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トマス・モア『ユートピア』(18)

9月12日(水)曇り

 1515年にイングランドの法律家であるトマス・モアは国王から派遣された使節団の一員としてフランドル地方を訪れた。交渉の中断中、彼はアントワープでピーター・ヒレスと親しく付き合う。ある日、彼はピーターからラファエル・ヒュトロダエウスという人物を紹介される。ラファエルは新大陸への探検に加わり、世界中の様々な国々を旅した結果、それらの国々の風習・制度を知悉しているという。その経験と知識とに感心したピーターとモアは、ラファエルがどこかの王侯の顧問としてその政治を助けるように勧めるが、王侯たちの戦争好きと貪欲、その側近たちの追従ぶりも知っているラファエルは同意しない。戦争が絶えず、貧富の格差のために犯罪が蔓延しているヨーロッパ諸国の現状を打開する手掛かりを与えるのは、新世界でラファエルが訪問し、5年間にわたって滞在したユートピアの制度であると彼は言う。ピーターとモアの求めに応じて、彼はユートピアの社会と制度について語る。
 ユートピアはもともと半島であったのをユートプスという指導者が出て、本土と切り離す工事を行い、三日月形の島となった。その地形から、外からの侵略に抵抗しやすくなっている。島には54の都市があり、それぞれが適切な距離をもって他の都市と離れており、都市の周辺の農村の帰属をめぐる争いはない。島の一番の産業は農業で、すべての人間が一定期間農村で働くことが義務となっている。収穫の時などは、都市に住む人々を含めて全員で農作業に取り組むので、作業は短期間で終わる。
 都市は長年にわたって計画的に造営され、人々は住まいを10年ごとにくじで交換しているが、その家や庭を大事にしている。指導者たちは学識のある人々の中から、世帯単位で民主的に選挙でえらばれ、意思決定は慎重に進められる合議によってなされる。すべての人間が農業、あるいは農業ともう1つの職業に習熟している。全員が働き、質素な衣服で満足しているので、無駄な仕事というのは生まれず、労働時間は短くて済んでいる。人々は都市では共同の場所で老若(子どもは別)一緒になって食事をとる。農村では家族単位で食事をする。

 ラファエルは、ユートピアにおける共同食事の制度や、そこでの人々の様子について語った後、今度は彼らがどのように旅行をするかについて語りはじめる。「もしだれかが他の都市に住んでいる友人を訪問したいとか、その場所を見物したいと思ったら、なにか特別の不都合がない限り、部族長または部族長頭領から簡単に許可をもらえます。そうすると旅行者数名がまとまって同時に送り出されることになり、その際、旅行者は、都市頭領の令状を持って出かけます。令状には旅行許可が証明してあり、帰郷の日付が指定されています。」(151ページ) 旅行は基本的に集団での、管理された性格をもち、気ままな一人旅というのは認められていないようである。
 ユートピアのように、共産主義的、自給自足的な社会であれば、旅行はその必要がなくなるはずである。自給自足的な社会が展開していれば、そこに何かを持ち込もうとする行商人は生まれないはずである。澤田訳の解説注によると、プラトンはその『国家』において旅行を禁止したという。またこの時代に盛んであった旅行のもう一つの形態は巡礼である(モアに先立つこと100年以上以前の人物であるチョーサーはカンタベリーへの巡礼の人々が旅のつれづれに語る物語という形式で『カンタベリー物語』を書いている)が、エラスムスはその『対話集』において、巡礼の旅に出かけることで家族から離れることの弊害について論じているそうである。この点をめぐっては、ラブレーが『第一の書 ガルガンチュア物語』の中で同じ意見を述べている。
 ところで、そのラブレーの『第二の書 パンタグリュエル物語』では主人公のパンタグリュエルが各地の大学を遍歴しており、学生がヨーロッパ各地の大学を遍歴することは、当時普通に行われていた習慣であった。同じように職人たちその職業的な技能を磨くために各地を遍歴していたのであって、この点については『ユートピア』のこの次の個所がある程度、対応していると思われる。

