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エラスムス『痴愚神礼賛』(6)

1月31日(水)晴れ

これまでの概要
 鈴のついた阿呆の帽子をかぶるなど、道化の扮装をして現れた痴愚の女神が、自分は世の中にとってなくてはならない存在だと自賛の演説を始めます。痴愚こそが世の中を明るくし、人と人との間を円滑に取り持っているというのです。そして自分は豊穣と富の神プルトスと、魅惑的で陽気なニンフのネオテスの間の戯れから生まれたと、その出自を自慢します。そして自分は神々にも人間たちにも喜びを与えてきたとその実例を列挙しはじめます。人間は愚かな快楽の追求の結果として生まれ、幼年期から青年期にかけてを未熟という痴愚の中で過ごし、そして老いてはまた子ども時代の痴愚に戻るのだといいます。人間の心には理性よりも情念の方が多く宿っており、怒りと情欲とが情念に加勢して生活を道徳の規範から外れたものとしていると説きます。男性が女性にうつつを抜かしたり、宴席で酒を愉しんだりするのも痴愚の働きであり、人と人との間の友情も相手の欠点を見逃すことによって強められているというのです。さらに結婚生活も、お互いに対する無知によって安定したものになると主張します。

〔21〕
 これまでの演説をまとめて、女神は次のように断言します:
「要するに、この私というものがいなければ、この世にはいかなる人と人との交わりもありえなければ、人生における結びつきも幸福に長続きはしない、ということなのです。人がお互い同士、ときには幻想を抱き、ときにはへつらい、ときには賢明な態度で目をつぶってやり、ときには愚かさという甘い蜜で尖った心をやわらげないかぎり、君主は民衆にとって、下僕は主人にとって、侍女は奥方にとって、生徒は教師にとって、友人は友人にとって、夫は妻にとって、借家人は家主にとって、同僚は同僚にとって、飲み仲間は飲み仲間にとって、長いこと我慢できる存在ではなくなることでしょう。」(56‐57ページ)〔君主⇔民衆、下僕⇔主人、侍女⇔奥方、生徒⇔教師、夫⇔妻、借家人⇔家主というのは、それぞれの関係が整理されていない列挙だという気がします。これは痴愚女神の演説ということで、わざと混乱した言い方にしているのだと思われます。〕
 さらにもっと大変なことがあるといいます。

〔22〕
 それは人々が自らをうぬぼれて、愚かな目で見ているということです。自惚れこそが、あらゆる社会的活動の動因だといいます。どんな偉大な仕事も、自惚れなくしては実現できないというのですね。また、人々の最大の幸福はありのままの状態でいたいということですから、見かけも中身も異なる人々がそれぞれ自分に満足して暮らしているというのは自然の格別の配慮ではないかというのです。

〔23〕
 さらに、「世の称賛を博するあらゆる行為がなされる檜舞台」、「その源」(60ページ)である戦争を女神は賛美します。翻訳者である沓掛さんの注によると、昔、ギリシアの哲学者であるヘラクレイトスが「戦争はあらゆるものの母であり、女王である」という言葉が踏まえられているとのことです。痴愚の女神に戦争を賛美させているということは、エラスムスご本人は戦争に反対だということですね。間もなく、宗教改革と、それに伴う宗教戦争の時代がやってくるという時期に、この書物が描かれていることに留意する必要があります。エラスムスは他にも『平和への訴え』とか、『戦争は体験しない者にこそ快し』といった論説を書いています。 

 女神の「賛美」を通して、著者の戦争への嫌悪が浮かび上がってきます:
 「なんのためやら理由もわからぬままに、このような争いごとをおっぱじめ、その結果、双方ともに得よりも損をすることになるほど、馬鹿げたことがありましょうか。」(60ページ) 
 戦争で手柄を立てて賞賛されるのは、「居候、女衒、盗賊、人殺し、田夫野人、愚か者、借金に追われる者といった連中、つまりは人間の屑たちでありまして、燈火のもとで学問にいそしむ哲学者ではないのです。」(61ページ)

〔24〕
 女神の戦争賛美は、戦争の際に全く役立たないと彼女が非難してきた「哲学者」たちへの罵倒に導きます。
 「この哲学者のお歴々が、人生のあらゆる場面でいかに役に立たないかということは、ソクラテス自身がその立派な証拠になりえます。」(同上) 告発を受けたソクラテスが自分自身をしっかり弁護できず、その弟子のプラトンも法廷においてはまったく無能だったといいます。公の討論でしっかり議論できない人間が、戦場で役立つようなことはあり得ないとつづけます。
 
 さらに女神はプラトンの哲人政治論=「哲人が統治するか、統治者が哲学するならば、国家は幸福であろう」(63ページ)を批判します。「歴史家の書を覗いてみれば、哲学かぶれの者や文学にふけったものが支配権を握ったときほど、国家にとって災いとなったときはない」(同上)というのです。ローマ五賢帝の1人であるマルクス=アウレリウスはストア派の哲学者として知られているが、当時のローマの民衆には不人気な皇帝だった(これは本当のことらしい)し、仮にその政治が立派なものであると認めても、自分の不出来な息子(コンモドス)を後継者にしたということで帳消しにされるといいます。
 〔ここでもまた、エラスムスは痴愚の女神に哲人政治を非難させることで、哲人政治を擁護しているのですね。『キリスト者の王の教育』という論説の中でエラスムスは、「国家は君主が哲学を行うか、哲学者が王座について、初めて幸福になるのである」と論じているそうです。現代は民主主義の時代ですから、主権者である国民が哲学を学ぶ(というよりも、合理的な思考力を身に着ける)ような教育が必要だということになると思います。〕

〔25〕
 女神はさらに、生活上のあらゆる場面において哲学者、あるいは賢者が退屈な存在であるとその主張を続けます。みんなが楽しく話をしている時に、まじめくさった賢者が現われるとしらけるばかりだといいます。
 「そもそも人間たちの間でなされていることで、愚かさに満ち満ち、愚者によって愚者のためになされていないようなことがありましょうか。」(66ページ)と意気軒昂です。ここは英訳を見ると、Nothing happens in this world which isn't full of folly, performed by fools amongst fools.となっています。こういう世界が嫌な人は、どこか人気のないところに行って一人で暮らせばいいと言います。そういえば、(モリエールの『人間嫌い』の主人公アルセストが最後にこう言いだしますね。

 以上、〔21〕から〔25〕までを見てきました。痴愚の女神は絶好調ですね。しかし、その背後で、エラスムスがしっかり操り糸を握っているのもうかがえます。さて、これからはどのような展開になるでしょうか。

付記:月末なので本来ならば、「2018年の2018を目指して(1)」という表題で、1月のまとめをするはずなのですが、私が使ってきたパソコンがかなりガタが来ているために、これから買い替えに出かけるつもりで、他にも雑用が重なり、それやこれやバタバタして落ち着かず、まとめが延び延びになっております。2017年1年間のまとめとともに、いずれ掲載していくつもりなので、しばらくの御猶予をお願いします。また、ことと次第によりましては、しばらく当ブログの更新が途絶えるかもしれませんが、そう長くは中断しないと思いますので、引き続きご訪問いただくようお願いします。

 
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