瀬川拓郎『アイヌの沈黙交易―奇習をめぐる北東アジアと日本―

7月29日(月)雨が降ったりやんだり

 瀬川拓郎『アイヌの沈黙交易―奇習をめぐる北東アジアと日本―』(新典社新書)を読み終える。僅か127ページという書物であるが、7月6日に買って、途中ほったらかしにしていたとはいうものの、読み終えるのに20日以上もかかった。

 「アイヌ史の謎のひとつに、近世の千島アイヌが行っていた奇妙な習俗、沈黙交易があります」(5ページ)とこの書物は書き起こされている。千島アイヌは北海道本島のアイヌと直接接触することなく物々交換を行っていた。その間、両者が言葉を交わすことはなかったという。

 もともと千島アイヌと北海道本島のアイヌとは言語・文化の点で大きく異なることのない人々であった。それなのに沈黙交易が行われたのはなぜか、それはアイヌ社会の古い風習の名残なのか、それとも千島アイヌが本島のアイヌから別れたことにより生じた新しい習俗であったのか、もし後者であったとすればその成立の理由は何であったのか、これらの問題は以前から気付かれてきたが、本格的に取り組む研究はなかったと瀬川さんは述べている。

 沈黙交易については古代ギリシアの歴史家ヘロドトスの記述以来多くの事例が報告され、ポランニーや栗本慎一郎のように人類の交易進化の過程における一段階として評価する学者もいる。しかし沈黙交易についての資料は聞き書きばかりで、実証的に裏付ける資料はきわめて乏しいとして懐疑的な研究者も少なくない。千島アイヌの沈黙交易についてもその習俗を記す資料はきわめて少ないという。

 瀬川さんはまず、沈黙交易が千島アイヌに限られず、古くはアイヌが北方の異民族と行っていた習俗であったことが日本だけでなく中国の資料によっても確認できるという。その中で一般的に異文化間の交易方法と理解されている沈黙交易を同族間で行っていた千島アイヌの事例はどのように説明されうるのか。瀬川さんはこれを千島アイヌの抱いていた天然痘の伝染への恐怖(疱瘡神への恐怖という宗教的な外皮を被る)のためと考えている。

 その一方でアイヌの精神文化に及ぼした日本の影響の強さについても注目している。「アイヌのケガレ祓いの呪術や疱瘡神の信仰にも日本の影響が色濃くうかがえるのです。/アイヌ社会においては7~9世紀に日本の古神道の影響が、10世紀以降は陰陽道や修験道、また中世以降は民間信仰の影響が強くおよび、アイヌの祭儀や呪術の体系をかたちづくっていったのではないか」(11ページ)と論じる。

 だとすれば、アイヌ文化は周縁化した日本文化にすぎないのであろうか。瀬川さんはそうは考えていない。日本からの影響と思われる部分を取り除いていった先にアイヌの固有思想が見えてくるはずだという。

 沈黙交易という経済人類学に属する問題を精神文化に着目しながら論じていくという手法に多少の無理があり、沈黙交易よりもアイヌの宗教儀礼の方にともすると関心が偏っているように思われるが、瀬川さんは文献資料と考古学的な発見をもとに、本州、北海道、千島、サハリン、大陸の経済・文化の交流の歴史を再現し、問題の本質に迫ろうとしている。エミシを東北北部に移住してきた古墳人の末裔と考えたり、オホーツク人とアイヌの対立を強調する一方で千島アイヌにはオホーツク人の影響が見られるとしたりする知見は注目すべきものである。「アイヌの宗教や儀礼の形成については、多面的に検討されていく必要がありそうです」(110ページ)と瀬川さんは書いているが、この方向に沿った今後の努力とその成果が期待される。
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