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フローベール『感情教育』(9‐3)

7月9日(月)午前中は雨が降ったりやんだり、一時激しく降ったが、午後は晴れ間が広がり、気温も上昇する。

〔これまでのあらすじ〕
 1840年に大学で法律を学ぶためにパリに出た18歳の青年フレデリック・モローは偶然のことからアルヌーという画商と知り合い、その美しい夫人に恋心を抱く。夢想家で芸術好きのフレデリックにとって、法律の勉強は興味を惹かれるものではなかったが、アルヌー家に出入りしたり、大学の内外の友人たちと付き合うことによって次第にパリの空気になじんでいく。一度は落第したものの、大学も無事卒業し、地元出身の有力者であるダンブルーズの知遇も得て、さてこれからという時に、彼は実家の経済的困難を知り、母親の懇願に負けて郷里の法律事務所で働くことになる。しかし、1845年の末に、裕福な叔父の遺産を相続することになり、またパリに戻ることにする。
 パリの様子は変わり、友人・知人たちの態度も変わっていた。高校時代からの親友であるデローリエは弁護士と復習教師をしながら、政治的な言論で指導的な地位に立つことを夢見、アルヌーは画商をやめて、陶器業者に転業していた。アルヌーが発行していた美術新聞を引き継いだのは、フレデリックの友人の一人であるユソネで、デローリエはその新聞を政治的な発言の場として利用しようと考え、フレデリックに援助を依頼する。

〔第2部3続き〕
 フレデリックはデローリエ(とユソネ)が新聞発行の資金とするために1万5千フランを用立てることを約束していたが、ル・アーヴルの公証人から1万5千フランを送金するという知らせが届いたので、そのことを彼に知らせに出かける。知らせを聞いたデローリエは、(おそらくもう当てにしていなかったのであろうが)大喜びする。そしてユソネとは別れることにしたいといい、彼自身の政治論を饒舌に喋りまくる。政治を科学的に検討すべきであるという。
 その当時のフランスには3つの党派があるとデローリエは言う。「もっか持てる者、もはや持たざる者、これから持たんとするものだ。呆れたことに、三者とも権力をやみくもに崇拝するという点では、意見が一致しているんだからな。」(光文社古典新訳文庫版、410ページ、) 「もっか持てる者」は立憲王政派(オルレアン派とその統治を理論的に支えようとしたギゾーに代表される保守的自由主義者たち)、「もはや持たざる者」は正統王朝派(ブルボン派)とナポレオン派、「これから持たんとする者」というのは共和派と社会主義者ということであろう。この小説の登場人物では「もっか持てる者」を支持する、あるいはこのグループに属しているのはダンブルーズとマルチノン、「もはや持たざる者」はシジー、そのほかの面々は「これから持たんとする者」で、セネカルのようにはっきりと社会主義を打ち出している人物もいるが、大半は共和主義と社会主義の間を揺れ動いているように思われる。
 気の回しすぎかもしれないが、このデローリエの言い方は、セルバンテスの『ドン・キホーテ』の中のサンチョ・パンサの有名なセリフを反映しているようにも思われる。「おらの婆さまがいつも言っていたことだが、世界には二つの家族しかない、持てるものと、持たざる者とだ」(続編第20章)

 そういいながら彼は、共産主義思想の先駆者といわれるマブリ、哲学者・幾何学者のウロンスキー(ロンスキーとも呼ばれるそうである)、サンシモン主義者のアンファンタン、同じくピエール・ルルー、当時の社会主義者の中での大物であったルイ・ブランらの主張の矛盾点を逐一指摘する。ひどく実際的、現実的な意見を述べる。
 「フレデリックとしては大いに反論したいところだった。だが、友の考えがセネカルの理論とはだいぶかけ離れているように思えたので、すっかり寛大な気持ちになった。そうした方針では各所からうとんじられるぞ、と言いかえすにとどめた。」(光文社古典新訳文庫版、411ページ)。右も左も蹴っ飛ばせというのが、デローリエのスローガンだが、フレデリックには彼の意見が左の方に厳しいように感じられる。だから、彼はデローリエの主張に強くは反論しない。フレデリックもダンブルーズのもとに出入りしているくらいだから、左翼的な主張をする連中とは距離を置きたいと思っていることは確かである。
 
