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ダンテ・アリギエーリ(須賀敦子・藤谷道夫訳)『神曲 地獄篇(第1歌~第17歌)』(2‐2)

9月11日(火)曇り、風が強い。いつ、雨が降りだすかわからない空模様である。

 第2歌の続き。
 1300年4月4日、睡魔に襲われたダンテは、暗い森の中に迷いこみ、恐ろしい一晩を過ごす。明け方近く、頂上付近が明るく照らされている丘を見つけた彼は、夜明けとともにその丘に登ろうとするが、豹・獅子・雌狼という3頭の獣に前途を遮られる。そのために、また森の中に追いやられた彼の前に突然「おぼろげに見える人」が現れた。ダンテの問いに答えて、彼は『アエネーイス』の作者であるローマ黄金時代の大詩人ウェルギリウスの霊であると答え、ダンテがこの森を抜け出すためには、彼に従って地獄・煉獄を、そして彼よりも「ふさわしいたましい」の導きを受けて天国を旅しなければならないという。ダンテは、ウェルギリウスに従って歩み始めようとする。(以上第1歌)
 しかし、第2歌に入って、ダンテはいったん決心した異界への旅を躊躇しはじめる。彼はどのような歴史的使命をおびて、このような旅を行わなければならないのか。そのような旅にふさわしい人間であるのか。これに対し、ウェルギリウスの霊は、どのようなきっかけで彼がダンテの前に現れたかを説明しはじめる。

 私が中間状態に置かれた〔リンボの〕の者たちの間にいたとき、
貴き女性〔ベアトリーチェ〕に呼ばれた。美と至福に溢れ出るその姿を目にするなり、
私は、何なりと言いつけてくださるよう、申し出ずにはいられなかった。
(52‐54行、30ページ) ウェルギリウスは地獄第1圏のリンボにいる。リンボについては第4歌で詳しく描き出されることになるが、洗礼を受ける以前に死んだ幼児と、キリスト教の出現以前に死んだ義人の魂が、喜びもなく悲しみもなく、また肉体的な苦痛もなく過ごしている場所である。
 そのウェルギリウスの前にベアトリーチェが現れる。一目見て、その美しさが人知を超えたものであることを知ったウェルギリウスは、彼女の頼みが何であろうと、それにこたえようとする。ベアトリーチェは、ダンテが『新生』で彼女への(プラトニックな)愛を歌い上げた女性である。そこですでに彼女は若くして死んで、天国にいることになっていた。この「愛」を通じて、ダンテは生まれ変わったはずなのだが、その後、堕落の一途をたどった…というのが『神曲』の前提である。

 その両の眼は星よりもかがやき、
つつましく甘美に、
天使のような声で私にお話しかけになった。
 『おお、惜しみなきマントヴァのたましい[ウェルギリウス]よ、 
あなたの名声はいまも世界に残っていますが、
いつまでも消えることではないでしょう。
 幸運の友ではなく、私の友が
荒れ果てた野で、道を阻まれるあまり
恐怖にかられて逃げだそうとしているのです。
 そして彼について天で私が聞いたかぎりでは
もうすっかり迷い込んでしまっているために
私が助けに腰を上げるのが遅すぎたのではないかと危ぶんでいます。
 さあ進んで、あなたの立派な言葉と
彼を救うに必要な手だてをつくして、
彼を助けてやっていただけますまいか。私はほっとするでしょう。
 こう言ってあなたを送り出す私はベアトリーチェ。
ふたたび戻りたいと願う場所〔天国〕から参りました。
愛に動かされ、だまってはいられなかったのです。
 わが主のみまえに参じたときは
あなたのことをしばしば主に讃(ほ)めて話しましょう』
(55‐74行、31ページ) 美しい女性の「眼差し」に対する関心はシチリア派以来の伝統であり、ダンテもその一員であった清新体派が受け継いだ特徴である。「ダンテはベアトリーチェの美を表わすのに、人体のもっとも高貴な器官であり、人間の精神が最もよく映し出される「眼」の輝きを通して表現する」(37ページ)とこの個所の解説注は語る。
 ベアトリーチェの言葉は「慎ましく」、これは平明であることを意味している。ダンテがこの叙事詩を「俗語」(=トスカーナ方言)で描いたのも、平明で慎ましい言葉をよしとしたからである。
 「天使のような声」と言われても、だれも天使の声を聞いたことはない。読者の想像に委ねられた表現とみるべきである。
 「幸運の友ではなく、私の友が」とは「私を束の間の儚い外見で愛するのではなく、私そのものを私心のない無償の愛で愛する者」⇒「私の徳ゆえに私を精神的に愛するのであり、そこから(肉体的な)見返りを得ようとして愛しているわけではない真の友」を意味するという。ややこしいね。ダンテが『新生』で達したはずの「愛」の境地はこのようなものであった。
 しかし、ダンテはそのようないったん到達したはずの境地から逸脱を始めた。天にいるベアトリーチェには神の鏡を見ることで、ダンテの未来(=地獄に堕ちている姿)が見えている。このまま何も変わらなければ、ダンテは地獄に行くであろう。このために、彼女はウェルギリウスに、ダンテを救いの旅に連れ出すように懇願するのである。(運命は変えられるのである。)
 ベアトリーチェは、神にウェルギリウスのすばらしさを讃えるというが、(真の神を知らずにその生を送った)ウェルギリウスにとっては、神の命令に従うということ自体が喜びであり、報奨なのである。そして、ダンテを地獄・煉獄と案内していくことによって、またその旅の過程で多くの詩人たちと出会うことによって、ウェルギリウスは自らも学んでいく。「教師は教えることによって学ぶ。これこそがウェルギリウスにとって最大の報奨となる。」(38ページ)と解説されている。

 ウェルギリウスにとって、ベアトリーチェを通して、神の命令を伝えられること自体が喜びである。しかし、なぜ、天国にいるベアトリーチェがリンボまでやって来たのかという謎は残る。天国の存在であるベアトリーチェにとって、地獄は何の影響を及ぼすものではない。彼女は、聖母マリアがダンテの運命に心を痛め、その地獄行きの結末を何とか修正しようと考えられているのだと語る。次回は、聖母の意思がどのようにしてウェルギリウスに届けられ、ウェルギリウスの言葉に動かされて、ダンテが再び異界への旅に旅立つ決心を固めるに至るかを見ていくことにしよう。
 
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