 旅行者たちには荷車{平井訳が「馬車」としているのはロビンソン訳(とローガン&アダムズ訳)がwagonとしているのに引きずられたのであろうが、後述の理由により、不用意である。ターナー訳はsome sort of vehicleと慎重である)と、それを牽引する牛(英訳ではすべてOxenとなっていて、Bullsではない。ユートピアでは馬よりも牛の方がよく利用されているのは、既に述べたとおりである)、それに牛の世話をする公営奴隷が与えられるが、一向に女性が含まれていない場合には、この便宜を利用することはまれである。旅人たちは荷物をもたずに旅行するが、旅行中なにかに不足するということはない。「どこに行っても彼らはそこを我が家と感じるからです。どこかに一日以上滞在することになると、だれもがそこで自分の職業に精を出して働き、旅先の同業仲間たちから、非常にていちょうにもてなされます」(同上)。
 もし許可を得ずに不法に、自分の住む都市の境界の外に出ると、厳しく叱責されるという処罰をうける。同じことを繰り返すと、奴隷身分への格下げという処罰を受ける。
 自分の都市に属する農村地帯を歩き回るには、父親の許可と妻の同意を受ければよい。ただし午前中の仕事の割り当て、あるいはその地方で夕食前にすることになっている労働を行っていることが条件である。
 ここでは平等が強調され、地方的な差異までもが否定されているように思われる。中世の職人たちが各地を遍歴したのは、各地方の特色ある技能に触れて、自分の技能の幅を広げるためでもあったのだが、職人の世界やギルドの性格などについて、モアは無関心であったようである。 

 さらに続けて、ラファエルは言う。「さて、これで、どこに行っても無為に過ごす自由とか怠慢の口実とかいうものがいかにないかがお判りでしょう。居酒屋もビヤホールもなく、どこにいっても売春宿はなく、堕落する機会も、隠れ場所も、密会所もなく、かえってみんなの目がどこでも見ているので、人々はどうしても平生の労働に携わるか、または不名誉でない閑暇を楽しむか、そのどちらかを選ばざるをえません。」(152ページ)
 なおこの個所は、平井訳では次のようになっている:「こういうわけで、いかに彼らにぶらぶらと時間を空費する自由が許されていないか、また怠ける口実や言訳が与えられていないか、ということがお分りになったと思う。つまりここには酒場も居酒屋も女郎屋もない。悪徳にふける機会もなければ、いかがわしい潜伏場所も、陰謀と不法集会の隠家もないのである。あらゆるものが白日の下にあり、衆人環視の下に行われるのである。人々はどうしても日常の仕事に精を出さざるを得ないし、健康な明るい娯楽をもって心身を慰めざるを得ないのである。』(岩波文庫版、99ページ)
 両者を比べて、気になる単語を、手元にある3種類の英訳と並べて検討してみよう。
 澤田訳「居酒屋」、平井訳「酒場」、ロビンソン訳wine-taverns, ターナー訳wine-taverns, ローガン&アダムズ訳wine-bars
 澤田訳「ビヤホール」、平井訳「居酒屋」、ロビンソン訳ale-houses, ターナー訳ale-houses, ローガン&アダムズ訳ale-houses
澤田訳「売春宿」、平井訳「女郎屋」、ロビンソン訳stews, ターナー訳brothels, ローガン&アダムズ訳vrothels
 澤田訳「堕落する機会」、平井訳「悪徳にふける機会」、ロビンソン訳any occasion of vice or wickedness, ターナー訳no opportunities for seducation, ローガン&アダムズ訳no chances for corruption
 澤田訳「隠れ場所」、平井訳「いかがわしい潜伏場所」、ロビンソン訳lurking corners, ターナー訳には対応する訳語なし、ローガン&アダムズ訳hiding places
 澤田訳「密会所」、平井訳「陰謀と不法集会の隠れ家」、ロビンソン訳places of wicked councils or unlawful assemblies, ターナー訳secret meeting-places, ローガン&アダムズ訳spots for secret meeting
 平井訳がロビンソン訳からの重訳であることはすでに何度も触れているが、その限りにおいて、こなれた訳である。それに比べると澤田訳は堅苦しい。16世紀の英国と、現代の日本の風俗の違いを考えれば、「酒場」だの「居酒屋」だのと訳す必要はなくて、「ワインを飲む店」とか「ビールを飲む店」と訳しておけばいいところである(おそらく、前者の方が後者よりも「高級」な店であったのであろう)。しかし、そういうことを別にすれば、それぞれに特徴があって、あえて甲乙をつける必要がなく、比較しながら読めばいいのではないかと思う。
 『ユートピア』が描き出している社会が、きわめて健全な社会であるという感想を持つ方もいらっしゃるだろうし、常にだれかの監視の目が光っている恐るべき管理社会だという感想を持つ方もいらっしゃるだろう。ラファエルは旅人としてユートピアを訪問したのだが、そのユートピアの人々が旅人として、外の世界に出ていくことはあまりないというのは、この物語の論旨を不釣り合いなものにしているのではないかという気がしないでもない。
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