FC2ブログ

日記抄(9月10日~16日)

9月16日(日)曇りのち晴れ

 9月10日から本日までの間に経験したこと、考えたこと、これまでの記事の補遺・訂正等:
9月10日
 NHKラジオ『まいにちスペイン語』でホンデュラス出身のマリアが長崎を訪問中のナオトとアリサのカップルに次のように説明する:
Después de los portugueses y españoles, vinieron los holandeses a Japón.
(ポルトガル人とスペイン人のあと、オランダ人が日本に来たのよ。)
 厳密にいうと、ポルトガル人の方がスペイン人よりも早く来ている。もっと厳密にいえば、ポルトガルの船の方がスペインの船よりも早く来ている。日本にキリスト教を広めようとしたフランシスコ・ザヴィエルはバスク人(バスク人はフランスとスペインの両方にまたがる地域に住んでいるが、ザヴィエルの出身地はスペインの方である)であるが、ポルトガルの船で日本にやってきている。大航海時代において、航海者の国籍よりも、船の船籍の方が重要である。コロンブスはイタリア人(ジェノヴァ人、ユダヤ人だという説がある)であるが、スペインの船で新世界に向かい、マジェランはポルトガル人であるがスペインの船で世界周航の旅に出かけている。それからオランダ人のほかに英国人もやってきていることも忘れてはならない(たとえばウィリアム・アダムズ=三浦按針)。

9月11日
 最近、企業等の定年をこれまで以上に引き上げる動きがあり、私自身もあと数年は働けるところで、仕事をやめることになったから、そのことには賛成であるが、かといって、健康なうちはずっと働き続けるようにするというのもどうかと思う。『朝日』朝刊のコラム「波聞風問』に多賀谷克彦記者が「働ければいい、ではない」という文章を書いていたが、やはり、引退生活を一定期間、楽しむようにできるということも大切ではないかと思う。

 NHKラジオ『まいにちイタリア語』の時間に登場する、イタリアで語学修業中の主婦ユウコがルネサンス時代の画家ラファエロの作品「大公の聖母」(Madonna del Granduca)を見て、
La Vergine ha i capelli biondi...(聖母マリアは金髪です).という。
 聖母マリアが金髪であったかどうか、知る手掛かりはどこにもない。ただ、すべての髪の色の中で、金髪をもっとも美しいものとして尊ぶ心性が欧州人にはあるようで、イタリアの女優であるニコレッタ・マキアヴェッリがジョン・ヒューストンの『天地創造』にイヴの役で出演が決まりかけたが、イヴは金髪でなければならないという意見が出て、取りやめになったという話を読んだことがある。イヴの髪の色がどのようなものであったかは、『創世記』には記されていない。

9月12日
 『朝日』朝刊によると、ロシア・ウラジオストクで開かれている東方経済フォーラムに参加している北朝鮮のキム・ユンヒュク鉄道省次官が、朝鮮半島縦断鉄道とシベリア鉄道の連結は「政治的にも経済的にも条件が整った」として、その着工を促す発言をしたという。戦前は、東海道本線、山陽本線、関釜(下関・釜山)連絡船、朝鮮半島縦断線、満鉄を乗り継いで、シベリア鉄道からヨーロッパに向かうルートが存在した。朝鮮半島の政治的な分断によって、その旅は不可能になっていたので、鉄道旅行が好きな人は魅力的な提案だと思うかもしれない。とは言うものの最近は、LCCによる空の旅が広がっているので、実際的にはさほど魅力的な提案ではないようである。以前にも書いたことだが、東アジア各国の中で鉄道の整備が一番遅れているのが北朝鮮で、そのことと関連して実現にはまだ多くの問題があると思う。

 同じ『朝日』の紙面にエチオピアとエリトリアが20年ぶりに国境往来を再開したという記事が小さく出ていた。もう20年以上前にロンドンで研修していた時、もともとエリトリア人で、イタリアを経て、ドイツで生活をしているという学生と仲良くなったことを思い出す。彼がエリトリアの学校で習った歴史は、まったくエチオピアの歴史であって、「彼らの歴史」であったと話していたのを今でも記憶している。

