ある海辺の詩人――小さなヴェニスで――

7月19日(金)晴れ

 横浜シネマ・ベティで『ある海辺の詩人――小さなヴェニスで――』を見る。7月16日に見た『海と大陸』と同様にイタリアにおける移住者の問題を漁師たちとのかかわりで取り上げているが、『海と大陸』が南部を舞台にしているのに対し、こちらは北部が舞台になっており、『海と大陸』がアフリカからの移住者を題材にしているのに対し、こちらは中国からの移住者が題材とされており、共通する面と対照的な面とがあっていろいろ考えさせられた。

 「小さなヴェニス」と呼ばれる北イタリアの港町キオッジャ。衣類を縫製する工場で働いていたシャンリーは移住者たちの仕事を取り仕切っているボスの命令でこの町の酒場で働くことになる。彼女は中国の福州の出身で古代の詩人屈原を祭ることを忘れない。店の客たちの中で詩人と呼ばれている漁師と次第に親しくなるが、周囲は2人の中をさまざまに取りざたする。イタリア人は財産目当ての中国人の陰謀だと噂し、中国人は摩擦が起きることを恐れる。

 この作品はNHKまいにちイタリア語の応用編(4月~6月)「スクリーンが映し出すイタリアの現在」の6月放送分で取り上げられた。番組の講師であった岡本太郎さんはこの作品の字幕の担当者でもある。岡本さんによると原題の“Io sono Li"は「わたしはリーです」という意味と、「私はここにいます」という意味が掛け合わされているという。好むと好まざるとにかかわらず、世界のグローバル化に伴う移住者の増加は現実の問題である。その現実に、人々の意識はなかなか追いつかない。

 登場する中国人たちが相対的に若いのに対し、イタリア人たちは年老いている。若者たちはどこへ行ってしまったのかと思われるほど、街は活気を失っている。そういうキオッジャの町と海の情景が灰色を基調とする画面に美しくとらえられているのが印象的である。雨と霧が風景をぼんやりとしたものに変えているが、それが効果を上げているようにも思われる。その中でシャンリーが赤い傘をさしたり、灯篭?を流したりしているのが画面の調和を乱しているようにも感じられる。

 『海と大陸』が将来の展望を示さない結末ながら、若者のエネルギーを示していたのに対し、『ある海辺の詩人』はシャンリーの将来の展望が見えるようでいて、港町の閉塞感の方が前面に出ているのはどういうことか。さらにまたストーリーよりも映画が捕えている風景の方がどうも気になる作品だと思ってしまうのは私だけのことであろうか。
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