ペタル ダンス

7月3日(水)曇り、一時雨

 横浜シネマ・ベティで『ペタル ダンス』、その後、横浜ニューテアトルで『異国に生きる 日本の中のビルマ人』を見る。それぞれ優れた作品であったが、連続してこれら2本の映画を見ると、お互いがお互いの感動を打ち消すようなところがあって、あとになって整理して批評を書くのが難しくなる。それでも何とか、『ペタル ダンス』について書いてみようと思う。

 ジンコと素子は大学時代からの友人だが、6年間会うことがなかった大学時代の友人のミキが海に飛び込んだらしいという話を耳にする。2人は素子の元夫から自動車を借りて、ジンコが運転してミキを訪ねに行こうとする。ところが、ジンコは駅で電車に対して身構えた若い女性=原木を飛び込み自殺をしようとしているのだと間違えて抱きとめ、その勢いで手にけがをしてしまう。原木は勤めていた店が突然閉店してスイッチを入れ直そうと思っていたのだといい、けがをしたジンコに代わって自動車を運転していくことを申し出る。こうして3人は北の果てにある風の町に旅立ってゆく。
 
 旅の途中に格別変わった事件が起きるわけではない。たずねあてたミキも落ち着きを取り戻している。ただ、北国の海岸の風景は厳しい。ペタル(petal)は花びらという意味である。花びらの舞いという意味にしては物語は控えめに展開している。そうはいっても訪ねていく3人と、訪ねられるミキのそれぞれがドラマを抱えている。それぞれのドラマが声高には語られずにいるだけである。そして旅はそのドラマの中の一種の間奏曲にすぎないのかもしれない。しかし、旅をすることによって、あるいは友人たちの訪問を受けることによって、それぞれが新しい出発をしようとしていることも確かである。事件が起きて、解決する――というストーリーの方が現実にはありえないことで、実は我々はいつまでたっても終わらないドラマを生きているのだと暗示しているようでもある。

 この映画について適切な言葉を選んで批評することはかなり難しいが、監督・脚本・編集を手がけている石川寛監督(撮影は長野陽一)は風景をできるだけ柔らかく描きだし、女性たちの自然な表情の動きを引き出そうとしている。風景と表情を対照的に見せようとする映像の構成が印象に残る。そうして登場人物の微妙な感情表現をとらえながら、その心の奥底にある感情の流れについて観客の想像力を動かそうという意図があるようだが、ストーリーの起伏が激しくないこともあって全体として地味な映画になっている。そのことは欠点ではないが、集客力にはつながらないだろう――というのが残念である。
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