台湾アイデンティティー

7月11日(木)晴れ、暑し

 7月9日(火)ポレポレ東中野で酒井充子監督作品『台湾アイデンティティー』を見る。

 アイデンティティーidentityという言葉は自我同一性などと訳されているが、自分が自分であることを証明する、あるいは自分自身を他人と区別する手掛かりとなる性質である。実際のところ人間は意識的・無意識的に国家、民族、職業、言語、宗教、その他多くの事柄と結びついた多様なアイデンティティーをもって生きているのであって、ある人間を描き出す手掛かりとなるのはそれらの複合体である。

 台湾は1895(明治28)年から1945(昭和20)年までの50年間、日本の統治下にあった。その間、人々は日本語で日本式の教育を受け、日本人として育てられていた。そして多くの人々が自分は日本人であると思って生きていた。衣食住も日本式であった。同化政策が台湾の文化的伝統を破壊した側面とともに、人々の生活を向上させた側面もあるはずである。だから戦争が起きると喜んで従軍する人が大半であったのである。

 この映画は台湾の名前、日本の名前をもった5人の人々のこれまでの生き方についての証言をまとめている。中には台湾の少数民族であるツオウ族の名前、インドネシアの名前をもった人もいる。彼らの(ナショナル)アイデンティティーはどこにあるのかというのがこの映画の底を流れている問いである。

 高菊花さんはツオウ族のリーダーだった父親が国民党政府によって処刑され、家族の生活を支えるために歌手になったが、たえず官憲の干渉を受け続けてきたという。現在はツオウ族の村で生活しているが、その一方でクリスチャンである。

 黄茂己さんは台湾少年工の一員として来日、敗戦直後に日本で結婚したが、台湾に帰国して小学校の教師を勤めていた。戦後の抗議行動に加わることはなく、その一方で国民党員ではなかったから教頭や校長に昇進することもなかった。

 宮原永治さんは戦後にインドネシア国籍を取得した残留日本兵の一人で、インドネシア政府と日本政府から勲章をもらっている。日本企業のジャカルタ試写で働いていた。シャツ姿で無造作に勲章と勲記を見せる姿に、彼にとっての国家とは何かについての疑問が巻き起こる。

 呉正男さんは東京の中学に進学、航空つ晋氏として現在の北朝鮮で敗戦を迎え、シベリアに抑留され、逢いたい人がいた日本に戻ッて台湾に連絡をとると親から帰ってくるなと言われ、そのまま日本に留まり続けた。在日台湾人の金融機関に勤めてきた。日本に帰化できると思っていたが、窓口の役人の態度に腹を立てて取りやめた。横浜中華街の道教の廟にお参りするだけでなく、伊勢山皇大神宮の氏子総代を務めているそうである。

 張幹男さんは台湾人の父と日本人の母のあいだに生まれたが、台湾独立派の日本語の冊子を翻訳しようとして逮捕され、長年服役した経験をもつ。旅行会社の会長をしているが、同じような経歴をもつ仲間を多数雇っている。

 これらの人々だけでなく、その周辺の人々の証言を含めて、それぞれの戦後の複雑な歩みが浮き彫りにされる。自分は台湾人だという人、運悪く日本人になれなかったという人、自分より日本語が下手なのにやすやすと日本人になれる人がいるという人、異国に生きることを選んでいる人、それぞれのアイデンティティーは異なる。

 映画に登場することになって人前に出てしまうと、なかなか本当のことが言えないという事情も想像できる。その意味で映画の中での発言をすべての見込むのは危険であるかもしれない。しかし、国民党政権下の弾圧のひどさが前面に出てくる中で日本統治のその後の社会に与えた影響について、決して浅くはないこの国と日本との関係について考えることも必要であろう。/span>
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR