異国に生きる 日本の中のビルマ人

7月4日(木)雨が降ったりやんだり

 昨日見た映画の2本目。1991年に軍事政権の弾圧を逃れ、妻を残したまま日本にわたってきたビルマ人チョウチョウソー(チョウ)さんの軌跡を中心に日本で暮らすビルマ人の姿を描いている。生活のためにレストランで働きながら、民主化運動を続ける日々。それでも少しずつ法的な権利を拡大し、タイに渡って(ビルマからやってきた)妻と再会し、やがて彼女も来日して、2人でビルマ料理店を経営することになる。そこは在日ビルマ人たちの交流の拠点となる。

 88歳になった老父とのタイにおける再会。チャオプラヤー川を船で遊覧したり、アユタヤを訪問したりする。仏像の前での父子の対話の宗教的な深さは感動的である。しかしそれは父子の生前における最後の対面となり、ビルマで父が死んでもチョウさんは帰国することはできなかった。日本滞在は既に20年以上になり、暮らしも安定してきた。東日本大地震と津波の被災者たちの救援活動も在日ビルマ人として参加した。しかし日本での生活の将来の保障はなく、故国で民主化を求めて戦っている人たちに対する負い目もある。「家族に会いたい」「祖国で暮らしたい」という願いと「祖国の民主化運動」のためにその望郷の念を捨てなければならないという思い。チョウさんはまだビルマの民主化は不徹底だと思いながら、帰国できる日を待ち望んでいる。

 バンコクを訪問したこと、チャオプラヤー川を船で遊覧したり、アユタヤに出かけたり、寺院を拝観した経験は私にもある。そこで自分の祖国について考えたり、宗教的な思索に耽ったりしたということは全くない。日本人としての豊かさのための精神の貧困の一例かもしれない。そういえば、アウンサンスーチーさんは京都大学東南アジア研究センター(研究所)の研究員だったことがあるが、この研究施設が創設された当時、学内の一部からはかなり強い反対があったことを記憶している。東南アジア研究は「豊かな」日本による「貧しい」東南アジアに対する進出と略奪の道具でありうるが、その一方で東南アジアの人々の自立と成長の手助けもなしうる。可能性を過大に評価することも、全く否定することも間違いである。

 チョウさんは望郷の念や負い目を感じながらも日本で生活している。祖国との距離のための温度差もあるはずである。誰も完全ではありえない。ビルマの民主化闘争のために戦った仏教の僧侶たち(の一部)がイスラーム教徒の人権を抑圧する急先鋒になっているという(そういえばこの映画では、ビルマのイスラーム教徒の問題については触れられていない)ニュースを聞くと、複雑な思いに駆られてしまうのは私一人のことであろうか(イスラームが正義で、仏教が悪だ――などと、あるいはその逆のことを主張するつもりはない。ただ、相手の立場を理解し、思いやることも宗教の一環ではないかと思うのである)。チョウさんの負い目を感じながらの民主化への働きかけから、我々が学ぶべきものは少なくないはずである。
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