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心学三題噺

10月26日(金)曇り

 10月26日は、1977年にこの世を去った私の父の誕生日である。61歳でまだ会社勤めをしていたが、昼食休み中に倒れて死んだ。生きていれば103歳である。その父の姉である私の伯母は100歳を超えて生きていたが、晩年は認知症で、施設に入っていた。現在の私は73歳で、両者の中間の年齢である。いろいろと複雑な思いが胸中を去来している(何を書いていいのかわからないから、難しい言葉を使ってごまかしている⁉)・・・。

 10月25日、愛川昭『黄金餅殺人事件――昭和稲荷町らくご探偵』(中公文庫)を読み終えた。
 本日(10月26日)の『日経』に心学明誠舎理事長である堀井良殷(よしたね)さんが「心学が説く商人の道」という文章を寄稿されていた。その中に、心学明誠舎の理事で近畿大学教授であった竹中靖一(1906‐86)氏について触れられていた。実は竹中氏は非常勤講師として京都大学でも講義をされており、その授業に途中まで出席していた記憶がある。ついでに言うと、竹中氏はその講義の中で、江戸時代の心学者である柴田鳩翁(1783‐1839)の曽孫である日本史学者・京都大学(名誉)教授であった柴田実(1906‐97)先生についても言及していたが、その柴田先生の授業も2つほど聴講して、優と良を頂いた。
 同じ『日経』のスポーツ欄に、横浜FCの三浦知良選手が書いている「サッカー人として」というコラムにちょっと気になることが書いてあった。(『日経』のスポーツ欄のコラム、特に権藤博さんと三浦選手が担当する回は、注目すべき発言が見られることが多いので、見逃せないのである。)
 この3つを材料にして三題噺をでっちあげようというのが今回のたくらみである。

 教師と学生(生徒)の年齢差は20~30歳くらい開いているのが一番適切であると外山滋比古さんが書いているのを読んだことがある。つまり一世代、親子くらいの年齢差である。これには異論もあるし、この範囲外の年齢差であっても実際に教育活動は行われているのだから、絶対視するわけにはいかないが、私自身の経験から言っても、50代前半くらいまでは大学生の興味をつなぎとめる講義はできたが、60代になると難しくなったのを実感したという経験がある。なぜ、こんなことを書いたのかというと、親子以上に年が離れている柴田先生や竹中氏の授業はつまらなかったという印象がいまだに残っているからである。

 お二人が、立派な研究者であったことは、その業績が現在も記憶されていることからも明らかである。柴田先生は心学の研究や民間信仰の研究で知られ、先生の書かれた御霊信仰についての本は私の本棚にも収まっている。しかし、柴田先生が担当された『史学概論』の内容は一つも覚えていない。また、柴田(日本)→西田太一郎(中国)→西村(インドネシア)→望田幸男(ヨーロッパ)のリレー式で行われた「世界史」の授業では、柴田先生の担当部分だけが記憶から完全に欠落している。先生のご研究の一端の原稿を棒読みしたって、少しは面白いはずなのだが、どうも講義は先生ご自身の研究とは別物だったような気がする。

 竹中氏の授業を途中でやめたのは、その頑固さに辟易したというのが主な理由である。もっともこっちもかなり生意気な学生だったのかもしれないと、今にして思う。氏の授業は雑談が多く、そのこと自体は悪いことではない。私も大学の教師になってから、雑談をよくやったし、学生から授業の本筋よりも雑談の方が面白いといわれたことが何度かある。竹中氏の場合は、授業の本筋の方が雑談よりもはるかに面白かったから悲劇である。
 竹中氏は心学の研究をしているくらいだから、庶民の心性史のようなことに関心があり、落語の話とか、歌謡曲の話とかいうのを授業にさしはさむ。そういうことに私も興味があるから聞き耳を立てるのだが、そこで開陳される意見というのが私の考えていることと逆なのである。例えば、上方落語の方が東京の落語よりも断然面白いという。1960年代の後半、昭和40年代の初めごろの話だから、これは客観的にみてかなり偏見に満ちた意見である。(現在の時点で言えば、「断然面白い」とは言えないが、上方落語の勢いは無視できないものがある。) 教師と学生の意見が違うことは悪いことではなく、むしろそこから新しい知見が導き出されるかもしれないから、いいことである。しかし、どうも反論を許さないような独断的な態度が目立つ。また、自分の大学に学生を集めるために、高校の先生たちを接待して酒を飲ませて…というような話を自慢そうに喋る(学生を相手に喋るような話ではない)。それやこれやで、私は授業の聴講をやめてしまったが、心学についての関心は残った(そこが竹中氏の学者としての徳のなせる業かもしれない)。

