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トマス・モア『ユートピア』(11)

7月25日(水)薄曇り、依然として暑い。

 今回から、第2巻「社会の最善政体についてのラファエル・ヒュトロダエウスの話の第二巻」に入る。
 第1巻の内容は次のようなものである。1515年にイングランドからの外交使節団の一員としてフランドルを訪れたトマス・モアはアントワープの市民であるピーター・ヒレスから、世界中を旅してまわり、特に新大陸でヨーロッパとは全く異質の社会の制度を持つ国々を訪問したことがあるというラファエル・ヒュトロダエウスという人物を紹介される。彼の経験と知識とに感心したモアとピーターはどこかの王侯の顧問としてその政治に参画すべきだと勧めるが、王侯の取り巻きが追従とお世辞ばかり言っている現実や、ヨーロッパの王侯の目指すところが戦争による領土拡大と、民衆からの富の略取であることを知っているラファエルは、それを断り続ける。そしてヨーロッパの社会が抱えている問題を解決している国が、新大陸で彼が訪れたユートピアであるという。ピーターとモアは、ラファエルにユートピアについての話を詳しく語るように頼む。

 ユートピア人たちが住む島の形状について、ラファエルは「その中央部(一番幅の広いところ)で200マイルにわたって広がり、島の大部分を通じてこれよりもずっと狭くなることはありませんが、両端に向かうにつれてすこしずつ狭くなってゆきます。この両端は、周囲500マイルにわたる円を描いたようになっており、この島全体を新月のような形にしています。その新月の両先端のあいだに海が流れ込んで約11マイル幅の海峡で両岸をへだてて」(119ページ)と説明する。ここで問題になるのは、「新月」のような形ということで、「新月」ははっきりとした形のあるものとして見えないはずである。ここはロビンソン訳では、the new moonとなっており、ロビンソン訳からの重訳である平井訳では「新月」と訳して疑う様子を見せていないが、new moonには辞書を見ても「新月、朔」という意味のほかに、「朔と上弦の間の細い月」という意味がある。この場合は、こちらと受け取るべきであり、中公文庫版の24ページに掲載されている1518年版、ケンブリッジ政治思想史原典叢書(25ページに掲載されている1516年版の「地図」を見ても、「細い月」の方が正確なとらえ方であることがわかる。この点、Cambridge Texts in the History of Political Thoughtのジョージ・M・ローガンおよびロバート・M・アダムズの翻訳はcrescent-shaped, like a new moon (月齢が若い月のような、細い月の形)、ペンギン・クラシックスのポール・ターナー訳はa sort of crescent (一種の三日月形)としながら、注で三日月の両端は接近していないが、ユートピアの形状は両端が接近していて、トルコの国旗に描かれた月によく似ていると注記している。なお、ローガンとアダムズの翻訳では、ユートピアの形状が(あらゆる点においてではないにせよ)ブリテン島に似ていることが指摘されている。

 その新月(三日月)の両端のところに海が流れ込んで、内海が広がっており、波が静かなので、島の内奥部全体が港のようになっている。湾の入り口は狭く、入りにくく、かつユートピア人たちが守備のための部隊を配備しているので、外来者がユートピア人の水先案内人の協力を得ずに、湾の中に入ることは難しいという。

 この島は、むかしは海に囲まれていなかったのであるが、この島を支配するようになったユートプスという人物が、大工事を行って、島を大陸から切り離してしまった。それまでアブラクサと呼ばれていたこの土地は、ユートプスの名にちなんでユートピアと呼ばれるようになった。
 アブラクサはAbraxasと書くのが正しく、ギリシア語でαβραξαςと記されるが、α=1、β=2、ξ=60、ρ=100、ς=200だとすると、アブラクサスは365ということになり、これはグノーシス派の思想と関連することを澤田、ローガン&アダムズの両者が指摘している。澤田さんは「ユートピアのこの旧名は、このくにの非存在・虚無性とグノーシス底流を示唆する」(278ページ)としているが、ローガン&アダムズは”what 'Abraxas' actually means nobody knows" (Logan & Adams, p.42,「アブラクシス」が実際に何を意味しているかは誰にもわからない)と懐疑的である。なお、ターナーは、これをSansculottiaと訳している。フランス革命史に登場するサン=キュロットを意識した翻訳と思われるが、なぜこのように訳したかの理由は記されていない。

 「この島には54の都市があり、そのいずれも広大、豪壮で、言語、生活風習、制度、法を同じくしており、構成もみな同型で、それぞれの地方の事情が許す限り見かけも同じです。互いにもっとも近接しているものでも24マイル離れていますけれども、どれも、他の都市に歩いて1日で行き着けないというほどには孤立していません」(121ページ)とラファエルは語る。澤田さんは当時のイングランド、ウェールズにはロンドンを含めて54の州があったと記している。この点については平井訳も同じことを注記している。すでにローガン&アダムズがユートピア島の形状に関連して発言しているように、モアはブリテン島(スコットランドを除く)を下敷きにして、ユートピアを描いているようである。しかし、当時のウェールズではインド=ヨーロッパ語族の中のケルト語派に属するウェールズ語が今よりも多く使われていたし、イングランド西南端のコーンウォールでは、同じくケルト語派に属するコーンウォール語がまだ絶滅していなかったから、言語について統一のある状態ではなかった。(さらに言えば、今でもそうだが、イングランドの中での英語の方言の違いというのもかなりのものである。) ユートピアの言語が一つであるということが、モアの理想を示しているのかどうかは、今後読み進む中でさらに検討すべき課題の一つであろう。
 英国よりも広大な面積を持ち、人口も多い日本の都道府県は47、それ以前の分国は66か国2島であった。それを考えると、54というのは多すぎるようにも思われる。しかも現在の英国では地方行政の単位がさらに細分化されていて、100を越える。しかも、ロンドンを除くと、バーミンガムが人口100万人を超えているだけで、日本と比べて大都市と呼べるような都市はほとんどない。このような状態をモアが生きていたらどう考えるのかも興味あるところである。

 54の都会の間には適当な間隔があり、どの都市からも3人の年取った経験ある市民がこの島の共同の問題について論じるために、毎年アマウロートゥムに集まる。このアマウロートゥムというのはギリシア語のαμαυροω(暗くする、見えなくなる)から思いつかれた地名であると注記されている。一般には、「霧のロンドン」を連想させるといわれるが、アマウロートゥムが島の中心にあり、代表たちが集まるのに便利だと記されているのに対し、ロンドンはブリテン島の南東に偏りすぎている。それから「霧のロンドン」というが、ほかの都市でも霧に出会うことはまれではない。

 こうしてラファエルはユートピアについて詳しいことを語りだすが、それが新大陸のどこかにあったというだけで、詳しい位置を語っていないことに注意してほしい。ユートピアの描写がイングランドの様子に似ているところがあることは、しばしば指摘されるところであるが、意識的にそうなっているのか、それとも何となくそうなってしまっているのかは、これから詳しく読み込む中で明らかにしていきたいと思う。 
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