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日記抄(6月25日~7月1日)

7月1日(日)晴れ、風が強い。

 6月25日から本日までに経験したこと、考えたこと、これまでの記事の補遺・訂正等:
 新幹線殺傷事件で襲われた女性をかばって殺された38歳の男性は、私の中学・高校の後輩だということで、どうも顧みて忸怩たる思いにとらわれる。自分を犠牲にして他人を助けるということはできそうもないからである。

6月25日
 『朝日』朝刊の「異説あり」のコーナーで、「秀吉 朝鮮出兵の理由」として、「欧州に対抗か」と、秀吉がポルトガル、スペインの侵略に対抗するために自分の支配権を広げようとしていたといいう考えが紹介されていた。欧州の強国と対抗するということであれば、朝鮮や中国(明)と国交を結んで、同盟関係を樹立するのが常道だという気がする。たしかに秀吉は、天下統一の道筋の中で相手を一応たたいておいてから、同盟を結ぶ、臣従させる、亡ぼすなどの選択をしているが、朝鮮を攻めることによって日本側も朝鮮側も被害が出るから弱体化するというリスクをあえて犯して、同盟の樹立に運ぼうとしたと考えるのは無理がある。もし、秀吉が対アジア戦略を構想する中で、戦国日本を統一したのと同じ戦術を使おうとしたのであれば、それはアジアの政治・外交の規模を見誤っていたということになる。〔なぜか私はアルプス、コーカサスで大きな成果をあげた登山家のアルバート・フレデリック・ママリーがヒマラヤのナンガ・パルバットに挑戦して行方不明になったという話を思い出す。〕

 秀吉といえば、この日の『日経』に、豊臣時代の飛騨に存在したといわれるが、400年間その所在地がわかっていない「幻の帰雲城」の記事が出ていた。地震で一夜にして埋没したというのは、にわかに信じがたいが、実在したことは確からしい。

 NHKラジオ『入門ビジネス英語』で、Something has come up. (ちょっと用事ができてしまいました。)という表現が出てきた。何か急な用事・用件ができたことを伝える際にこの表現を使う。come upは「(問題などが)持ち上がる・生じる」という意味である。このフレーズを使うと、具体的に何が起こったかを説明する必要はない。逆に、相手がこう言った場合は詳しいことを尋ねないのが礼儀だそうだ。

6月26日
 『朝日』朝刊のコラム「松村圭一郎のフィールド手帳」で、松村さんは日本文化には多様な源流があり、「純粋な『原型』があるわけではない。むしろ現在の国境を越えて大陸へと広がる複雑なルーツが見えてくる」と論じている。この意見には私も賛成で、丸山眞男がその日本思想史研究の中で、日本の思想の「基層」を見つけようとしたことの動機が理解できないところがある。

 経済財政諮問会議の提案の中で、外国人労働者の受け入れ拡大の方向が打ち出されていることを受けて、昨日の『日経』朝刊の「経済教室」で、法政大学の上村千賀子教授が「外国人労働者」の「拙速な受け入れ拡大 避けよ」として、現行の「技能実習制度」の経験を踏まえて、その改善を図りながら「慎重に」対処すべきであると論じていた(「技能実習制度は不法就労拡大回避に成果」をあげているという反証がいくらでも上がりそうな議論を論拠の一つにしている)のに対し、本日の同じ特集では首都大学東京の丹野清人教授が、現行の技能実習生制度では日本経済の直面している労働力不足には対応できず、途上国の経済発展で出身国に戻る外国人労働者が増える傾向にあることから、日本が外国人労働者に「選ばれる国」であり続けるための努力の正念場に差し掛かっていると論じている。芹沢健介『コンビニ外国人』(新潮新書)に登場する外国人の意見でも、2020年を境に日本には外国人労働者が来なくなるだろうという予測が述べられており、この点、もっと議論を深める必要があるだろう。

6月27日
 『朝日』、『日経』両紙の朝刊に、朝鮮半島の南北の鉄道連絡を目指す実務協議が開かれたという記事が出ていた。日本、韓国、台湾、中国はそれぞれ新幹線を走らせているが、北朝鮮はというと、金正日時代の北朝鮮の鉄道事情を記した国分隼人『将軍様の鉄道 北朝鮮鉄道事情」(新潮社)によると、「中朝国境から平壌までわずか225kmになんと5時間もかかるのである。戦前の蒸気機関車の時代でさえ4時間15分で走っており、北朝鮮の鉄道は停滞するどころか、退化していたのだ」(5ページ)と書かれている。その一方でこの本の120ページには「将軍様専用の地下鉄」があるという話が出てくる。南北の交流が盛んになる、あるいは北朝鮮が外国に対する門戸を拡大すれば、この種のことは隠しきれない(今でも知っているが、声に出せないだけかもしれない)。今後、どうなるか注意しながら見ていくことにしよう。

