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日記抄(9月3日~9日)

9月9日(日)晴れ、気温上昇、その一方で三ツ沢グランドの陸橋付近から富士山が遠望できるなど、秋の気配も近づいている。

 9月3日から本日までの間に経験したこと、以前の記事の補遺・訂正など:
 今日は重陽の節句なので、杜甫の「登高」を読み返してみた。むかし中国では、この日、家族や友人たちと近所の丘などに登って、酒を飲みかわす習わしがあった。その際につくられた詩で、丘の上で強い風に吹きさらされ、猿の悲痛な鳴き声を聞き、広がる林野やその先を流れる長江の流れを見つめながら、落魄の身を嘆く詩行が連ねられ、楽しみだった濁酒を飲むこともやめたばかりだと結ばれている。悲痛な歌である。こちらは、老いたとはいってもそんなに窮迫した御身分ではないが、病気に苦しみながら詩による自己表現をやめようとしない杜甫の気持ちを汲み取るのも悪いことではない。

8月22日
 NHK高校講座『コミュニケーション英語3』は”Let's Communicate"(8)で、「挑戦してみよう! 夢を語る」のコーナーでは、生徒役で出演している水口夕菜さんが、自分の夢を語った。世界中のいろいろな言葉を覚えて、世界を旅していろいろな人たちと交流したいという内容で、特に勉強したい言語として、Chinese, Korean, Spanish, Arabicをあげていたのが印象に残った。
 この番組は再放送を続けていて、録音時には高校生だった水口さんは、もう高校を卒業しているはずである。どんな進路を選んだのであろうか。

8月27日
 NHKラジオ『まいにちイタリア語』の時間に
La pizza Margherita è ottima. (ピッツァ・マルゲリータはとてもおいしい。)
という文が登場した。ピッツァ・マルゲリータのバジリコの緑、モッツァレラ・チーズの白、トマト・ソースの赤がイタリアの国旗のようだと、第2代イタリア国王ウンベルトⅡ世の王妃であったマルゲリータ・ディ・サヴォイア=ジェノヴァ(1851‐1926)のお気に入りだったということで、この名がついたといわれる。なお、彼女の誕生日である11月20日は「ピザの日」ということになっている。

9月1日
 NHKラジオ『朗読の時間』では、漱石の「草枕」が始まった。以前放送されたものの再放送ではないかと思うのだが、聞くたびに、新たな発見がある。

9月3日
 東京の病院に出かけ、診察、採血、栄養相談を受ける。体調は横ばい。

 NHKラジオ『まいにちスペイン語』入門編の9月放送分は長崎を舞台としていて、日本人のナオトとアリサのカップルが、この市に住んでいるホンデュラス人のマリアに市内を案内されるという設定である。これまでの日本人がスペイン語圏の人々を案内するという設定を逆転させたわけである。

