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フローベール『感情教育』(9‐2)

7月2日(月)晴れ、暑い。

〔これまでのあらすじ〕
 1840年の秋に大学で法律を学ぶためにパリに出た18歳の青年フレデリック・モローは偶然のことから画商のアルヌーと知り合い、その美しい夫人に恋をする。夢想家で芸術に趣味があるフレデリックにとって、法律の勉強は苦痛であったが、高校時代からの友人であるデローリエをはじめとする同世代の青年たちとの交友を通じて、パリの雰囲気になじんでいく。ようやく大学を卒業し、地元の有力者であるダンブルーズの知遇を得たフレデリックであったが、実家の経済的な困難から郷里の法律事務所で働くことになる。
 1845年の12月に叔父の遺産を継いで裕福になったフレデリックは、パリに戻り、早速ダンブルーズに接近し、社交界に出入りし、その一方でアルヌーにそそのかされて、半社交界にも出入りし、アルヌーの愛人である高級娼婦のロザネットと知り合う。ロザネットはフレデリックに気がある様子であるが、フレデリックが一番思いを寄せているのはやはりアルヌー夫人である。
 アルヌー夫妻のいさかいの仲裁をしたことから、フレデリックはアルヌー家をほとんど居候同然に思えるほどにしばしば訪問するようになった。アルヌーの事業はあまりうまくいかず、しかもそのことを夫人には詳しくうちあけず、さらにロザネットのところに出入りしているので、夫人は気が休まらないのである。フレデリックは夫人の愚痴に付き合うことで、彼女の身の上を知ることができ、ますます2人の中は接近したか――というと、逆に、フレデリックには夫人が近づきがたい存在のように思われた。

〔第2部3――続き〕
 アルヌーが関係していた陶土(カオリン)会社が倒産し、(届いてきた書類にほとんど目を通さずに、いい加減に事を運んできた)アルヌーは民事上の責任者として損害賠償の保証を命じられ、およそ3万フランの損失を被ることになった。このことで彼は精神のバランスを崩してしまった。

 フレデリックは新聞でそれを知り、アルヌーの家に駆けつけた。アルヌーは意気消沈して、食事も手につかない様子であったが(朝食の最中であった)、運が悪かっただけで、また再起して見せるという。アルヌーは妻の機嫌を取るつもりで、2人だけで夕食を取りに出かけようと持ち掛けるが、アルヌー夫人は怒り出し、やがて、退屈したと見えてロザネットのところに出かけてしまった。

 アルヌーはこれまでも事業や品行上の問題を起こしたことはあっても、その(欠点は多いがどこか憎めない)人柄に免じて大目に見てもらってきたが、今回の失敗でそのような信用を失い、彼の家を訪ねてくるものはほとんどいなくなってしまった。
 「フレデリックは信義を重んじて、以前にましてアルヌー家に足しげく通うことにした。イタリアン大通りの劇場の一階ボックス席を借りきり、毎週ふたりを招待した。」(光文社古典新訳版、401ページ) ところが倦怠期に入って、たがいにしっくりいかないものを感じながら、それでも何とか妥協しあってきていた夫婦は今や決裂寸前になっていて、二人の様子を見ているとフレデリックまで気がめいってくる始末であった。

 フレデリックはアルヌー夫人から、夫の事業の状況を調べてほしいと依頼されていた。しかし、自分が夫人に野心を抱いていることで、アルヌー家への出入りには心苦しさを感じてもいた。それでも夫人を守りたいという気持ちから、彼は訪問を続けた。
 ダンブルーズの家で開かれた夜会から1週間ほどして、彼はダンブルーズを尋ねたことがあった。ダンブルーズはフレデリックに自分の石炭会社の株を20株ほど譲るといってくれたのだが、そのままになっている。デローリエから何通か手紙が届いていたが、返事を書かないままである。ペルランからはロザネットの肖像画を見に来るように言われているが、いつも体よく断っている。しかし、シジーからロザネットに紹介してくれとしつこく頼まれ、やむなく承知してしまった。〔フレデリックはアルヌー家の問題に首を突っ込みすぎて、自分の身の振り方の問題を忘れている。友人・知人とのかかわりで、人生の転機になるかもしれない用件を後回しにして、かなりどうでもいい用件だけ取り組んでいる。〕

