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島岡茂『英仏比較文法』

2月2日(金)雨(霙)が降ったりやんだり

 最近の英語教育をめぐる政策的な動向として、英語の授業は英語ですべきであるという方向が打ち出されている。日本語の海の中で日本語を習い覚えてきたのと同じように、英語も英語の海の中で習い覚えよう(そのほうが「自然に」身につくはずだ)というのがその趣旨らしいが、英語の授業を英語でやっても、ほかの授業は日本語で行われるし、休み時間は無論のこと、学校を出てしまえば日本語の海に戻るのだから、英語がどの程度身に付くかは怪しいものである。(なお、日本語の「自然に」というのがかなり曲者であるということは、多くの考察がされている。)

 それ以上に気になるのは、英語を学習する際に、日本語で説明しないとわからないような細かいニュアンスだとか、理論的な理解というものがなおざりにされる恐れがあるということである。NHKラジオの『英会話タイムトライアル』は英語の母語話者であるスティーヴン・ソレーシーさんとジェニー・スキッドモアさんが番組を担当していて、日本語を流ちょうに話すスティーヴンさんが日本語で説明して進めるのが普通で、時々、今日はほぼ全部を英語で放送します(と日本語で言って)、番組を進めることがあるが、それでもまったく英語だけで終わることはない。日本人に対し、英語だけで英語を説明するのは、それほど難しいことなのである。

 特に、英語と日本語はそれぞれどういう特徴があって、日本語の母語話者はどのようなところに気を付けて英語を学習すべきかということを理論的に理解するということは、英語だけの授業では困難だろうと思う。そこで、最近は英文法をほかの言語の文法と対比して論じた本を探して読むことにしている。
 ここで取り上げる島岡茂『英仏比較文法』(大学書林)は、英語とフランス語のどこが似ていて、どこが違うかを、文法だけでなく音韻の変遷や語彙にまで及んで初歩的に概観した書物である。「はしがき」によると、著者には『仏独比較文法』という著書もあるほかに、前島儀一郎『英仏比較文法』(大学書林)という本があり、こちらのほうが程度が高いという。それぞれ、探してみようと思っている。ほかに、三好助三郎『新独英比較文法』(郁文堂)という書物を入手しているが、英語とドイツ語を対比した書物はほかにもあるようなので、こちらも探してみるつもりである。

 また岩波新書で中島文雄『日本語の構造』という本があり、英語の専門家による日本語論として、注目すべき内容を持っていると思い、島岡さんの本と併せて読んでいる。このほか、英語教育者の立場から書かれた畠山雄二編『徹底比較 日本語文法と英文法』(くろしお出版)という書物も書架に並んでいて、これもいずれ読んでいくつもりではある。別に文法に限らず、日本語と日本語以外の言語にはそれぞれどのような特徴があって、それぞれの習得の際にどのように気をつけるべきなのかということを知る手掛かりになるような書物は、できるだけ探して読んでいこうと考えている。
 なお、三好準之助『日本語と比べるスペイン語文法』(白水社)という本も入手していて、著者がスペイン語と日本語を直接に対比しようと試みているところが興味深いが、これもそのうち取り上げてみるつもりである。(昔、ある人に、英語とドイツ語が分かれば、ヨーロッパの言語は大体わかるようになるでしょう?と聞かれたことがあったが、とんでもない、とんでもない。英語がわかることは、多くの場合、ヨーロッパのほかの言語を勉強する際に邪魔になる。少なくとも駆け出しの場合はそうである。だから、英語を通さずにいきなり日本語とスペイン語を比べるという三好さんのやり方は理解できるのである。)

 さて、『英仏比較文法』に戻る。『はしがき』にはこの書物が、英語とフランス語の文法だけでなく、歴史と構造のすべてを含んで考察していると記され、より具体的には「ゲルマン語(派)に属する英語が、いかにラテン・フランス両語の影響のもとに、今日の形をとるに至ったかを概観したものである」(ⅰページ)とその趣旨が述べられている。

 「Ⅰ 原初の対応」と題する最初の章では、比較言語学的に、印欧語の中で、もともとの祖語からどのような変遷の経路をたどって今日のような英語、フランス語が形成されてきたかが推定されるようになったかが概観されている。歴史的な推移の中で音韻がどのように変化していったかを巡っては法則性が認められ、その代表的なものがグリムの法則といわれるものである。それがどんなものであるか詳しく説明するのも面倒であるが、要するに、ヨーロッパ起源の多くの言語の間に一定の相関性がるのだということだけ理解しておけばいいだろう。
 例えば、父を意味する語はギリシア語ではπατηρ(pater)、ラテン語ではpater、フランス語ではpère、イタリア語ではpadreであり、英語ではfather,ドイツ語ではVaterである。ロマンス語派のラテン語、フランス語、イタリア語ではpになっているところが、ゲルマン語派の英語、ドイツ語ではf(ドイツ語のvはfと発音する)というようなことである。

 これは子音の対応であるが、母音についてはそういう対応はほとんどないという。その他の例も含めて、著者は次のように結論している。「フランス語と英語の関連、前者の後者に及ぼした影響を研究するばあいは、印欧祖語にさかのぼるわけにはいかない。少なくとも研究の範囲をラテン語以降に限定することが必要である。しかもそれがフランス語そのものの影響なのか、それともラテン語の影響なのか、決定しがたいばあいが少なくない。そこで厳密に言えば比較文法の対象になるかどうか、多少の問題がある」(12ページ)。

 なお、言語学の中では、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語・・・・のようにもともとは一つの言語(祖語)があって、そこから分岐して別々の言語になったと考えられる言語同士を比べるのが比較言語学であり、日本語と英語とか、日本語とスペイン語のように、明らかに別系統の言語同士を比べるのを対照言語学という。島岡さんが「厳密に言えば比較文法の対象になるかどうか」というのは、そういうことを踏まえての発言である。
 英語の変遷について、島岡さんはそんなことは分かっているはずだとしてあまり詳しく論じていないが、次の「語彙」の章についてみていく際に、私のできる限りで補足することにする。  
 
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