 坂口安吾『不連続殺人事件』(新潮文庫)を読み終える。登場人物が多すぎるし、殺人事件も起こりすぎるという問題点はあるが、傑作と言ってよかろう。同じ作者の『樹の如きもの歩く』は未完であるが、もっと傑作だといわれる。そのうち探して読んでみよう。機会を見つけて本格的な論評を書くつもりでいるが、思いついたことを1つ2つ…:
 語り手の作家:矢代寸平の妻の名が京子であるが、むかし、新東宝に矢代京子さんという女優がいた(最近、シネマヴェーラ渋谷で催された新東宝映画の特集上映の際のトークショーに顔を見せたらしい)。たぶん、安吾の小説からの命名ではないかと勝手に推測している。
 この作品は1947(昭和22)年から翌年にかけて、雑誌『日本小説』に連載された。その際、安吾は読者および自分の知人に対して犯人を当ててみろという「挑戦状」を送った。特に名指しで挑戦状を送られたのは江戸川乱歩、木々高太郎、カングリ警部(作中人物で本名が平野雄高ということは、平野謙+埴谷雄高)、八丁鼻先生(これも作中人物で本名は荒広介ということは、荒正人+大井広介)、読ミスギ先生、アタピン先生(後二者も作中人物で、その名を借りた人物がいるのかもしれないが、未詳)
 その後、追加で挑戦状を送られたのが江戸川乱歩に犯人当ての名人だといわれた角田喜久雄、それに式場隆三郎。
 この犯人当ての評判が広がって、次のようなことになった:
「伊東の住人尾崎士郎先生、訪客に告げて曰く、坂口の探偵小説は、ありゃキミ、犯人は「私」にきまってるじゃないか。坂口安吾の小説はいつも「私」が悪者にきまってらア。だから、は、犯人はアレだ、「私」だよ、ウン、もう、分った。おい、酒をくれ。
 三鷹の住人太宰治先生。雑誌記者に語って曰く、犯人はまだ出て来やしねえ。最後の回に出てくる。たった一度、なにくわぬ顔を出す、そいつだよ。きまってるんだ。最後の回にたった一度、何くわぬ顔のヤツ。オバサン、ビール。じゃんじゃん、たのむ。
 この両探偵は作者の挑戦状を受けるだけの素質がない。一目リョウゼンだから、細説は略す。」(202ページ)
 家人曰く。そんなのは、回答を受け取った後で、犯人を適当に変更すればいい。
 せっかく、安吾が苦心して物語を作っているのだから、その筋立てを無視して乱暴な結論を導き出すのはやめませう。

9月4日
 『朝日』朝刊で新たに始まった火曜日掲載のコラム「呉座勇一の歴史家雑記」でベストセラー『応仁の乱』の著者は、「記憶力がいい…ではなく気質」という見出しで、歴史家だからと言って記憶力がいいわけではないが、マニア気質の人が多いということはたしかであると述べている。好きなことだと集中力が高まり、記憶もよくなるというのは歴史以外の領域においても当てはまることではないかと思う。さらに言えば、記憶を蓄えるだけでなく、活用する機会が多くなるのも好きだからこそである。

 『日経』に短期連載されている「絵画を彩る額縁 十選」は、ロココ様式の額縁に入れられたジョン・オノレ・フラゴナール「ブランコ」を紹介している。ブランコ(鞦韆)で遊ぶ人物を描いた絵画は日本画にもあり、比較してみるのも面白そうだ。

9月5日
 経団連の中西宏明会長が新卒学生の採用選考をめぐる指針を廃止する方向を打ち出したことについて、『朝日』は慎重論、『日経』は前向きの論調を展開しており(全部が全部そういう議論というわけではない)、今後の行方が注目される。この日は『朝日』の「天声人語」と『日経』の「春秋」がこの問題を取り上げていた。その内容・論調はさておき、「春秋」が小津安二郎のサイレント時代の作品「大学は出たけれど」に触れて、この映画の時代と現代で「案外世間が変わっていないことに気づく」と述べていたのが印象に残った。小津のこの作品は彼の伝記映画『生きてはみたけれど』に断片的に引用されているのを見た記憶があるが、そもそも70分の映画の11分余りの分しか残っていないそうで、残念でならない。

 円居挽『京都なぞとき四季報 古書と誤解と銀河鉄道』(角川文庫)を読み終える。大学のサークル「賀茂川乱歩」に所属する1回生の遠近君は、同じ1回生の青河さんに思いを寄せ、告白しようと思うのだが、なぜかドジが続き、誤解も生じて、そこを他人に乗じられたりして話が混乱する。そのうえ、サークル随一の美人である灰川さんとの距離が縮まったりする…。私の学生時代と比べてみると、建物が一新されただけでなく、サークル活動なども大いに様変わりし、学生の多くは下宿ではなくアパートに住むようになり、複数の牛丼屋も出現しているというようなことを考え、過去と現在とを対比しながら読んでいた。

 NHKラジオ『実践ビジネス英語』の”Quote...Unquote"のコーナーで紹介された言葉:
Be daring, be first, be different.   
   ---- Ralph Waldo Emerson
(U.S. philosopher, poet and essayist, 1803- 82)
(果敢であれ。最初たれ。他と異なっておれ。)