 右も左も蹴っ飛ばすということになると、右と左の両方から攻撃を食らうだろうというのがフレデリックの意見で、だれだってそう考えるはずだが、自分の考えと計画とに夢中になっているデローリエはそうは思わず、それぞれの党派の主張を論駁する根拠を与えてやるのだから、各方面からの支持を得て、新聞は大成功するはずだと主張する。フレデリックにも批評分を書いてもらうつもりだといい、社会通念を打破したうえで、自分たちの雑誌の基本的見解を打ち出し、それから日刊の新聞に切り替える。自分の主張が世の中に受け入れられ、新聞は成功するに違いないと語るデローリエの熱気にあおられて、フレデリックもだんだんその気になってくる。「友のことばに耳をかたむけているうち、フレデリックはしだいに若さをとり戻していくような気がした。長いあいだ部屋に閉じこもっていたものが、いきなり戸外につれだされたような感覚だ。相手の熱情に感化されたのだろう。/「そうだな、きみの言うとおりだ。ぼくは怠けてばかりいた」/「そうこなくっちゃ!」 デローリエはさけんだ。「それでこそふれでりっくだ」(光文社古典新訳文庫版、413ページ)
 彼らが若い熱情と昔の友情をとりもどし、「ふたりは立ったまま顔を見合わせ、ともに心を動かされて、今にも抱きあおうとした。」(同上)

 ところが、思いがけない出来事が起きた。
 「ひかえの間の戸口に女の縁なし帽が現れた。 /「ん、どうした?」デローリエが言った。/愛人のクレマンス嬢だ。/たまたま通りかかったら無性に会いたくなって。そう答えると、一緒におやつを食べるつもりで持ってきたお菓子をテーブルの上に置いた。」(光文社古典新訳文庫版、413ページ)
 クレマンス嬢は、フレデリックたちが第1部の5でダンス場である<アルハンブラ>に出かけた帰りに、彼と二人きりになったデローリエが、「これから最初に出会う女をものにしてみせる」といって、その時に出会い、その後、付き合い続けている背の高いやせた女性で、軍需品に金の刺繍を入れる仕事をしている。

 デローリエは自分は今仕事中なので、邪魔をするなとクレマンス嬢に冷たい態度を取り続けて、ついに追い返す。彼女に同情するフレデリックに向かい、デローリエは彼の暮らしぶりを見せて、自分は貧乏だし、愛人などは必要としていないのだという。そしてフレデリックは金が届き次第、デローリエに渡すことを約束して、2人は別れる。
 フレデリックが第1部の3で大学の授業に幻滅して、友人たちを訪ね歩き始めたときに、最初に出かけたのがマルチノンの下宿だったが、マルチノンは若い女性と同棲していた。だから、デローリエとクレマンス嬢の関係はそれほど珍しいものではなかったと推測できる。フレデリックやデローリエが<アルハンブラ>に出かけたときに、彼らには同行していなかったマルチノンが容貌のよくない五十がらみの女性と一緒にいるところが目撃される。デローリエはマルチノンが見かけによらず世間ずれしているという。物語全体を通じて、マルチノンの世渡りは、フレデリックはもちろんのこと、デローリエよりも上手である。それが女性関係にも出ているとみるべきであろう。デローリエは、マルチノンよりも自分の方が優れていると思っているから、そのあたりのことを素直に認めたがらないが、デローリエの冷たい態度は、彼の人格的な欠陥の現れとも受け取れる。

 さて、フレデリックはデローリエに金を渡し、デローリエの夢がかなうのだろうか。しかし、デローリエが思っている以上に、彼のクレマンス嬢に対するつれない仕打ちは、フレデリックに彼に対する不信の念を抱かせたのかもしれない。続きはまた次回。
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