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日記抄(7月2日~8日)

7月8日(日)晴れ、暑い。

 この度の豪雨で被害を受けた方々にお見舞い申し上げるとともに、復旧が速やかに進むことをお祈りします。
 
 7月2日から本日までの間に経験したこと、考えたこと、以前の記事の補遺・訂正等:
7月1日
 横浜FCはアウェーでレノファ山口と対戦、3‐0で快勝する。このところ、強いんだか、弱いんだかわからないような戦いぶりだが、まあ勝ったことで良しとしよう。これでJ2リーグの6位に浮上。

7月2日
 NHKラジオ『遠山顕の英会話楽習』に
I've always wanted to go to Shangri-Lala! (私、ずっとシャングリララに行きたいと思っていたの!)
という表現が出てきた。このシャングリララというのは、ジェームズ・ヒルトンの小説『失われた地平線』(Lost Horizon)に登場する架空の楽園Shangri-laから着想された地名だろう。この小説、たしか2度映画化もされているが、私は2度目の映画化作品の予告編しか見ていない。ある人が、最初の映画化作品の幕切れについて書いた文章を読んだことがあって、そのために見たいという気持ちが起きなかったのである。
 そういえば、米朝首脳会談の際に、アメリカのトランプ大統領が宿泊したのがシンガポールのシャングリラ・ホテルであった。

 桂歌丸師匠が亡くなった。もう40年くらい前に、新宿末広亭で師匠の「鍋草履」の口演を聴いたことがある。ご冥福を祈る。

7月3日
 『朝日』の朝刊の火曜日掲載のコラム「松村圭一郎のフィールド手帳」で松村さんが興味深いことを述べている。文化人類学を先行したいという学生には、異文化理解や異文化コミュニケーションに関心を持つものが多いという(結構なことである)。そこで、異文化とは何かという風に問うと、「外国の文化です」と答えてくるのが一般的な傾向だが、そこには文化は国ごとに違うという暗黙の前提が潜んでいるという。「相互理解を目指しているのに、日本人と外国人には最初から根本的な違いがあるという前提から始めている。それは本当に疑いのないことだろうか。」
 お互いに理解が容易ではないのは、同じ日本人同士、親しい仲間同士、家族でも同じことである。どこかにずれが生じる。その「ずれ」を説明するために、世代の違い、性差、血液型などを持ち出す。「文化」の違いというのも、その後づけの理由の一つに過ぎないという。
 「人は常に乗り越えがたい差異に直面する。国の違いだけが大きな障壁とは限らない。学生のみなさん、国際結婚でなくても、夫婦はいつも異文化コミュニケーションの現場なのだよ。」と松村さんは結んでいる。
 この文章を読んで、松村さんが一つかくしていることがあるなと思った。夫婦間のコミュニケーションも異文化コミュニケーションだと言うが、教師と学生のコミュニケーションだって異文化コミュニケーションだし、教育とはある世代から次の世代への文化あるいは生活様式の伝達だという考え方人立てば、異文化コミュニケーションではない教育は無意味だということになるということである。教育実習で実習校の先生から「生徒と一緒になって騒いでいる」とみられる実習生の評価が低いのは、この意味で当然なのである。

 『日経』の朝刊に久留米の機織り娘 そろばんの舞いについて、この踊りを伝承する団体の会長である今泉由美子さんが紹介していた。そろばんの舞には、よく音が出るということで、古いタイプの五つ玉のそろばんを使うというのが、私には興味深かった。

 NHKラジオ『まいにちフランス語』の7月放送分は、南仏のニースを舞台にして、年間の様々な行事を話題として取り上げる。今日はその2回目で、世界三大カーニバルの1つといわれるニースのカーニバルの話になった。また、ニースと言えばミモザの黄色い花が思い浮かぶということで、”ChloéとGeorgesのPetit pas culturel ~文化へ1歩近づこう~”のコーナーでは、パートナーの1人のクロエ・ヴィアートさんが次のようにミモザについて語った:
L'engouement pour le mimosa à Nice remonte au 19ème siècle. L'arbre est devenu un incontournable des jardins de la Côte d'Azur au point d'en devenir un symbole. Ses petites fleurs jaunes apportent de jolies couleurs à l'hiver. (19世紀からニースの人はミモザを愛しているんです。いまではコート・ダジュールを象徴するほどまでに欠かせないものとなっています。かわいらしい黄色い花は冬の季節に素敵な色どりをもたらしてくれるんです。) 
 そういえば、むかし『ミモザ館』(Pension Mimosas, 1935, ジャック・フェデー監督)という映画があった。フェデーは、ルノワール、クレール、デュヴィヴィエと並んでフランス四大巨匠の一人という評価を受けていたが、フェデーと『ミモザ館』の共同脚本執筆者であるシャルル・スパークのコンビをフランス映画史上もっとも忌むべき系譜であると述べたフランソワ・トリュフォーのことばもある。自分なりの評価をしようにも、映画を見ていないのでは仕方がない。なお、シャルル・スパークの娘が主としてイタリア映画で活躍したカトリーヌ・スパークである。