9月6日
 『朝日』朝刊の「オピニオン&フォーラム」では「学ぶ場所 学校だけ?」という見出しを掲げて、フリースペース「ひよこの家」教育相談員の芳村寿美子さんが学校に「なじめない子 救う場必要」という問いを発しているのに対し、聖心女子大の永田佳之さんが海外の例などを挙げて、多様な学びの場が確保されていることが、豊かな発想を生むと述べているが、これは問いを補強しているだけで、答えになっていない。「救う場」を設けるにはそれを設置する新しい法律を作るか、現行の法規を改正するか、あるいはその解釈・運用を変更する必要があり、ここは教育法規の専門家の出番なのである。具体的な法律論を述べる人が出てこないで、あいまいな理想論を述べる人が出てくるというのは、この問題がまだ解決から遠いということを示しているのかもしれない。

 『週刊文春』の広告見出しによると、「女が嫌いな女」2018の上位に安倍昭惠女史が進出している由である。本来、安倍昭惠のように目立った美人とはいえず、さして頭の働きがいいとも言えない女性は、「女が嫌いな女」にランク・インするタイプではない(まあ、目立ちたがりで、分ってもいないことについてやたら発言することは反感を買うかもしれないが…)。それが入っているというのは、社会心理学的に見て興味ある現象と言わなければならない。

 『実践ビジネス英語』の”Quote...Unquote"のコーナーで紹介された言葉:
He that is good for making excuses is seldom good for any thing else.
---- Benjamin Franklin
(U.S. statesman, diplomat, inventor and scientist, 1706 - 90)
(言い訳が得意な人で、他のことも得意な人はめったにいない。)
 フランクリンはこの種の人に腹をたてていたのだろうが、言い訳をせずに、嘘をついたり、他人のせいにしたり、逆切れしたりする、もっと悪質な人は少なくないようである。)

9月7日
 日本商工会議所の三村明夫会頭が、就活の採用指針は「必要」であり、それを示すことのできる団体は経団連しかないと発言した。どうしても必要ならば、自分たちで指針を考えてもいいくらいの覚悟をもってもいいのではないか。

 『朝日』の朝刊によると、山田洋次監督が『男はつらいよ』の50作目の撮影を考えているとのことである。それよりも、『面白い男 渥美清グラフィティ』とか何とか、俳優・渥美清の足跡を振り返る映画を編集してみてもいいのではないか。小林信彦さんなど、関係者のインタビューを交えるのは当然として、やはり出演作を総ざらいしてみるべきではなかろうか。私の見た映画では『つむじ風』(中村登監督)、『沓掛時次郎 遊侠一匹』(加藤泰監督)、『経営学入門より ネオン太平記』、『トラ・トラ・トラ!』(深作欣二・舛田利雄監督)、『家族』(山田洋次監督、「家族」が青函連絡船の中で出会う男)、『あゝ声なき友よ』(今井正監督)の戦友たちの手紙を遺族を探し出して届けようとする男)など硬軟いろいろな役があって面白い。川島雄三監督の『縞の背広の親分衆』のように出演しているということなのだが、どこに出ていたのか記憶のない作品もあり、見ていない作品も含めて、あれ、こんな映画にこんな役で出ていたのかというようなものも探し出して編集してみたら面白いだろうと思う。『男はつらいよ』でも、TV版と映画版とを比較してみるのもいいし、企画はどんどん出てくると思う。

