スタンリーのお弁当箱

7月8日(月)晴れ

 銀座シネスイッチでインド映画『スタンリーのお弁当箱』を見る。インド映画というとボリウッド製の歌と踊り、アクション満載の娯楽作品が連想されるが、これは素人の子どもたちを出演させてできるだけ彼らのありのままの姿をとらえようとした例外的な作品である。

 ムンバイにあるカトリック系の学校(ハイスクールとあるから中等学校であるが、生徒たちの見かけは比較的幼い)。この学校に通うスタンリーはクラスの人気者であるが、家庭の事情で学校に弁当をもってくることができない。子どもたちの、そして教師たちのもってくる弁当は千差万別、ピンからキリまであるが、スタンリーは昼食時間中は子どもたちの中に入らず、水を飲んで過ごすことがしばしばである。その一方、ある教師は他の先生方や、子どもたちの弁当をたかり歩いている。特にスタンリーの同級生の豊かな家庭出身で母親が料理上手という子どもの弁当がお気に入りである。

 作文や踊りの得意なスタンリーは英語の先生であるロージーに可愛がられ、またクラスの仲間たちも同乗して弁当を分けたりする。ロージー先生が結婚のため休暇中に他人の弁当を当てにしている教師が弁当をもってこない子どもは学校に来るなとスタンリーを追いだしてしまう(それならば、自分も首になっていいはずであるから、勝手な理屈である)。他の生徒たちは復帰したロージー先生に事情を説明し、その声は校長に届く。その一方でカトリック学校が連合して開くコンサートに出場することができたスタンリーはその活躍を認められる。

 というのは物語の半面、スタンリーの親は実は事故で亡くなっており、彼は伯父の下で過酷な労働を強いられているというのがあとから観客に分かるもう一つの半面である。この映画は児童労働を廃絶しようとするキャンペーンの一環として作られた映画なのであった。スタンリーは校長や先生たちの厚意や励ましを受けるが、マザー・テレサの活動があるとはいうものの、インドにおいてはキリスト教、その中でカトリックはきわめて少数の人々の宗教であることにも気づく必要がある。

 そして厚意や励ましといっても、スタンリーのウソがばれて、問題の解決が図られる…というのではなく、彼が嘘を通し続けるのがいかにもインド的である。主人公以外に真実を知るものは観客であることから、事態の深刻さを改めて考えさせるというこの映画のもつメッセージの発信力の強さを感じさせられる。
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