 心学というと、まず思い出すのは、6代目春風亭柳橋(1899-1979)などが得意としていた落語の「天災」に登場する、「何事も天災と思ってあきらめなさい」という「心学者」の紅羅坊菜丸(この字でいいのかな?)。この「訓え」が心学の趣旨に沿ったものかどうかは疑問ではあるが、江戸時代の特に後半に、心学が庶民の間にいかに普及していたかということを知る手掛かりにはなるだろう。
 心学は石田梅巌(1685‐1744)を開祖とする(したがって石門心学ともいう)、庶民向けの平易な道徳思想で、梅巌自身は儒学を基本としていたようであるが、仏教やその他の教えも取り入れてわかりやすく、実践しやすい形で広められた。

 堀井さんの文章は企業の経営において心学の精神の果たしうる役割を強調するものである。当然、竹中氏の『石門心学の経済思想』は読んでいると思うのだが、その内容についての紹介はない。私が聴講をやめてから、本題に入ったのかもしれないが、竹中氏が、近・現代の日本の経営思想と心学の関係をどのように考えていたのかは知らずじまいになっている。
 日本の近代化の過程で、心学が果たした社会的な役割に注目したのが、アメリカの社会学者ロバート・二ーリー・ベラ―(Robert Neelly Bellah, 1927-2013)で、彼の『徳川時代の宗教』(Tokugawa Religion, 1957)である。「非西欧諸国の中で日本だけが、近代産業国家として自らを変革するために、西欧文化から必要とするものを全く急速に摂取した。この成功は…前近代の時代において、すでに後の発展の基礎を準備したいくつかの要素によるもの」(ベラー『徳川時代の宗教』、35ページ)だと考える学者が増えている。ベラーはマックス・ヴェーバーに倣って、宗教と近代の経済の関係についての考察を試みる。そこで問題になるのは「日本の宗教のうちで、何がプロテスタントの倫理と機能的に類似しているのかということである」(同上)という。

 ベラーは心学について、「経済的には勤勉と倹約を強化し、生産を評価し、消費を小さく見た。さらにそれは、正直の普遍主義的な水準と契約の尊重を主張し、これらを宗教的に強めた。このようにして、それは、都市階級の間において、世俗の仕事に対し規律を持ち、実践的、持続的な態度の成長するのに寄与すると考えられたに違いなく、経済が産業化の過程に入るにあたって、企業家と労働者の両方にとって重要であった。」(ベラー、331-332ページ)という。このような機能は西欧社会におけるプロテスタンティズムに相応すると言いたいようである。

 日本の近代化の過程もその背景をなした思想・精神も複雑であったことをベラーは知っていたし、また彼の議論もそれほど単純なものではないが、議論をわかりやすくするためには無理にでも単純化しないといけない。ベラーは心学を通俗化・平易化された儒教の変種とみているようである。そして、中国や韓国では儒教が官僚になることのできる社会層にのみ行き渡っていたのに対し、日本では商人や農民にまで普及していたところに違いを見ている。その結果、日本の方が識字率が高くなり、勤勉に働き、節度ある生活を心がける人々も日本の方が多くなる。中国や韓国は儒教が普及しているから駄目だという議論をする外国人がいたが、話は逆である。日本の方が儒教が浸透していたから、近代化が早まったのである。(儒教といっても、中国と日本とではその内実が違い、どう違うかも問題ではあるのだが、この点についてもベラーはかなり詳しい議論を展開している。)