 NHK『ラジオ英会話』は25日(月)に現在完了形、26日(火)に過去完了形をおさらいしてきたが、本日はI will have finished it all by then. (それまでには全部完成しているでしょう。)と未来完了形についてとりあげた。完了形の意識は「その時までに」という意識であることが説明された。放送の終わりに、番組パートナーのお二人に<未来完了進行形>の文例をあげてもらったのが面白かった。この形を使うことは、日常生活の中でまずないだろう。

6月28日
 『朝日』朝刊の「世界発」のコーナーではブラジルの港町サントスで第二次世界大戦中に起きた枢軸国からの移民の強制退去事件を取り上げている。日本からの移民585家族が退去させられたのだが、その多数が沖縄県出身であったという。「国策の意味 移民を通じて見えた」、「よいことも悪いことも歴史」という見出しの文字が重く感じられる。

 同じ『朝日』のコラム「特派員メモ」にニューデリー駐在の奈良部健記者が「うるさい民主主義」という文章を書いている。「世界最大の民主主義国家」と呼ばれるインドの選挙風景は騒音に満ちたものであるらしい。そういえば、ある学生に「インドはカースト制度があるのに、なぜ世界最大の民主主義国家と呼ばれるんですか」と質問されたことがある。カースト制度は社会の問題で、民主主義は政治の問題で次元が違う…と答えても相手を納得させる答えにはならないだろう。

 『日経』朝刊に「星の和名で知る暮らし」(北尾浩一)という興味深い記事が出ていた。昔の人は星の動きを通じて時間を読み取っていたので、星には様々な名前が付けられ、その名前が地方や地域に応じて様々に変化していた。例えば、アルゴー座のα星カノープス(南極老人星、寿星)は日本ではメラボシ(布良星)などと呼ばれるが、奈良県ではゲンクロボシと源義経に関連した呼び名があるという。
 問題は、この星がシリウスに次いで明るい恒星であるとはいうものの、南天低くに出没するため、そう簡単に見える星ではないということで、だからこの星を見たものは長生きするなどといわれているほどである。何かの本に、日本では新潟県の弥彦山の山頂がこの星の見える北限であると書いてあったので、天文学の先生に、計算上そうなるのか、実際に見た人がいるのかと質問したら、たぶん、計算上そうなるということじゃないでしょうかといわれたことがある。その後、インターネットで調べてみたら、弥彦の山頂で実際にカノープスらしい光を見たという記事があり、さらにもっと北の鳥海山の山頂からカノープスを見た例もあるらしく、この件、依然として謎である。

6月29日
 サッカーのW杯第1次リーグH組の日本はヴォルゴグラードでポーランドと対戦し0-1で敗れたが、勝ち点4でセネガルと並び、得失点差、得点も同じだったため、警告数が少ないということでこの組2位が確定、決勝トーナメントへの進出を決めた。第1次リーグを通じて、アジア勢はサウジアラビアがエジプトを破り、イランは惜しくも決勝トーナメント入りを逃したが勝ち点4を挙げ、韓国はドイツを破る大金星を挙げ、アジア勢は決勝トーナメントに進んだのは日本だけではあるが、他のチームもそれぞれ健闘を見せた(オーストラリアはいいところがなかった)。これに対して、セネガルをはじめとするアフリカ勢は1チームも決勝トーナメントに進めなかった。これは結局のところ、それぞれの国の政治的な安定や、経済的な繁栄、社会の平和が大きく作用したのではないかという気がする。
 平和といえば、ヴォルゴグラードは第二次世界大戦中の最大の激戦地の1つであったスターリングラードがスターリン批判により名称を変えた都市である。戦後、この都市は第二次世界大戦で大きな被害を受けた英国のコヴェントリーや、日本の広島など多くの都市と姉妹都市の協定を結んでいることを見落としてはならないだろう。

