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『太平記』(196)

2月6日(火)晴れ、バスの車窓から富士山が見えた。

 建武3年(南朝延元元年、1336)の冬、囚われの身であった後醍醐帝は、京都を脱出して吉野へ向かい、吉野金峯山寺に入った。楠正行以下の軍勢が吉野に参じたが、紀州根来の伝法院は、高野山との長年の確執から宮方に味方しなかった。11月2日、帝の吉野臨幸の知らせが、新田義貞の一党が立てこもっている越前の金ヶ崎城にもたらされた。いったんは足利方について、金ヶ崎を包囲する軍勢に加わっていた越前の豪族瓜生保は、宮方に心を寄せる弟たちと同心すべく、包囲軍に加わっていた宇都宮泰藤、天野政貞らと、本拠地のそま山に帰った。

 長兄の保が宮方に加わって兵を上げるために帰ってきたので、3人の弟たちは大いに喜んで、このような事態に希望をつないで弟の義鑑房が預かっていた(新田義貞の弟)脇屋義助の子、義治を大将として11月8日、飽和(あくわ、福井県南条郡南越前町阿久和、そま山のある地)で、挙兵した。同じ年の10月に、新田義貞が坂本から北国へと向かった際にはぐれた軍勢が、あちこちに隠れていたのが、この挙兵を聞いて、いつの間にか集まってきて、程なく千余騎になった。そこで、その中から500騎を分けて、鯖並(南条郡南越前町鯖波)の宿、湯尾(ゆのお、南条郡南越前町湯尾)の峠に関所を設け、北国の道を塞ぎ、昔の火打城(南条郡南越前町今庄にある源平合戦の古戦場)の巽(南東)にあたる山の、水や木が豊かにあって険しく切り立った峯を、本城にこしらえて、兵糧7千余石(1石は、約180リットル)を運び込んだ。これは万が一、両軍が正面衝突しての戦いに負けた場合に、この城に立てこもるための用意であった。

 金ヶ崎包囲軍の大将の1人であった高師泰(尊氏の執事である師直の弟、保にだまされて、包囲軍からの脱出を許した)は、この噂を聞いて、「この連中の退治が遅くなれば、白山の金剣宮や白山本宮の衆徒たちが合流して、由々しい事態となるだろう。すぐさまそま山の城を攻め落として、安心して金ヶ崎の城を攻めることにしよう」と、能登、加賀、越中3カ国の軍勢6千余騎をそま山城に向かわせた。瓜生はこれを聞いて、要害の地に敵が陣地を築くことが無いようにと、(現在の南越前町の)新道、今庄、宅良、(敦賀市の)葉原一帯の民家を、一軒残らず焼き払い、そま山上の麓の湯尾の宿だけを、わざと焼かずにそのままにしておいた。
 冬の寒さが厳しい中なので、わざわざ戦闘を起こさなくてもいいのではないかと思う。高師泰は雪国の武士では無いので、そのあたりの分別が無かったように思われる。地元の武士である瓜生のほうがその点では用意周到である。とはいえ、冬の最中に自分たちの家を焼き払われた住民たちがどれほど飢え、凍えたかを想像することも大事ではないかと思う。

 そうこうするうちに、11月23日、寄せ手の6千余騎が、深い雪の中をカンジキを装着して、山路8里(約32キロ)を1日で踏破し、湯尾の宿に到着した(かなりの強行軍である)。ここからそま山城へは、50町(5キロ強)離れており、しかも両者の間には大きな川が流れている(ここで「大河」と記されているのは、九頭竜川の支流の日野川である。かなり大きな川であることは確かだが、上流なので、「大河」というほどの規模の流れであるかどうかは疑問に思われる)。日がくれて、雪道を歩き疲れている。十分に休息をとって、明日は攻撃に取り掛かろうと、あまり多くはない民家に大勢で泊まりこみ、火を起こして暖をとり、前後不覚に寝入っていた。

 瓜生は、目論んだとおりに敵を谷底におびき寄せて、今が頃合だと思ったので、その夜更けに、野伏(武装した農民・地侍の集団)3千余人を後ろの山へ上げ、足軽(軽装の歩兵)700余人を左右に展開させて、三方から鬨の声をあげて攻め寄せる。寝ぼけた敵兵たちは、鬨の声に驚いて慌てふためくところに、宇都宮氏配下の紀氏・清原氏の2つの党の武士団が乱入し、家々に火を掛けたけたので、よろいやかぶとなどの武具をつけたものは太刀を持たず、弓を持ったものは矢を負わず、5尺あまり降り積もった雪の上に、カンジキもつけずに走り出したので、雪の中に胸の辺りまで落ち込んでしまい、足を抜こうとするけれどもうまくいかず、泥にまみれた魚のごとくで、生け捕りにされるもの300人、戦死したものは数を知らずという体たらくである。幸いに逃げ延びることが出来たものも、みな武器や武具を捨てなかったものはいないという惨敗ぶりであった。

 寄せ手が6千余騎、守るほうが500余騎という兵力の差はあるが、城攻めの場合には、寄せ手が圧倒的に多数でないと落城させるのが難しいというのが常識で、この戦いでは寄せてのほうが短兵急に進軍するなど、兵法を無視した無理な作戦を立てている。守る瓜生のほうは、土地勘がある上に数において劣勢なので、奇襲を試み、さらにこれまでもあちこちでその役割を演じていた、野伏や足軽などの戦力を活用して勝利を収めている。このあたりの瓜生の戦い方は、楠正成を彷彿とさせるのだが、これから物語りはどのように展開していくのだろうか。
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