 心学に中国思想のより具体的な影響を見る研究者もいる。中国の明代、特に万暦帝時代に三教(儒教・道教・仏教)合一の思想が盛んになり、この思想に基づいて多くの(勧)善書(善行を進め、悪行を戒める書物)が書かれ、日本にも輸入され、広く読まれた。とくによく知られているのが袁黄(了凡)の『陰隲録』である。この本には盛んに「陰徳」という言葉が出てくる。陰徳を積んだ人にはよい報いがあるという議論が展開される。
 昔、講談社から出ていた『明治大正落語集成』は、明治・大正時代の雑誌『百花園』に掲載された落語の速記を集めたものであるが、その中に、人をほめる言葉として「陰徳家」という言葉が盛んに出てくる。陰徳とは、人の目につかないように善行をすることであるから、他人に「陰徳家」だといわれるようではまだ修行が足りないのではないかといいたくもなるが、このことは、明治・大正時代の日本に陰徳思想がかなり普及していたことを証拠立てるものではないかと思っている。陰徳思想と心学とは近い距離にあり、相互の影響関係を見ていくと面白いかもしれないと思う。

 ということで落語の話に戻り、心学者の紅羅坊菜丸は架空の人物であるが、稲荷町の師匠と呼ばれた8代目林家正蔵が演じていた「紫檀楼古木」は実在の人物であるという説もある。狂歌の宗匠でもともとは、煙管の羅宇(らお)問屋の主人だったのが零落して羅宇のすげ替えをして生計を立てている古木が、ある日羅宇のすげ替えをした家の御新造さんと狂歌のやりとりをするという噺で、もっと詳しい内容を知りたい方はご自分で検索してください。話の内容が内容であるだけに、名人級の落語家が演じないと面白くもなんともない。正蔵のライバルだった6代目三遊亭圓生もこの噺を手掛けているので聞き比べるのも面白いかもしれない。

 8代目林家正蔵の大ファン「正蔵オタク」を自任する愛川晶さんの『黄金餅殺人事件』は、その正蔵が安楽椅子探偵ならぬ座布団探偵として難事件を解決するという趣向の物語である。この本についてもっと詳しく書かないと「三題噺」にならないが、機会があったら独立で書くことにして、もう一つの話に移ることにする。

 私が柴田先生や竹中氏の授業がつまらないと思ったというのは、一種の生意気さの反映で学生時代というのはそういうことの繰り返しではないかと思う。それで最後に、三浦知良さんの話だが、大宮アルディージャと1‐1で引き分けた10月21日の試合について「サッカー通でない知人でも『見ていて面白かった』と言ってくれた。互いに譲れない、負けられないという緊迫感が伝わったんだろうな。」と書いている。この試合を私も見ていて、まったく「知人」の意見に同感なのだが、私の近くにいた中学生らしい男女の一団は、試合そっちのけでおしゃべりをしたり、スタジアム内を歩き回ったりでまったく試合を見ていなかった。三浦選手の「知人」が緊迫感を感じたのは、その「知人」の人生経験がモノを言ったのだろうが、まだ人生経験の浅い中学生たちはそういう緊迫感を感じることがなかったのであろう。そういう態度を叱っても暖簾に腕押しになるのは眼に見えている。彼らが自分たちの目先の気楽さに心を奪われて好試合を見る機会を逃したことを後悔するとは思われない。若さとはそういうものである。だが、ひょっとすると何かのはずみでそれまでは気づかなかった自分の失策に気づいて、後悔するかもしれない…それも若さの一面である。むしろそちらの方を期待したいのである。

 三題噺というのは3つの題材をうまく組み合わせて1つの話にまとめるものだが、なにか3つの話を書き連ねただけに終わってしまった。まだまだ修行が足りない。 
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