  『朝日』朝刊のコラム「折々のことば」で「生まれ故郷は私たちがある時点で成長したり形成したりしたあらゆる場所に少しずつ存在する」というヨゼフ・チャペック(『山椒魚戦争』などの作者カレル・チャペックの兄で、画家・作家。弟と一緒に本を出したりしている)の言葉を取り上げていた。「そこで人は『ゆっくりと生まれ直す』。東チェコの故郷では『庭の垣根の中』で育ったが、『ジュール・ヴェルヌの長編小説に出てくる世界各地の中』でも育った」と鷲田清一さんは書いている。問題は、ジュール・ヴェルヌがあまり旅行をせずに(ダーウィンの『ビーグル号航海記』のような他人の旅行記を盛んに読んでいたということは確かであるが)空想で作品を書いていることで、ヴェルヌの描いたインド、中南米、北アフリカ、地中海地域など、それが現実をどのように反映し、どのように隔たっていたかを検討してみるのも面白いのではないかと思う。
 チェコのアニメーション作家カレル・ゼマンの『悪魔の発明』はヴェルヌの同名の小説が原作になっているが、ヴェルヌへのオマージュであるとともに、原作以上の面白さをもった名作なので、興味のある方は是非ご覧ください。

 佐藤弘夫『「神国」日本』(講談社学術文庫)を読み終える。「中世」日本の本地垂迹説に根ざした「神国」論が、明治以後の日本における「神国」論とは異質のものだったと論じている。機会があれば、詳しく取り上げてみたい書物である。〔6月28日の『朝日』朝刊で論じられているように、アメリカの少なくとも「福音派」の人々はアメリカ合衆国が「神に選ばれた国」であると思っているのであり、「神聖ローマ帝国」などを引き合いに出すまでもなく、自分の国は「神の国」だと思うということは、世界史的にみて例の少ないことではない。〕

 関東甲信地方の梅雨明けが発表された。いろいろな意味で、大丈夫かなぁ。

6月30日
 『日経』朝刊の「日本史ひと模様」で本郷和人さんが足利義満の後継者をめぐる周囲の人々の「忖度」について論じているが、その本題とは別に、日本史を学ぶことの意義として、①「ウラを取る」姿勢を体得できること、②信頼できるソースをもとに、原理を構築する訓練になるという2点を挙げている。信頼性の高い史料をしっかり読み解くことの意義が強調されているが、その信頼性をどのように客観的に裏付けるかということも大事だろう。

 ムービル1で『空飛ぶタイヤ』(2018、製作委員会・松竹、本木克英)を見る。三菱自動車リコール隠し事件を題材にした池井戸潤の原作小説の映画化で、自社のトラックの走行中の脱輪事故で通行中の主婦を死なせた運送会社の社長が、整備不良という調査の結論に納得せず、自力で調査を続け、会社内の内部告発もあって、真相が明らかになっていく…という物語である。映画を見ている人間には全体の動きがわかるが、登場人物は自分の目に見えることしかわからないという設定の中で事態が進行していく。事故の真相解明を阻もうとする大会社の車内はいかにも暗い画調で描かれ、社員はみんな同じような服装をして、同じような顔をしているので誰が誰だか見分けがつけにくいが、運送会社の方は長瀬智也の社長、笹野高史の専務、阿部顕嵐の若い整備士など、個性がはっきりしている。人間の顔が見える会社と見えない(あるいは見えにくい会社)の対立という風にみていくと、わかりやすくなるかもしれない。

 山内譲『海賊の日本史』(講談社現代新書)を読み終える。第2章「松浦党と倭寇」が特に興味深い。松浦党が組織的に倭寇に加わったとは考えられないという内容よりも、「党」と名乗る武士団が全国にどの程度存在したかということに興味を持ったのである。東国には「武蔵七党」があったが、西の方では紀州の湯浅党、九州の松浦党などが知られているようである。

7月1日
 『朝日』朝刊の「俳壇」を見ていたら、人の選者が「七夕や非戦非核の文字太く」(東京都 鈴木淑枝)という句を特選に選んでいた。そのほかに印象に残った句:
長谷川櫂選
 母校なほ泰山木の花の下(我孫子市 福島志津雄)
 父の日やしたくもできぬ父の顔(東京都 金子文衛)
大串章選
 同じ虹仰ぎてふたり相知らず(高山市 直井延男)
 哲学の道の毛虫に刺されけり(上野原市 天野昭正)
稲畑汀子選
 邂逅や雨にもリラの薫る街(神戸市 熊岡洋子)

 毎年、梅雨の季節になると、私の家の近くにあるタイサンボクの白い巨大な花を見て、気分を紛らわせていたのだが、新たな宅地造成でその木も切られてしまった。 
 
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