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日記抄(8月6日~12日)

8月12日(日)曇り

 8月6日から本日までに経験したこと、考えたこと、以前の記事の補遺・訂正など:
8月6日
 NHKラジオ『まいにちスペイン語』では、広島平和記念資料館を見学した日本人2人とキューバ人の若者3人が、その感想を語り合い、一人が次のように提案する。
Chicos, vamos a hacer grullas de papel para la paz
(ねえ、君たち、平和のために折り鶴を折りましょう。)
 chico, -a は「若者」、vamosはir(行く)の一人称複数現在形の変化で、vamos a +不定詞で「~しよう」という意味を表す。 hacerは「作;する」、grullaは「鶴」、deは「~の」、papelは「紙」、grulla de papelで「折り鶴」ということである。
 8月3日の『日経』朝刊に「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんと小学校で同級だった川野登美子さんが「平和の象徴になった級友」という文章を書いていた。佐々木さんは2歳の時に被爆し、小学校卒業間近で白血病で倒れ、入院中に回復を祈って1000羽を越える鶴を折ったが、その願いもむなしく12歳で世を去った。「原爆の子の像」は同級生を中心とした募金運動の結果建てられたものである。

 東海林さだお『メンチカツの丸かじり』(文春文庫)を読み終える。「日本のおもてなし弁当」にフライが入っていたり、漬物代表が松前漬けであったりする微妙な問題を突っ込んだ「ボートに乗ったおさかな」、馬肉料理専門店で合コンを開いている男女(の男たち)にざまぁみろという「馬を食べる人々」、本物のワサビを使って刺身を食べる人とチューブ入りワサビを使う人との格差を突いた「ワサビ、この階級社会」など、観察と描写の妙をこらした独特な文明批評が展開されている。「サッカー狂乱す」という文を読んでいてあれ!(文庫本になるのが)早いなと思ったのだが、これは2014年のW杯の際のエッセーであった。どうも我々は4年ごとに同じようなことをしているようである。

8月7日
 『朝日』の朝刊に日中平和友好条約を締結した後、帰りの飛行機の中で当時の大平正芳外相が「30年後大変に」なるだろうという見通しをつぶやいたという話が出ていた。東谷暁『予言者 梅棹忠夫』(文春新書)には大平が政権に就いた後に9つの政策研究グループを組織するという前例のない試みを実行した話が出てきて、そのグループの1つが梅棹を議長とする「田園都市構想研究グループ」であったという。1980年の選挙中に大平が急死したため、「田園都市構想」は立ち消えになったが、もう少しその成り行きを見てもよかったと思うのは、大平という予見力のある政治家と、梅棹という予見力のある研究者の結びつきはあまり例のないものだからである。

8月8日
 8月4日に俳優の津川雅彦さんが心不全のため死去されていたことが発表された。78歳。
 調べてみたところ、津川さんの出演した映画作品を10本見ているが、実兄である長門裕之さんの映画は21本見ている。なお、朝丘雪路さんの出演した映画で見たことがあるのは1本だけだが、南田洋子さんの方は12本ある。
 ただ、津川さんの出演作ではまだこの芸名を名乗っていなかった時代の溝口健二の『山椒大夫』のような古い作品から、『風が強く吹いている』とか、『0.5ミリ』のような比較的最近の作品も見ていて、長い期間にわたって付き合ってきた俳優だったとはいえる。『山椒大夫』で思い出したのだが、溝口作品に出演したことのある男優で存命者はあと、だれがいるのだろうか。

 三浦しをん『あの家に暮らす四人の女』(中公文庫)を読み終える。この作品については、機会があれば取り上げてみるつもりである。(そういえば、『風が強く吹いている』も三浦さんの作品であった。)

 翁長雄志沖縄県知事が死去された。

8月9日
 NHKラジオ『高校生からはじめる現代英語』は8月に第1週と第2週に特別企画としてカズオ・イシグロさんのノーベル賞晩餐会スピーチを取り上げている。
 イシグロさんは5歳の時に、絵本を読んでいて、母親から「ノーベルショウって、ヘイワを広めるものなのよ」と教わった(第1回)。
This was just fourteen years after our city, Nagasaki, had been devastated by the atomic bomb, and young as I was, I knew heiwa was something important; that without it fearful things might invade my world.
(これは私たちの市、長崎が原子爆弾によって壊滅させられてからわずか14年目のことでした。そして私は幼かったけれども、「ヘイワ」は何か大切なことであり、それがなければ恐ろしいものが私の世界に侵入するかもしれないと知っていました。)
 このスピーチは英語でなされているので、英語から見れば異言語である日本語の「ヘイワ」はイタリック体で表記されている。

 そしてノーベル賞の理念が幼い子どもでも理解できる単純なものであることに続いて、それを受賞するときの誇りがオリンピックのメダルとは違うともいう。同国人がオリンピックのメダルを受章した時に感じる誇りは、自分たちの部族(our tribe)が他の部族よりも優れているということであるのに対し、ノーベル賞の場合は、
Rather, it's the pride that comes from knowing that one of us has made a significant contribution to our common human endeavour. The emotion aroused is a larger one, a unifying one.
(むしろ、それは「私たち」の1人が、共通の人類の努力に意義深い貢献をしたと知ることからくる誇りです。(ノーベル賞受賞で)喚起される感情は、より大きな、(人類を)1つにするものです。)
という。(第2回)