 横浜FCはアウェーでアビスパ福岡と対戦し0‐0で引き分けた。依然として3位である。

9月13日
 『朝日』の朝刊に毎日掲載されている「しつもん! ドラえもん」の本日の問題は「かごしま編」で、「西郷隆盛、木戸孝允と並び『維新の三傑』と呼ばれる明治政府の初代内務卿はだれかな?」というもので、西郷=ジャイアン、木戸=ドラえもんという見立てになっていて、それぞれに違和感があるが、答えの大久保利通=スネ夫というのにはさらに大きな違和感がある。
 大久保の実子で、養子に出たのが牧野伸顕、牧野が福島事件の弾圧の当事者である三島通庸の娘と結婚して生んだのが、吉田茂夫人の雪子、その子である和子が麻生多賀吉と結婚して生まれたのが太郎である。

9月14日
 『朝日』朝刊のコラム「折々のことば」で鷲田清一さんが「彼」という言葉が、明治になって新たな意味を持つようになったという柳父章さんの意見を紹介している。特に田山花袋が「その語を駆使して、<私>を対象化する方法を小説世界に持ち込んだという。「彼・彼女」という語が<私>の新しい世界を開いたのだ」というのである。それはいいんだけれども、花袋は<かれ>という場合に「渠」という漢字を使っているということにも触れてほしかった。 

 『日経』朝刊の「かがく アゴラ」というコーナーで、デジタルハリウッド大学大学院教授の佐藤昌宏さんが、ITが進化すると、個々の生徒の学校での学習の進み方がすべて把握できるようになるから、上級学校の受験はなくなるかもしれないという見通しを語っている。問題は、高等学校までの学校と大学、大学と大学院では、望まれる学習(研究)態度が違うということである。

 同じく『日経』によると東京工業大学が授業料の値上げを検討中であるという。東急・目黒線の大岡山駅付近」からこの大学のグランドを眺めては、国立大学はいいなあと思っているので、値上げ幅が小幅で、入学しようと思う学生の門戸を狭めないようにしてほしいと切に思う。

9月15日
 『日経』朝刊のコラム「半歩遅れの読書術」で、ドイツ文学者の中野京子さんが「旅のお供に既読ミステリー」という文章を書いていた。アガサ・クリスティーの『葬儀を終えて〕ほかの作品の魅力を語っているのだが、なかなかよく読みこんでいるねと思って感心しながら読んだ。」

 『朝日』の「折々のことば」で鷲田清一さんが「何かを失い始めると、急スピードですべてを失ってゆくのね。」という歌手・女優のジェーン・バーキンさんの言葉を紹介している。ことによると、鷲田さんはジェーン・バーキンが好きなのかもしれないなと思って読んでいた。だとすれば、それは鷲田さんの愛すべき一面ではないかと思う。 

9月16日
 『日経』一面の「春秋」欄で、執筆者が10年以上前に訪れた少年院で出会った日系ブラジル人の少年が、「ここで初めてニホンゴ習った」と言った少年の表情が忘れられないと書いている。日本社会の一面も二面も物語っているエピソードではないかと印象に残る。

 同じ『日経』に連載中の美術記事「世界の神々(注)」で青木繁の「黄泉比良坂」が取り上げられていた。青木には日本神話に取材した作品が少なからずあるが、これは「時代精神」と重なるものだという。たしかに、明治の終わりから大正にかけての日本の美術・文学には日本の神話に霊感を得た作品がみられる。これが昭和になると横光利一の『日輪』のように興味がもう少し別のところに向かうようになる。

 同じく、後藤正治という人が(私よりも1歳ばかり年下で、同じ大学の卒業生らしい)、京都大学の学生と大学当局(とその背後にいる京都市)の立て看板をめぐる抗争について書いていたのが、共感する部分もあり、異論をさしはさみたくなる部分もあって面白かった。大学が、学生の多様な表現行動について寛容であるべきだというのは、同感できる。また、若者のエネルギーの噴出が
「一過性の消えゆくものなのか。意味あるものを社会に残していくのか。それは歳月を経て初めて分かるのだろう。」という感慨には、留保付きで賛成である(「歳月を経」なくてもわかる人にはわかるのではないかというのが私の意見である)。それから、このようなエネルギーの噴出や異議申し立てが、若者に特有なものであるという考えにはあまり賛成しない。むかし(私が20代の頃に)、年末になると大阪駅周辺で「天狗」と自称する中年男性が世相を斬る張り紙を出していたという話があるし、もっと昔の二条河原の落首という例もある。

 ニッパツ三ツ沢球技場で横浜FC対水戸ホーリーホックの対戦を観戦する。S席の入場券が「完売」という(それでも入場者数は8000人弱)ことで、A席での観戦。横浜は攻守の連携がちぐはぐで1-2で痛い星を落とす。選手の編成・起用方針としてもう少し守備に力を入れた方がいいような気がする。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR