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『主よ 一羽の鳩のために――須賀敦子詩集』

8月28日(火)雨が降り出しそうだが、まだ降っていない。

 8月27日、『主よ 一羽の旗のために――須賀敦子詩集』(河出書房新社)を読み終える。イタリア文学者として多くの翻訳を残し、また自分自身の経験をもとに書き綴られたエッセーによって数多くの読者を獲得した須賀敦子(1929‐98)の没後20年を記念して、彼女が和紙、タイプ用紙、ノートなどに書き記したまま、生前には発表することなく残しておいた詩を詩集にまとめたものである。

 1958年9月、留学生としてローマに到着した須賀敦子(1929‐98)はこの年の12月に、生涯の友人であり、詩人であったダヴィデ・マリア・トゥロルド神父と初めて会っている。1959年は大体ローマで勉強と友人たちとの往き来に明け暮れ、8月にはロンドンに遊学、スコットランドで遊んで10月に戻った。この詩集に収められている詩は、この年の1月から12月までに書かれたものである(この年以外に、彼女が詩を書いたかどうかは定かではない)。そして彼女が手元に残していた詩を、それぞれに書き付けられていた日付の順に並べて編まれている。それで、この書物の表題も、収められている詩の配列も、著者の意図を反映したものではない。しかし、そのような成立事情から、詩を書いたときの須賀の心情をあれこれ想像することはできる。

 異言語の中で孤立した状態が、自己内対話を促し、それが詩の姿を取って書き留められることになったというのは、2度ほど海外で単独生活をした私の経験からも想像できる。もちろん、それまで詩をはじめとする日本語の文学作品になじんでいたからそうなったのであって、もっと別の自己表現を試みる人もいるのは当然のことである。(藤田嗣治が絵手紙を盛んに書いたのは、よく知られている。) 1960年から彼女はトゥラルド神父の紹介でミラノのコルシア書店に出入りするようになり、そこでの新しい生活の進展が、いつの間にか彼女の「詩の別れ」の時を告げたように思われる。

 ここに収められた詩を読んでいて、気づくことの第一は、子どもの頃から草花や小動物に親しんで育ったらしい人物が持つことのできる、細かい観察が対象に及び、それがやさしい(優しい、易しい、どちらの意味もある)ことばで表現されていることである。
雨がやんで
ゆふやけのそらは
やっと
すひかづらの花むらに
あまい香を
もってかへる。それで
空気も
ほっと息をついて
町中に
子供らの
透明な声を
溢れさせる。
(雨がやんで 90‐91ページ)

 そのような観察眼が、イタリアの青い空や、ブドウ畑、オリーヴの木々、それまで目にしたことのない、新しい対象を得たときに、どのようにはばたくかは容易に想像できることである。しかし、彼女の詩は単なる叙景にとどまっていない。彼女の詩には、どこか童話的なところがあり、そして多くの作品に子どもたちが登場している。成人した彼女が、もう二度と帰ることのできない無垢な存在として、子どもたちは描かれている。そして、そのような子どもたちの姿が、彼女の独特のカトリック信仰のあり方と結びついて表現されているのが、「もしやあなたが…」と題された次の詩であろう。
もしや あなたが
かくれて おいでではないかと
午後の日射しの
乳母車を
ひとつ ひとつ
のぞいて とほる。
・・・
このくるまには
しのびわらひが
このくるまには
なき声が。

かくれておいでどころか
あなたは 小さな手で
わたしの胸を しかとつかまへ
あるいて、もっと
あるいてと
泣いてせがまれる。
(110‐112ページ)
 乱暴な言い方をしてしまうと、カトリックは神の愛を具体的に受け止めようとするところがあり、プロテスタントはより抽象的な思考の中に神の愛を描き出す。乳母車の中の赤子たちの中に神の子を見出そうとした須賀は、むしろ現実の子どもたちに引き寄せられる。セツルメント活動家としての須賀のもう一つの側面は、このあたりのことから始まったのかもしれないと思ったりする。信仰を性急な形で神の存在と結びつけるのはむしろ軽挙である。接近は慎重であるべきである。

 表題となっている詩は、ロンドンのヴィクトリア駅で他と違った羽色の鳩を見かけたことから作られた「同情」という詩の一行である。「主よ 一羽の鳩のために/人間 が くるしむのはばかげてゐるのでせうか。」(101ページ) セツルメント活動と書いたが、須賀には弱者・少数者の立場に立とうとする強い志があり、そのような気持ちは、ここに集められた他の詩からも読み取ることができる。あるいは詩を書くことよりも社会的な活動の方が大事だと思うようになって、須賀は詩を書かなくなっていったのかもしれない。
 私自身には、いろいろな経緯から、いったん書くことをやめた詩が、いつの間にかまた自分の近くに感じられるようになったという経験があり、須賀にはそんな機会がなかったのはなぜかという気がしないでもない。

 何度も読み返してみたい詩集である。
 
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