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ダンテ・アリギエーリ(須賀敦子・藤谷道夫訳)『神曲 地獄篇(第1歌~第17歌)』(1-2)

8月7日(火)曇り、時々雨、立秋にふさわしく急に涼しくなったが、台風13号の接近が心配である。

 前回は、須賀・藤谷訳『神曲 地獄篇』第1歌の最初の12行を、原訳、壽岳訳等の他の翻訳と比べながら、取り上げた。

 1300年4月4日(月)の夜、ダンテは暗い森の中をさまよっていた。彼は強い眠気に襲われていたので、なぜそのような森の中に迷いこんだのかは思い出すことができない。
 森に迷いこんだのちのダンテの経験を人生70年のなかば(具体的には35歳)での出来事とする解釈が一般的な中で、この須賀=藤谷訳は、1300年を人間の歴史の中間点ととらえているところが大きく違う。「暗い森」は各個人の暗い人生とともに、当時のフィレンツェを中心とするトスカーナ地方(ひいてはイタリア全体)を寓意している。前回、ダンテの時代のトスカーナ地方には「森」は存在していなかったとする原さんの言葉を引用したが、「暗い森」=イタリアというのは比喩的表現であるから、フィレンツェを森が囲んでいなかったとしても、問題はないのである(したがって、前言撤回)。眠気は、人間が神なしで自力だけで生きていけると思う高慢さのことだという。

 森に迷いこんだダンテは、しかし、自分の力だけでこの森を抜け出せるという希望をもちはじめる。

 だがまもなく、ある丘の麓に到った。
そこで、私の心を恐怖でさいなんだ
あの谷〔暗い森〕が終わっていた。
(13‐15行、11‐12ページ)

 その丘の両肩は、太陽の光(思い出すのも恐ろしい一夜の彷徨の後の朝日の光)を浴びていたので、その丘に登ってしまえば安心だという気持ちになり、ダンテは後ろの「暗い森」を振り向く。そして、丘の斜面を登っていこうとするが、その足取りは軽やかなものではない。光そのものを目指すべきであるのに、光に照らされた丘を登るというところに、ダンテの人間としての驕慢さが現れているという。(太陽が地平線上に姿をあらわすのはもう少し後のことになるが、丘の上の方はすでに光を浴びているという状態である。) 粟津則雄は『ダンテ地獄篇精読』の中で、「強く結晶した比喩と日常的で具体的な感覚との直截な結びつきは『神曲』全体をつらぬく」(粟津、4ページ)と指摘し、この個所で早くもその特色が発揮されているという。

 疲れた体を少し休めてから
私はふたたび道を取り、だれもいない斜面を進んだが、
動かない片足は常に低きにとどまっていた。
(28‐30行、12ページ)
 なぜか、ダンテは片足を引きずっている。これは霊的な跛行であると注記されている。「人類は原罪を負った結果、魂が十全に機能せず、魂の左足は地上的なものに惹かれやすくなったとされた。このようにダンテの旅は片足状態から始まり、煉獄界の地上楽園で初めて両足で立てるようになる。」(19ページ)

 その彼の前に豹(lonza)が現れて、前進を遮ろうとする。この豹は「嫉妬」を表しているとされる。しかし、その時に、朝日が昇りはじめる。
 時はまさに朝まだき[午前6時頃]で、
最初にすべての美しきもの[星辰]に
神の愛が動きを与えた[宇宙の創造の]時にも
 共にあったあの星座[牡羊座]を従えて太陽は空へと昇っていた。
(37‐40行、13ページ) 古代の人々は宇宙は春分の日(3月25日)に創造されたと信じていた。そこで神が宇宙を創造したとき、太陽は牡羊座の中にあったということになる。『神曲』の中で描かれる出来事は太陽が牡羊座の中にある3月下旬から4月初旬にかけて起きたことが示される。
 そして、登っていく朝日に励まされて、豹は恐れるに足りないと、ダンテは前へ進もうとする。
 しかし、今度は、一頭の獅子(leone)が現れて、彼に向かって咆哮する。この獅子は「高慢」を表しているとされる。それから、今度は飢えた雌狼(lupa)が現れて、彼を脅かす。雌狼は「貪欲」を表しているとされる。その様子とまなざしが発する恐怖に圧迫されてダンテは、丘に登る希望を捨て、暗い森の中に押し戻されてしまった。

 低きところ[暗い森]へ落ちていったそのとき
長き沈黙のためおぼろげに見える人[ウェルギリウス]が
忽然と私の目の前に現われた。
 どこまでもつづく荒野にその姿を見たとき
「私を哀れんでください」と私は叫んだ。
「影[霊]であろうと、本当の人間であろうと」
(61‐66行, 14ページ)
 この影が何者であるかは、67行以下で語られるので、「おぼろげに見える人」がウェルギリウスであると注記してしまうのもいかがなものかと思われるが、1万行を超える『神曲』の中でそんな数行の問題にこだわるべきではないともいえる。

 第1歌の大体真ん中の、ウェルギリウス(の霊)が登場すると
ころまで漕ぎつけた。ダンテはそれがローマ黄金時代の大詩人の霊であることをまだ知らない。第1歌後半ではダンテの問いに答えて、(キリスト教徒の目から見れば)異教の時代の、「沈黙の宗教」の詩人であるウェルギリウスが、長い沈黙を破って口を開く。

 前回、『神曲』の各種の翻訳の中では壽岳訳が一番なじむという粟津則雄の意見を紹介したが、今道友信『ダンテ『神曲』講義」(みすず書房、2004改訂普及版)は、山川丙三郎訳が最も優れているとしながら、ダンテの雰囲気が一番出ているのは英語からの重訳である生田長江の訳であるという感想も述べている。生田長江(1882‐1936)は翻訳家・評論家・劇作家・小説家として様々な仕事を残したが、最近は日本におけるフェミニズムの先駆者の1人として評価されている。ある研究会で生田長江の研究をしている女性からチョコレートを分けてもらったことがあって、それで関心を持続させている。
 

 
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