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山内譲『海賊の日本史』(6)

8月25日(土)晴れ、暑い。

 第4章「戦国大名と海賊」は章題の通り、戦国大名と海賊との関係を取り上げているが、この時代の東国と西国の違いに対応するように海賊にも違いがあることを述べているのが特徴的である。
 前々回は西国の海賊たち、瀬戸内海を中心に活動した村上三氏:独立性の強い能島村上氏;伊予の河野氏の重臣であったが、後に豊臣方に寝返って大名となった来島村上氏;毛利氏と結びつく因島村上氏、その他の海賊たち:生口氏、乃美氏、多賀谷氏、塩飽の海上勢力、忽那氏、二神氏、若林氏、岐部氏、渡辺氏などの活動を概観した。
 これに対して前回は東国の海賊たち、相模湾と江戸湾の大部分を支配し、駿河湾にも進出しようとした北条氏の水軍:愛洲氏、高尾氏、小山氏、三崎十人衆、山本氏、梶原氏などと、今川氏を駆逐して駿河の支配権を握ったために海上勢力を必要とするようになった武田氏の水軍:岡部(土屋)氏、伊丹氏、間宮氏、小浜氏、向井氏などの活動を概観した。また東西の中間と言える伊勢湾でも九鬼氏などの活動がみられたことが触れられた。

 今回は、この章の第3節「海賊から見る西と東」の内容を検討する。
 山内さんが西国と東国の海賊の違いとして挙げている第一の点は、西国の海賊が航行する船から通行料を取るという「賊」的な行為を日常的に行っていたのに対し、東国の海賊はそのような通行料を徴収することはなく、水軍としての役割を果たすだけであったということである。 
 もう一つ目につくのは、東国における海戦では、敵船を陸に追い上げるのが戦法であり、それに成功すれば勝利と考えられていたのに対し、西国では炮録火矢という塩硝・硫黄・炭などを混ぜて作った爆弾のようなものを相手の船に接近して投げ込んで、敵船を焼き討ちにする戦法が採られたということである。

 豊臣秀吉による天下統一=戦国時代の終わりは、当然のことながら各地の海賊のあり方にも影響を与えた。第4節「海賊たちの転身」はこのような時代の変化の中で海賊たちがどのような生き方をするようになったのかを追う内容である。
 瀬戸内海の海賊衆のうち、早くから毛利氏との結びつきを強めていた因島村上氏は毛利氏の家臣団の中に残った。来島村上氏も信長の毛利攻めの際に、秀吉の誘いを受けて織田方には知ったために、豊臣大名化することに成功した。
 これに対し、能島村上氏は秀吉の海賊禁止令の主な標的とされ、居場所を失って苦難の道を歩むこととなった。軍事的にも経済的にも既得権を失っていく。この海賊禁止令の影響を受けたのは、能島村上氏だけでなく、肥前の深堀氏も同様で、秀吉が、瀬戸内海だけでなく長崎近海を含めた広い海域での海上交通の安全確保を意図していたことがわかる。
 海賊禁止令以後、能島村上氏は瀬戸内海から離れざるを得なくなり、各地を転々としたが、秀吉が死去した後の慶長3年(1598)にやっと瀬戸内の安芸国竹原(広島県竹原市)に帰ることができた。この過程で能島村上氏は、毛利氏の家臣団の中に入ったものと思われる。

 一方、東国の海賊の場合はどうだったのかというと、北条氏の配下にあった山本氏の動向は不明で、梶原氏は紀州に帰って、土地の郷士として過ごし、海上に再び乗り出すことはなかったようである。
 これに対し、武田氏に属した海賊たちは、武田氏の滅亡後、駿河に進出してきた徳川家康に属して、新たな活躍の場を得る。小浜氏、向井氏、間宮氏、千賀氏などであるが、この後、小浜氏は大坂警固の船手衆となり、千賀氏は尾張徳川氏に仕えることとなり、向井氏が船手頭となって徳川幕府の水軍衆を率いることになった。(間宮氏については書いていないが、既に述べたように、徳川幕府の旗本となったはずである。)

 「秀吉の全国統一やそれにともなう海賊禁止令の発布が海賊の行く末を左右する第一段階であったとすれば、第二段階はやはり関ヶ原合戦である。」(181ページ) 
 来島村上氏は朝鮮出兵の時に水軍の主力として動員され、かなりの犠牲を払い、さらに関ケ原の戦いでは西軍に属したために苦境に陥るが、かろうじて豊後国内玖珠郡森(大分県玖珠町)に領地を得て、1万4千石の大名として存続することになる。(このことについては司馬遼太郎の『街道をゆく8 熊野・古座街道、種子島みち ほか』に所収の「豊後・日田街道」の中に触れられているので、興味のある方はお読みください。)
 能島村上氏は関ケ原以後、毛利氏が領地を削減され、家臣団を再編することになったあおりを受けて、一族や家臣の多くが離散することになった。こうして主家を離れた武士たちは出仕先を転々として過ごした例が少なくない。

 こうしてみると、幕藩制社会初期においては、幕府の海上軍事体制の主な部分は、依然として元の海賊たちによって支えられていたことがわかる。「近世社会にあっても近世社会なりに海上とのかかわりが必要とされ、その関連で一定の海上勢力の存在が求められたということであろう。」(187ページ) そのような海上勢力の具体的な姿については、部分的にではあるが、終章「海賊の時代」の第3節「海賊たちの遺したもの」で触れられている。それはまた次回に取り上げることにする。 
 
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