児美川孝一郎『キャリア教育のウソ』

6月21日(金)雨

 母の死に伴う生活の変化のため各種金融機関を回る。大いに疲れた。親が死ぬというのは予想したくない未来である。だからと言って、それに備えない訳にはいかない。備えていなかったので、大いに苦労している。老後というのもキャリアの一部である。キャリア教育は基本的には若者の未来への準備である。とはいうものの、未来が明るいもの、楽しいものであるとは限らないことを忘れてはならない。

 児美川孝一郎『キャリア教育のウソ』(ちくまプリマー新書)を6月8日に買って、9日に読み終えた。とはいうもののなかなか批評が書けないままであった。その理由の一つはこの書物が挑発的な書物であるためである。教育の現場(少なくとも小中高)で「キャリア教育」は政策の目玉商品の一つとして推進されてきた。卒業しても就職できないと言われては、入学者が確保できなくなっている大学ではキャリア教育は生き残り戦略の1つである。その一方で若者の就職をめぐる状況は改善されてきたとは言い難い。若者が使い捨てにされているという状況を指摘する声さえある。政策の側の意気込みと、現場の取り組みの間にギャップがある。どちらの側に立ってこの問題を論じるかによって批評の書き方が変わってくるが、立場を選ぶことが容易ではない。

 キャリア教育は、そもそも若年労働者の雇用をめぐる困難な状況を若者の心の中の問題として捉えるところから出発していると著者は指摘する。「将来の目標が立てられない、目標実現のための実行力が不足する若年者が増加」(37ページ)したことが問題ととらえられているという。就職が困難だったり、就職してもすぐやめたりする状況があるのには別の問題もあることは容易に考えられる。不況や、労働環境の変化がそれらの問題の中に含まれる。変化の激しい社会では、将来の目標など無意味に近い。実際問題として、死んだ私の父親は大学の卒業後、当時の日本の一流企業に就職できたのだが、その企業が産業構造の変化で別の分野に取り組むようになって苦労したという経緯がある。これも故人になった私の伯父の一人は満鉄に就職したので、戦後、職場を転々として苦労することになった。一流大学を出て、一流企業に就職しても、その生涯は順風満帆とは言い難い。

 だから自分の好きなこと、自分が向いていること、社会のためになることに取り組むべきだという言説がある。「キャリア教育」を支えている、推進しているのはこの種の議論であるという。これは説得力のある議論に思われるが、何をやらしてもダメ、特に好きなこともないという若者が少なくないというのも別の現実であろう。これは現在の教育(学校教育だけでなく、家庭や塾の教育を含めて)全体の問題ともかかわっている。それから社会のためになるというのも、社会の方向性によって大きく影響される事柄である。社会と個人の利害が大きく違う時代と、かなり方向性の一致を見出せる時代とがあるのは歴史が物語ることである。

 もう一つ、キャリアという概念は必ずしも職歴に限定されるものではない。高齢化が進む社会では退職後の生活設計も重要であるし、職歴を考える際にも、転職や方向転換を視野に入れることが必要である。そうなると現在の学校現場で推進されている「キャリア教育」には問題があるというのが著者の意見である。

 2月26日付の当ブログで書いたことだが、ある学校で「倫理・哲学」という科目を教えたことがあって、そのときに「生き方」を教えればよいのだと校長に言われたことを思い出す。「こうすれば人生に成功する」などと教えても、人生に成功できない学生は必ず出てくるのである。どうにもできない現実を抱えた部分のある人生とどう向き合うかということが「キャリア教育」の課題として浮かび上がってくるはずだが、そうなると著者のいうように、キャリア教育は教育の一部ではなく、全体で取り組むべき課題となってくることになる。著者ほど若くない私が批評するとどうも暗くなってしまうのだが、著者の論調は努めて明るくまとめられていることを最後に書いておきたい。 
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