 そして現代の世界が、「高まりつつある部族(間)の敵意の時代」(a time of growing tribal enities)にあるとしながら、ノーベル賞は「私たちを分断する壁」(our dividing walls)を越えて考えることを助ける理念であり、この理念に基づいての受賞を自分は誇りに思うという。受賞決定後、イシグロさんはノーベルショウについて初めて教えてくれた、そして91歳でまだ存命中の自分の母親(長崎での被爆者の1人である)に電話でこのことを知らせた。
I more or less grasped its meaning back then in Nagasaki, and I believe I do so now.
(私は、むかしのあの時に長崎で、多かれ少なかれその意味(ノーベル賞の意義)をつかみました。そして今、そうしている(意義を理解できている)と信じています。)
 そして次のようにスピーチを結んでいる。
I stand here awed that I've been allowed to become part of its story.
Thank you.
(私は、その(崇高な)物語の一部になることを許されて、ここに畏れおののき立っております。/(ご清聴)ありがとうございました。)

 「物語の一部」というのは、いかにも作家らしい表現である。イシグロさんはこのスピーチをもちろん、英語で行ったのだが、かつてアメリカの作家シンクレア・ルイスがノーベル賞を受賞した時、当時のことだから授賞式に向かう船の中でリンガフォンでスウェーデン語を学習し、スウェーデン語でスピーチをしたという話がある。ルイスはピューリッツァー賞を辞退した最初の作家であり、ノーベル賞を受賞したアメリカではじめての作家であったが、そういう行為には彼なりの理由があったのである。

8月10日
 小野寺健編訳『フォースター評論集』(岩波文庫)を読み終える。この中の「イギリス国民性覚書」(この場合のイギリスはイングランドということである)の中に、ジェイン・オースティンの『分別と多感』に触れた個所があり、『分別と多感』を読みたくなって読んだことはすでに書いた(はずである)。「これから二十年もすれば世の中は大きく変わって、イギリスの国民性もそう独自のものではない、もっと好感の持てるものになるのではないか」(83ページ)という予測は当たっているかどうか微妙なところである。
 アラビアのロレンス=T・E・ロレンスを回想した「クラウズ・ヒル」というエッセーの中で、ロレンスの隠れ家であるクラウズ・ヒルにある晴れた日、トマス・ハーディー夫妻がやってきたという個所など、怖いくらい役者がそろっているという印象がある。(「そりゃもう、どのくらい違うかってぇと、もう、トマス・ハーディとオリヴァー・ハーディぐらい違うの。え。どっちも知らない。あ、そう。ま、いいでしょ。」(筒井康隆『文学部唯野教授』、岩波現代文庫版、38ページ)
 プルーストやヴァージニア・ウルフについて論じた文章もそうだが、ジョージ・オーウェルについて論じた評論を読んでいると、まずオーウェルの書いたものを読んで考えておかないと、よくわからないという気がする。ま、当たり前と言えば当たり前だ。その当たり前のことを続けていくことにしよう。

8月11日
 『朝日』朝刊の番組案内のページのコラム「よこしまTV」に「障害者と『役に立つ』」という記事が出ていた。8月5日にEテレで放送された「バリバラ」では戦争中に障害者も徴用されたという事実を取り上げていたという。「戦争のときは、戦争の役に立つか立たないか。今は今で、経済的な活動の役に立つか」で人間が評価されるという問題提起は重い。人間、年を取るとますます「役に立たなく」なるので、余計この問いかけは身に染みる。

 『日経』の朝刊に郷原信之さんによる「アジアから見た 新しい世界史」という歴史観を問い直そうという論説が掲載されていた。それを言うならば、「アジア」という区分けの仕方がやはり問い直されなければならないだろう。東アジア、東南アジア、南アジアは異質な世界だし、東アジアの中でも日本と中国は違うということが言われてきているのではないか。

 横浜FCはアウェーでロアッソ熊本に5-3で勝利して勝ち点3を挙げ、5位に順位を上げた。5得点(イバ選手がハット・トリック達成といってもセット・プレーからのゴールが2、PKが1というものである、レアンドロドミンゲス選手が2得点)は評価できるが、3失点はいただけない。

8月12日
 日米通商協議をめぐる専門家の見方として『日経』に渡辺博史・国際通貨研究所理事長が「今の米国の政策は経済学的には無意味だ」というかなりはっきりした意見を述べていた。だから、協議は持久戦に持ち込んで、アメリカの国民(世論)がトランプの政策の本当の意味に気づくまで待とうということらしい。アメリカが短期決戦、日本が持久戦というのは太平洋戦争と逆の構図である。

 同じっく『日経』の「遊遊漢字学」という連載コラムで漢字学者の阿辻哲次さんが「衣食足りて礼節を知る」という格言をめぐり、これが『管子』(牧民)の中の「倉廩実つればすなわち礼節を知り、衣食足ればすなわち栄辱を知る」に由来すること、『管子』は春秋時代の斉の宰相であった管仲のことばをまとめた書物とされること、ここで展開されている思想は軽罪が豊かになれば、人心が落ち着いて社会が安定するというものであることなどが説明されている。しかし、最近の日本を見ていると、経済的には豊かだけれども、礼節や栄辱ということが人々に行き渡っているようには思えないと結ばれていて、いろいろなことを考えさせられた。現代の日本社会の豊かさが見かけだけのものだという見方もできるが、それよりも、物質的な豊かさが精神的な豊かさの基盤になるという考えを疑ってみた方がいいという考えに私は傾いている。
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