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ウィルキー・コリンズ『月長石』再読(9)

8月2日(木)晴れ、暑い。午後、次第に雲が多くなる。

 1799年の英軍によるセリンガパタム襲撃の際に、英軍の将校であったジョン・ハーンカスルの手に入った黄色いダイヤモンド=月長石は、もともとヒンズー教寺院に安置されていた月天の額を飾ったものであり、人間の世の続く限り3人のブラーフマンによって守られるべきこと、この宝石に手を触れるものだけでなく、その家族係累の者にまで祟りがあるだろうということが言い伝えられていた。ジョンの手で英国に運ばれた宝石は、彼の遺言によってその姪であるレイチェル・ヴェリンダーの18歳の誕生日(1848年6月21日)の贈り物として、彼の甥であるフランクリン・ブレークの手によってヨークシャーのヴェリンダー邸に運ばれたが、レイチェルの誕生日を祝う晩餐会の夜に、紛失し、その後奇怪な事件が連続することになる。
 事件が一応落着した後、フランクリン・ブレークは事件の一部始終についての証言を書き残すことを決心し、1850年5月21日にヴェリンダー邸の執事であるガブリエル・ベタレッジに事件について記憶していることを手記としてまとめるよう依頼する。

 1848年の5月24日にベタレッジは(当時まだ存命だった)ヴェリンダー卿夫人から、その翌日にフランクリンの来訪を知らされる。ヴェリンダー卿夫人はジョン・ハーンカスルの妹、レイチェルの母、フランクリンの叔母である。フランクリンはある事情から英国ではなく、ヨーロッパの学校で教育を受け、もともと移り気な性格であったために欧州各地を転々としていたのだが、数か月前に帰国してロンドンの父のもとに滞在中で、レイチェルの誕生祝に参加するために久しぶりにヴェリンダー邸を訪問するというのである。
 5月25日、フランクリンが到着する以前、ヴェリンダー卿夫人とレイチェルが留守中に、邸を1人の少年をつれた3人のインド人らしい旅の手品師が訪れ、芸を披露させてほしいというが、ベタレッジは断る。その後、印度人たちを怪しんで、その様子をさぐっていたベタレッジの娘のペネロープが、彼らはフランクリンに対しよからぬことを企んでいるようだから警察に通報すべきだというのをベタレッジはもう少し待って、フランクリンが到着してから事情を確かめようとなだめる。その後、下働きの女中のロザンナ・スピアマンが海岸の方に出かけて、夕食の時間になっても帰ってこないというので、ベタレッジは探しに出かける。このロザンナという女はロンドンの犯罪者の矯正施設でヴェリンダー卿夫人が引き取ってきた不幸な身の上の持ち主である。ベタレッジは、彼女が海岸で泣いているのを見かける。彼女は昔のことを思い出して泣いていたのだという。

 ベタレッジはロザンナに食事のために邸に戻るように言い聞かせるが、ロザンナはそっとしておいてほしいといい続ける。この海岸の「震える砂」と呼ばれる流砂が自分を待ち受けている墓のように思えると言ったりする。ベタレッジがなお、彼女の気持ちを変えようと話しかけ続けていると、彼を呼ぶ若い男の声が聞こえる。ロザンナははっとして立ち上がって、声のした方を見た。続いて立ち上がったベタレッジは、ロザンナの顔色がさっと変わり、「美しいまでに顔を赤らめていた」(47ページ)ことに気づく。二人ともに、「誰だろう」といぶかっていると、砂浜を一人の青年紳士が駆け下りてくる。そして、ベタレッジを抱きしめて、お前から7シリング6ペンス借りている男だよと名乗る(フランクリン・ブレークである)。フランクリンが予定よりも早く、やってきたのである。
 フランクリンの方ではベタレッジのことをよく覚えていたが、ベタレッジの方は記憶があいまいになっていることがわかる。今はシリングという貨幣単位はなくなってしまったが、伝統的に(1971年まで)英国の貨幣は1ポンド=20シリング、1シリング=12ペンスであった。(現在は1ポンド=100ペンス。)