7月4日
 アメリカ合衆国のIndependence Day. だからどうっていうこともない。7日の大腸内視鏡検査に備えて、節食態勢に入る。

 筒井康隆『文学部唯野教授』(岩波現代文庫)を読み終える。大学で英米文学を教えながら、覆面作家としてひそかに純文学小説を書いている早治大学の唯野仁教授の文芸批評論の講義と彼の身辺で起きる騒動、特に女子学生との恋愛と、親友の就職あっせんをめぐる苦労が描き出される。さらに大学の先生のあいだでの様々な軋轢が描かれている(中国地方のある大学で起きた万年助手による教授殺害事件なども背景に描きこまれている)とはいうものの、1980年代の大学はまだまだよかったなぁという感じがする。(映画化された『横道世之介』を見ていて思ったのは、1980年代は都会の大学と地方の大学の学生のライフスタイルの格差が著しかったということである。教師についても同じことが言えるかもしれない。)

 NHKラジオ『実践ビジネス英語』の”Quote...Unquote"のコーナーで取り上げられた言葉:
Know thyself? If I knew myself, I'd run away.
  ――Johann Wolfgang von Goethe
(German poet, dramatist and novelist, 1749 - 1832)
(己を知れだと。もし自分のことを知ったら、逃げ出すだろう。)
  know thyself. は普通「汝自身を知れ」と訳されている。もともとはギリシア語のγνωθι σὲαυτονという格言で、デルポイのアポロンの神殿の前にこの言葉が刻まれていたという。自分自身を知るというのは重要なことだが、怖いことでもある。その両方の側面を、ゲーテはよくわかっていたようである。

7月5日
 『実践ビジネス英語』の”Word Watch"のコーナーではdonor fatigue(援助疲れ、支援疲労)という言葉を取り上げた。
People who have already supported one or two relief efforts may feel they either can't or don't have to offer any more help to disaster victimes. (1か所か2か所で既に救援活動を支援した人たちは、それ以上は被災者を援助できない、あるいは、援助する必要はないと感じるかもしれません。) こういうことが援助疲れと呼ばれているという。
 (形容詞・名詞)+fatigueの連語としては、driver fatigue (運転疲労)、metal fatigue (金属疲労)、eye fatigue (目の疲れ、眼精疲労)、occupational fatigue(仕事からくる心身の疲労、過労)などがある。近年使われるようになってきたchange fatigueは、会社から常に変化を迫られた従業員の疲労・倦怠感のことを言うそうである。

 藤谷治『全員少年探偵団』(ポプラ文庫)を読む。小学生の吉田君のお父さんは有名な宝飾デザイナーだが、最近はあまり仕事をしていない。おとうさんが海外に出ていって留守にしている吉田家をカクイと名乗る怪しげな男が訪問し、吉田君とおかあさんを自分が経営している芸能プロダクションのオーディションに誘い出す。その数日後、パリから帰ってきたおとうさんは自分が最近取り組んでいる仕事について家族に打ち明け、それで吉田君はますます心配になる。そんな彼の様子を見たクラスメートの野呂君と井上君が、吉田君の話を聞き、明智先生に相談に行こうと言い出す。この2人は少年探偵団の団員だったのである…。
 ということで分かるように、江戸川乱歩の『少年探偵団』もののパスティーシュというか、設定を現代に置き換えた続編というのが適切であろう。カクイのプロダクションが三軒茶屋にあったり、明智探偵が下北沢に住んでいたりと、何とか現実感をもたせようとしているが、むしろ現実離れのした物語の展開を楽しむべきであろう。明智探偵と小林少年、そして怪人二十面相(どこで出てくるかは、四でのお楽しみ)の知恵比べ、変装比べも読んでのお楽しみである。


7月6日
 『日経』朝刊に東大寺の建物を撮影した三好和義さんの写真が紹介されていた。紙面では構図の見事さが称賛されていたが、色彩もいいと思った。(この日のブログで森本公誠『東大寺のなりたち』を取り上げるつもりだったので、余計記憶に残っている。)

 NHKラジオ『エンジョイ・シンプル・イングリッシュ』の金曜日の放送は、日本文学の名作を取り上げているが、今回は有島武郎の『ひとふさのぶどう』が英語で紹介されている。この作品は子どもの頃からなじんできたが、大人になって、ハンガリーの詩人で映画評論家のベラ・バラ―ジュが書いた『本当の空色』という童話を読んで、両者が絵の具泥棒という同じ行為をもとに組み立てられていることに興味を持った。一度、両者を対比する文章を書いてみたいと思っている。

 『実践ビジネス英語』の”Quote...Unquote”のコーナーで取り上げられた言葉:
Don't judge each day by the harvest you reap, but by the seeds you plant.
---- Robert Louis Stevenson (Scottish novelist, 1850 - 94)
(毎日を収穫高で判断するのではなく、どれだけ種をまいたかで判断しなさい。)
 転がり落ちたところに根を下ろして大木にまで成長するドングリはまれである。
 それに比べれば、畑に蒔かれた種ははるかに成長の可能性を持っている。

