今野浩『工学部ヒラノ教授』

7月5日(金)曇り、時々雨

 6月28日に買って、その日のうちに読み切った。それだけ面白い本だが、簡単に論評できない内容を含んでいる。

 「筒井康隆は1990年代はじめに、早治大学と立智大学の文学部を舞台とする『文学部唯野教授』なる小説を発表し、文学部教授の生態を白日の下にさらした。長老教授たちの利権闘争。取り巻き連中の誹謗・中傷合戦。セクハラ・アカハラのオンパレード。留学先のパリから逃げ帰り、下宿に隠れて1年間を過ごしたフランス文学助教授の物語、などなど。

 この本がベストセラーになったためか、その後、大学暴露・告発本が続々と出版された。研究はもとより、教育もろくろくやらない無能教授と、はじめから勉強する気がない学生があふれる新設文系大学の姿に、わたしこと「工学部ヒラノ教授」はただあきれるばかりだった」(9ページ)とこの書物は書きだされている。

 著者は大学院大学の研究科長にまでなっているので、厳密な意味では「ヒラノ」教授ではない。それでもヒラの立場から大学について言いたいことがあって、それを言おうというのがこの書物の趣旨であると推察される。『文学部唯野教授』は創作であるが、こちらは多少の潤色はあっても実録である。2011年に新潮社から単行本として出版され、今回新潮文庫に収められた。

 大学にはその大学、学部、あるいはその専門の領域によってそれぞれの特色をもつ固有の文化がある。それは人間の個性に似ているといってもよいかもしれない。この書物に述べられているヒラノ教授の生活と意見は工学部の文化を反映するものである。この書物の中ほどには「工学部の教え7ヶ条」というのが紹介されていて、その中に工学部の文化が見事に要約されている。いわく:

 第1条 決められた時間に遅れないこと(納期を守ること)
 第2条 一流の専門家になって、仲間たちの信頼を勝ち取るべく努力すること
 第3条 専門以外のことには、軽々には口出ししないこと
 第4条 仲間から頼まれたことは、(特別な理由がない限り)断らないこと
 第5条 他人の話は最後まで聞くこと
 第6条 学生や仲間をけなさないこと
 第7条 拙速を旨とすべきこと(111~112ページ)

 ヒラノ教授が長く務めていたのは東京工業大学であるが、私の友人知己を見渡して、専門家として信頼できるという人はこの大学の出身者が多い。それはこの大学のエートスの所産であるし、大学の理念を実現するために研究上の努力と教育における工夫が積み重ねられてきたこともこの書物の中で盛んに語られている。特に専門教育と一般教育、理系科目と文系科目の均衡をどのように保つかに払われた配慮は他の大学が学ぶべき多くのものをもっている。この大学の卒業生である吉本隆明は東京工業大学はセコイ大学で単位が細切れにしか出なかったと回想しているが、それも学生を勉強させるための工夫であったと理解すべきである。

 だからと言ってすべての工学部がうまくいっていたわけでもなさそうであるし、工学部の文化が大学の文化として普遍妥当性をもつものではない。他の大学、学部には他の文化があってよいのだし、それをますますしっかりしたものに築き上げていく責務があるはずである。ところが「文庫版あとがき」で著者は「工学部教授は、増え続ける雑務と減り続ける研究時間に苦吟している」(234ページ)と書いている。この事情は他の学部でも変わらないようである。政治家や官僚の仕事は、大学人が研究と教育に専念できるように環境を整備することであるはずであるが、どうもそのあたりが理解されなくなってきている。大学が外部の声に反応する必要とともに、大学と外部の両者の分別と良識がその際にどのように働いているか、働くべきかを考える必要はあるだろう。 
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