 フランクリンは続いてロザンナに目を移し、ロザンナはますます顔を赤くしたが、そのままフランクリンに挨拶もせずに、立ち去ってしまう。「ふだんのロザンナとまるっきり違っている。ロザンナほど礼儀正しくて行儀のいい召使は、ちょっとほかにいないのだが。」(48ページ) フランクリンとベタレッジはロザンナの行動を不可解に思うが、その理由は(彼らの知性や経験にもかかわらず)わからないままである。ここで、2人がロザンナの行動の理由を理解できないことが、この後の物語の展開に影響してくる。

〔ここから第5章に入る。〕
 フランクリンとベタレッジの2人だけになったが、ベタレッジが腰を上げようとすると、フランクリンがそれを引き留める。二人きりで話したいことがあるというのである。
 フランクリンはその子ども時代の面影をあまりとどめず、顔の下半分はひげでおおわれており、背も低く、快活なところは昔と変わらないが、ベタレッジを少しがっかりさせるような姿であった(第一印象がかなり明るく好意的に描かれているのと対照的である)。
 予定よりも早くやってきた理由をベタレッジが尋ねると、フランクリンは、ここ2・3日、ロンドンで色の黒い連中に尾行されているような気がしたので、彼らをまくために予定を変更したのだと答える。それでベタレッジは、三人の手品師が何か良からぬことを企んでいるようだというペネロープの言葉を思い出す。
 フランクリンは3人の手品師のことを既に知っている。邸でペネロープに会って、彼女から話を聞いたというのである。フランクリンはペネロープが可愛い娘になるだろうと思っていたが、その通りになったといい、彼女は死んだ母親に似たのかいとベタレッジに尋ねる。ベタレッジは、死んだ妻は欠点の多い女で、特に飽きっぽいのが欠点だったと答える。中村訳は「ハエみたいに、一つところに尻が落ち着かないんでございますよ。」(54ページ) 原文は
She was more like a fly than a woman: she couldn't settle on anything. (p.38)
,(あれは女というよりもハエみたいなものでしたね。何事にも落ち着いて取り組めないんですよ。)
 フランクリンは、それならば自分と気が合ったかもしれないといい、お前は口が悪いとつづけ、ペネロープもそんなことを言っていたという(フランクリンは子ども時代にヴェリンダー邸で過ごしたことがあるので、ペネロープとは、当然、幼馴染である)。フランクリンがペネロープから3人の手品師について詳しいことを聴こうとすると、彼女は父親は年の割にしっかりしているから、きちんと説明してくれるだろうと、一部始終を父親に説明させようとしたという。それを聞いて、ベタレッジは面白くない気分になる。 
 仕方なく、インド人手品師たちの話をすると、話を聞くにつれて、フランクリンの表情が変わる。そして手品師が、少年にフランクリンがどの道を通るのかを訪ねたという話を気にする。彼らが言っていた「あれ」というのは、これのことではないかと、ハーンカスル大佐のダイヤモンドをくるんだ紙包みを見せる。

 フランクリンが月長石を持ってヴェリンダー邸にやってきたことが明らかになる。この宝石にまつわる言い伝えが真実であるならば、フランクリンとその周囲の人物には大変な危険が迫っていることになるが、フランクリンがどの程度自体を理解しているか、あるいはまったくの迷信だとして、意に介していないのか…それはまた次回に。
 この小説は19世紀の英国における社会階級の分断によって(宝石消失後の)刑事捜査が難航したことが、この時代の捜査の限界を示す例として言及されるが、植民地支配や女性差別の現実も視野に入れて、読まれていく必要があることを忘れないでほしい。作者であるコリンズの意識がどうであれ、奪われた聖なる宝石をとり戻そうとするインド人たちの行動が最高の正義であり、奪ったハーンカスルに加担する行為はけっして是認されないということ、またフランクリンが幼馴染であること、さらに主人と召使という関係にあることをいいことに、ペネロープに対してふざけた行為を仕掛けていること(ここでは省略したベタレッジの語りの中で語られている)、そのことをペネロープもベタレッジも特に怒ってはいないこと、またそのペネロープのさらに下位にロザンナがいることなどを書き留めているコリンズの視野の広さと深さも注目されてよい。それを英国における宝石消失事件という語句小さな枠の中でとらえてしまうと、問題の本質を見失うことになるだろう。
 
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