマー)から越境してきたカレン族とは別の山地民である、中国からやって来たメオ族との遭遇も描かれる。
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