 ルーテル市ヶ谷ホールで「別府葉子シャンソントリオ 2018 Summer Tour in Tokyo」を聴く。別府葉子さん(歌とギター)、鶴岡雅子さん(ピアノ)、中村尚美さん(ベース)のトリオに、東京公演の際だけの特別参加でヴァイオリンの会田桃子さんが客演。第1部はパリのダンス・ホールをイメージしたということで、少し古い歌を中心のプログラムだった中で、ルネ・クレールの『巴里祭』の主題曲が歌われたのが別府さんの映画好きの表れかとも思われた(その旨の解説がなかったのが残念)。また、オリジナルの「ファン・ゴッホに捧ぐ~ルララひとり」にはこの画家への思い入れが感じられた。(ゴッホの天才を認めるのにやぶさかではないけれども、どっちかというと私は、ゴーギャンのほうに興味がある。というのはゴーギャンの祖母は初期社会主義者で、フェミニズムの先駆者のひとりであったフロラ・トリスタンで、彼女の研究をしてみたいと思いながら、なかなか果たせないでいることのためである。)
 第2部は「百万本のバラ」に始まって、「パリ」、「ばら色のJE T'AIME!」(オリジナル)、「アルフォンシーナと海」、「白い恋人たち」、「ゴースト・ライダーズ・イン・ザ・スカイ」、アンコールに「アムステルダム」が歌われた。いつもながらの熱演であったが、昨年に比べて客席がやや寂しく、そのせいか盛り上がりが今一つだったのが残念である。次回の公演を期待することにしよう。

 『実践ビジネス英語』の”Quote...Unquote"のコーナーで紹介された言葉:
We are what we repeatedly do. Excellence then is not an act but a habit.
     ―― Aristotle (Greek philosopher, 384 -322 B.C.)
(人は繰り返し行うことの集大成である。だから優秀さは、行為ではなく習慣なのだ。)
 必ずしもそうとは言えないが、努力の積み重ねが重要だという意味で、記憶しておく必要のある言葉である。

 NHK高校講座『古典』は「古文」の部の新年度の学習のオリエンテーションで、3人の講師が古文を学ぶことの意義や、面白さ、どのように勉強していけばいいのかについて話していた。しかし、放送を集中して聞くこととか、テキストを手元に置いて時々メモを取ることとかいうのは、当たり前のことで、それを最初に指示しなければならないというのは、先が思いやられる状況だなぁと思った。(それを言えば、古文と漢文を「古典」としてひとまとめにするというのが問題ではないか。ヨーロッパの学校でラテン語とギリシア語を「古典」としてひとまとめにする例はあるが、両者は同じインド=ヨーロッパ語族に属する言語である。日本の古文と漢文は、系統論から言えば、まったく別の言語である。)

9月8日
 馬場紀寿『初期仏教 ブッダの思想をたどる』(岩波新書)を読み終える。仏教がどのようにして生まれたか、その初期における教説はどのようなものであったのかを知るのに手ごろな書物であり、その初期の思想と、現在の仏教が大きく異なっていることもわかるが、では、著者はなぜ、初期仏教を自分の研究課題として取り上げているのか、なぜ我々にとって初期仏教が学ぶべき対象なのかというところがもう一つよくわからない。(同じことをほかの宗教や思想に当てはめて問いかけてみるべきである。)

 横浜FCは味の素スタジアムで東京ヴェルディと対戦し、1‐2で敗れる。守備の乱れで先制点を許したというところが問題である。

9月9日
 『日経』の日曜特集記事「美の粋」で、「神話が書き立てる創造性」として、サンドロ・ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」、それに河鍋暁斎の「伊弉諾命と伊弉冉命」、アンコール・ワットの浮彫「乳海攪拌」を取り上げて、それぞれの神話の共通性を指摘していた。混沌とした<海>をかき回すことによって、新しいものを創造するという神話が、あちこちに広がっていることをめぐっては、既に多くの指摘があるが、それを自然発生的なものと見るか、文化の伝播によるものと見るかは、さらに検討を要する問題である(この記事では、かなり無批判に伝播によるものとしてしまっている。)
 素戔嗚尊が八岐大蛇を退治したという神話は、ギリシア神話のペルセウスが海の怪物を退治してアンドロメダを救ったという話に似ているが、多くの学者がこれを伝播によるものだと論じているのに対し、松本清張が偶然の一致だと論じた例もある。伝播だというのには、両者の距離が離れているので、その中間の場所にある類似の神話を見つけていく必要がある。

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