 「ロザネットはすこぶる愛想よく迎えてくれたが、以前のように抱き着いてきたりはしなかった。シジーは玄人女を訪ねることがかなったうえ、おまけに俳優と話までできて嬉しそうだった。ちょうどデルマールがいあわせたのだ。」(光文社古典新訳文庫版、402ページ) 俳優のデルマールは、この小説に時々顔を出している人物で、ダンブルーズの夜会に赴こうとするフレデリックがロザネットから届いたメモを読んで、夜会の翌日に彼女を訪問した際に、ロザネットの家にいた人物でもある。彼はある芝居で、ルイXⅣ 世に進言して1789年の大革命を予言する田舎者の役を演じたことで注目を浴び、その後は各国の君主を愚弄する役どころを演じるようになっている。そのために、「世間では『われらのデルマール』呼ばれ、国民を教化する使命をおびた、キリストさながらの賢者と見なされていた。」(光文社古典新訳文庫版、402‐403ページ)
 由緒ある家柄の貴族として育ってきたシジーは、おとなしい、世間知らずのお人好しに見えるが、フレデリックに比べてしっかりしたところがある。ここでは、そんなところは全く見せずに、お人好しとしてふるまっている。デルマールの人気は1848年の二月革命前夜の、何となく変革を望む民衆の気分の反映とみることもできる。俳優が演じている役柄と、ご本人の性格は必ずしも一致するとは限らないのだが、一致させたいと思う観客の気持ちも無視はできないだろう。
 第1部4のフレデリックが演劇青年だったユソネと友人になる場面で、ユソネが名優フレデリック・ルメートル(1800‐1876)の真似をするところが描かれていた。ルメートルを主要登場人物とする映画『天井桟敷の人々』(Les enfants du paradis, 1945、マルセル・カルネ監督)は『感情教育』の描いている時代の約20年前、復古王政の時代の1820年代のパリを描いているが、劇場の雰囲気には共通するものがあるかもしれない。

 デルマールの役柄が彼の実際の姿であろうとなかろうと、そんなことはかまわずに、ロザネットはデルマールに熱をあげていた。もともと金に執着する性格ではなく、ウドリー爺さんとすっぱり縁を切ったのもこのような彼女の性格のためであった。アルヌーは、ロザネットのそういう性格を知っていたので、安い手当で彼女を囲っていたのだが、そこにあとからウドリー老人が割り込んだという次第である。つまり、ロザネットに3人の男がかかわることになったが、だれも真相に気づかなかった。ロザネットがウドリー爺さんと縁を切ったのを、自分のためだと誤解したアルヌーは手当てを増額したが、彼女の無心は以前より頻繁になった。「アルヌーがいくら金をあたえても、女にたらし込まれ、情け容赦なく搾りとられた。請求書や証印のある公文書が続ぞくとアルヌー家にまいこみ、フレデリックは破綻が迫っているのを予感した。」(光文社古典新訳文庫版、403-404ページ)

 ある日、フレデリックがアルヌー家に出かけると、夫人は留守で、夫のほうが店に出ているという。アルヌーはフレデリックにロザネットは彼の愛人だということにしてくれと頼む。彼女とは別れた、今ではフレデリックの愛人だと夫人に行ってしまったというのである。あまりにも自分勝手な言い分なので、フレデリックはあきれて、アルヌー夫人に彼女の夫の言ったことは嘘だと告げる。彼女はフレデリックの言い分を一応信じるが、「もっとも、あなたのなさることについて、とやかく言う権利はありませんけれど」(光文社古典新薬文庫版、406ページ)とフレデリックを見下すような口調で言う。しかも、時々、ロザネットの家に行って様子を探ってほしいとまで言われる。アルヌーが戻ってきたかと思うと、2人でロザネットの家に行こうと誘われる。フレデリックはますます情けない気分に襲われる。

 アルヌーは商才もないし、事務的な管理能力もないのに事業を始めて苦境に陥っている。家庭生活の問題と、事業の問題が頭の中でごっちゃになっていて、整理できない。ロザネットの嘘を見抜けない。その一方で、いくら彼の夫人に恋心を抱き、同情しているといっても、フレデリックがアルヌーと付き合い続けるのは益がないというよりも、危険ですらあるのだが、その点についてフレデリックはあまり考えようとしていない。アルヌーを取り巻く状況はご本人たちにとっては悲劇的だが、客観的にみると喜劇と考えるほうが適切である。このあたり、フローベールは登場人物たちの心理から適当に距離を置きながら、読者に考えさせようとしているようである。


 
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