 『高「校講座』「古文」は「俳諧 春夏秋冬」の第1回目。「和歌と連歌と俳諧」ということで、この3つのジャンルを一通り説明し、松永貞徳による「俳諧」の創唱に触れ、彼の代表的な句として「雪月花 一度に見する ウツギかな」を紹介した。これは言葉遊びの句で、ウツギの花は雪のように白く、その名には「月」(昔は濁点というものを使わなかった)を含み、そして花をめでる。(さらにウツギは夏の花であるから、春夏秋冬がこの句には読み込まれているというわけである。
 貞門の代表的な俳人の一人が北村季吟で、歌人、国学者としても知られ、特にその『源氏物語』の研究は優れたものである。彼の代表的な句としては、「年のうちへ 踏み込む 春の日脚かな」というのが紹介されている。これを講師の先生は、正月の小春日和を描いた句と解釈していたが、『古今和歌集』冒頭の在原元方の歌「年のうちに春はき゚にけりひととせを去年とは言はむ去年とは言はむ」(正月よりも前に立春が来てしまったので、これまでの一年を去年というのがいいのだろうか、今年というのがいいだろうか)を踏まえた歌と見るべきだろう。元方の歌は、正岡子規が下らないと罵倒したために、現在でも古今和歌集の最初に掲げられるのには荷が重いなどと評価する人が少なくないようだが、この時代の和歌が持っていた儀式的・政治的な性格を理解しない発言である。
 北村季吟は近江の人で、北村という姓の人は今でも滋賀県に多い。私の母の実家のあったあたりの人はたいてい北村か南村であったと母が生前話していたのを思い出す。そういえば義理の伯母の一人の実家の姓も北村である。

 赤塚りえ子『バカボンのパパよりもバカなパパ』(幻冬舎文庫)を読み終える。赤塚不二夫の一人娘の著者による父親の思い出。父親も母親も個性的、ギャグの英才教育を受けて育ったが、著者が8歳の時に両親は離婚。戸籍は父親のもとに残り、親権は母親が持つという複雑な環境ができる。母親の再婚、父親との再会、父親の再婚・・・。波乱万丈。「赤塚家では『バカ』が褒め言葉」(269ページ)ということで、『バカボンのパパよりもバカ』というのは父親に対する絶賛のことばと理解すべきである。

7月7日
 大腸の内視鏡検査を受ける。特に心配するようなところはないということで、ひとまず安心。

 検査を受けた後は、しばらくはおとなしくしていた方がいいということで、ニッパツ三ツ沢球技場で行われた横浜FC対モンテディオ山形戦を観戦に出かけず。後半に1点を先行されたが、アディショナル・タイムの最後の方になって佐藤選手がゴールを決めて追いつき、同点で引き分けた。順位は6位と変わらず。

7月8日
 『日経』の朝刊にアメリカでは学生ローンが巨額になりすぎて、国による上限の設定など、現行制度の見直し論が出ているという記事が出ていた。以前、ある英会話番組で米国人のパートナーが、日本では奨学金というけれども、実態としては学生ローンではないかと発言していたことがあった。両者の制度と実際の運用について、できる範囲で調べてみようと思う。

 新聞広告で見た限りの話だが、『AERA』7月16日号は「勝負は12歳か15歳か 中学受験vs.高校受験」を特集している。「子どものタイプ×家計×親の価値観」が判断の決め手となるという話のようだが、親が頓珍漢な価値観で子どもの個性や将来をだめにするという例もあるようだ。もっとも、私の周辺には、学校が子どもの個性をだめにすると信じている人も少なくない。
 私の場合は12歳組だったが、秀才の中でもまれて伸びたかというと、むしろ委縮したのではないかという気がしてならない。「子どものタイプ」というのはそういうことのようである。ただ、年を取ってくると、同じ中学・高校を出た医者が多いというのが結構心強いことになってくるので、学校歴というものは長い目で評価すべきなのであろうと思う。
 医者と言えば、文部科学省の局長が息子の東京医科大学への入学と引き替えに同大学を私立大学支援の助成対象としたという事件をめぐり、『AERA』は「親バカすぎる」、『週刊現代』(7月21・28合併号)は「本当のバカは『親父』か『息子』か『大学』か」、『週刊ポスト』(7月20・27日合併号)は「文科官僚『裏口入学』賄賂よりはるかに深刻な霞が関醜聞」として「『日朝外交敗戦』を招いた外務省「北東アジア課」分裂の全内幕」という見出しを掲げているが、こういうバカ競争が好ましいものではないことは言うまでもない。

 蛇足の一言、二言:ロシアでのサッカーのワールド・カップ、日本代表は健闘及ばず決勝トーナメント1回戦で姿を消し、初の準々決勝進出はならなかった。今後の課題としては、日本代表チームのこれが特色だというものを作り出して、さらに強力なチームを仕上げることが挙げられるだろう。とにかく、後、12年くらいは日本のサッカーに付き合っていきたいと思った戦いぶりであった(もっと付き合えればそれに越したことはない)。 
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