FC2ブログ

本郷和人『上皇の日本史』

9月15日(土)雨

 9月10日、本郷和人『上皇の日本史』(中公新書ラクレ)を読み終える。
 9月15日、『日本経済新聞』に本郷さんが連載している「日本史ひと模様」で豊臣秀吉を取り上げ、中学・高校時代の同期生であるLIXILのCEO瀬戸欣哉さんと対比していたのが興味深かった。自分の身近にいる人物に、歴史上の人物を重ね合わせることができるというのも、歴史家としての素質の一つではないかと思ったのである。

 歴史家には様々な素質や能力が求められるのではないか。過去にどういう出来事が起きたかについて記憶するというだけではだめで、その意味を見抜くことができないといけない。そのため、たとえば、ある出来事の原因について疑問を抱くとか、その出来事が一過性のものか、それとも何度も繰り返されるものか、あるいはより大きな出来事の先触れであるかといった判断ができることが望ましい。古代ギリシアのヘロドトスはペルシア戦争がなぜ起きたかという疑問を抱いたことから、各地を旅行してその歴史をまとめたし、トゥキュディデスは、ペロポンネソス戦争が歴史上の大事件であると考え、後世に同じような出来事が繰り返されたときの参考として(歴史は繰り返す)彼の同時代史を書き記した。ここで本郷さんは、今上天皇のご譲位のご意向という出来事を端緒として上皇の歴史について探求しようとしているが、このような姿勢は、その歴史感覚の鋭さや深さを示すものと考えてよかろう。

 なぜそんなことを書くかというと、この『上皇の日本史』という書物が、あくまでも私の乏しい知見を基にしての評価であるが、従来の上皇・院政研究とは別のところに焦点を当てているからである。この書物の構成を紹介しておくと次のとおりである:
まえがき(天皇陛下の生前退位/「地位」が先か、「人」が先か/世界には類例のない『上皇』)
第1章 「ヤマト」の時代~平安朝
 1 上皇前史――大王の時代
 2 天皇と上皇の誕生
 3 平安遷都と藤原氏の台頭
 4 新しいことは悪――摂関政治の本質
第2章 上皇による専制――白河・鳥羽・後白河
 1 院政の始まり
 2 上皇の権力基盤
 3 上皇による政治の構造
 4 上皇と源氏・平氏
第3章 専制からシステムへ――承久の乱がもたらしたもの
 1 古代の政治空間
 2 承久の乱後の朝廷
 3 中級貴族が担った上皇の「徳政」
 4 両統の迭立と上皇、そして後醍醐の登場
第4章 朝廷と幕府――後嵯峨上皇の院政を例に
 1 九条道家の野望と計略
 2 道家の失脚と急死
 3 院政を支える人々
 4 才か徳か――徳大寺実基の考え方
 5 上皇の肉声
第5章 古文書から読み解く院政――官宣旨から院宣へ
 1 政策決定のプロセス
 2 幕府法廷の訴訟能力
 3 上皇が発給する文書
第6章 上皇による徳政の変容――両統迭立期~南北朝
 1 後醍醐天皇登場と徳政の断絶
 2 関東申次という権力者
 3 中世史研究における矛盾
 4 上皇を超越する室町将軍
第7章 存在を脅かされる天皇・上皇――バサラ・義満・信長
 1 バサラと上皇
 2 『上皇による政治』の終焉
 3 織田信長と「天皇・上皇」
第8章 権威としての復活
 1 秀吉の政権構想
 2 ギクシャクする江戸幕府と朝廷
 3 武から文へ
 4 明治維新へ
終章  近代天皇制の中で――終身在位する天皇

 目次を見て明らかなことは、この書物が承久の乱以後の上皇と院政のあり方を主な関心事としていること、そしてその政治の内容や政策決定のプロセスに踏み込んで、実証的な院政研究を試みていること、そのため、年代の進行を追わずに、同じ時代の出来事を何度か繰り返し分析している場合が出てきていることである。
 従来の研究というのは、上皇(といってもその中の1人=「治天の君」)が名実ともに我が国の最高権力者であった白河・鳥羽・後白河、あるいは後鳥羽院までの時代や出来事を扱うのが主流だったのではないか。そうではなくて、上皇による院政が一定のシステムをもって機能し始めた鎌倉時代後期に焦点を当てているところに、この書物の特徴がある。
 摂関政治も院政も政権の根拠は脆弱で、官僚機構も常備軍ももっていない。しかし、承久の乱以後、院政は専制的な性格を改め、統治(サービス)を行う存在に変質していったという。

 日本では律令制のもとで、公地公民が原則であったが、荘園が拡大してその原則が崩れた。荘園の支配を支えていたのが、上皇・天皇の権威である。土地の支配の構造はきわめて複雑であったが、それは一元的な支配を可能にする実効力が成熟していなかったからである。このような支配が可能になるのは信長・秀吉以後のことである。しかし、秀吉にとって、支配を完全なものにするために、天皇の権威を利用した新しいシステムを構築する必要があった。

 その後の徳川の平和を通じて樹立された伝統の中で、日本では「地位」よりも「人」の方が重視される傾向があり、「家柄」、「血筋」が優先された。明治維新に至って、ようやく「地位」が重視されるようになったが、現在はまた「世襲」の力が大きくなってきた。現在の政界は、明治政府とは基盤となる根本原理が異なるという指摘は興味深い。日本の政界は、善悪はさておき、歴史的伝統が復活してきている。このようなときに、上皇という古くて新しい存在とどう向き合うべきなのかというのが出発点になっている。

 個人的な関心からいうと、京都の東福寺を造営した(大仏を造立した)九条道家が鎌倉幕府と朝廷の間を巧みに取り持って摂関政治の復興を図った人物として、また『徒然草』に登場する徳大寺実基が「徳」と「才」をめぐる議論を通じて上級貴族の地位を安定させようとした人物として、取り上げられているのが興味深い。(本郷さんは触れていないが、『増鏡』の著者が鎌倉時代末期における日野氏をはじめとする名家の台頭について批判的な書き方をしていることの理由が、この書物の描いている上級貴族=摂関家、清華家と中級貴族=名家の対立から読み解くことができる。) 院政の下で能力の高い中級貴族が盛んに登用されるようになるが、彼らが上級貴族にとってかわることがなかったというのは、鎌倉時代の後半から南北朝時代の歴史に興味を持つ人間にとっては興味深い問題である。なお、本郷さんは羽林家を上級貴族に含めて考えているが、この考え方が一般的なのかどうかは、わからないので、これからよく調べてみることにしたい。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR