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日記抄(12月17日~23日)

12月23日(土)晴れのち曇り

 12月17日から本日までの間に経験したこと、考えたことなど:
12月17日
 『朝日』の朝刊は書評欄を始め、読み応えのある記事が多かった。特に横尾忠則さんによる磯崎憲一郎『鳥獣戯画』の対話体の書評(「僕も面白い日記を書くためにわざと面白い行動に出て日記を面白くする」)は、独立の読み物として読めてしまう。野矢茂樹さんの坂田隆『新哲学対話 ソクラテスならどう考える?』の書評は、読んですぐにこの本を読みたくなった。アレクセイ・ニルチャク『最後のソ連時代 ブレジネフからペレストロイカまで』、堀真理子「改訂を重ねる『ゴドーを待ちながら』 演出家としてのベケット』の書評も興味深かった。原武史さんによる松本猛『いわさきちひろ 子どもへの愛に生きて』の書評では、ちひろが宮沢賢治のことばに触発されて共産主義に共鳴するに至ったこと、彼女が池袋モンパルナスで丸木俊と知り合い、その交流が続いていたことが紹介されていたのが注目される。(私は丸木俊は好きで、毎年、すずらん通りの檜画廊で開かれている丸木位里・俊展は大体見に出かけている。) 大沢真幸さんの連載「古典百名山」では、西田幾多郎の『善の研究』を取り上げ、「ある日、西田は講義の途中で黙ってしまい、突然「わからん!」と言って、さっさと帰ってしまった。…学生はしばし愕然としたが、「わからん」に感動して教室を出たという。・・・我々は、戦後の日本人は、西田の「わからん」を継承しているだろうか。」という最後に問いかけている。難しい問題に果敢に挑戦する知的な勇猛心、その結果、自分の表現が難しくなってしまうことを恐れない態度、わからないことをわからないという率直さ、ともに大事なことではないかと思う。〔お茶の水女子大で教えていた周郷博は、教室に向かう廊下を歩いていて今日はどうも大した講義が出来そうもないと思うと引き返して授業をやめ、奈良女子大で教えていた岡潔は通勤の途中の道で石を蹴飛ばして、自分の調子を占い、調子が悪そうだと授業をやめたという話がある。古き良き?時代の話である。〕

 人生100年会議がその中間報告書で、学校を卒業して実人生で体験を積んだのち、学校に戻って学びなおす「リカレント教育」の実現を訴え、そのために産官学の連携が必要だと述べていると『朝日』の朝刊が報じていた。まことに結構なことであるが、北欧のリカレント教育が一部の学会で注目を浴びていたのはもう40年くらい昔のことである。政策形成がもっと学会の動向に敏感であることを切に望む。

 横浜駅東口のそごうの中にある紀伊国屋で飯田隆さんの『新哲学対話』を早速買い求めたのだが、私と同じようなことを考えていた人が多かったようで、平積みにされていたのが1冊しか残っていなかった。最初の部分で著者が、プラトンでは台所のことばで哲学が語られているという大森荘蔵の評言が引き合いに出されているのが印象に残った。難しいことを考えていると、表現がむずかしくなるのは避けられないことであるが、それでもやさしい表現ができるというのは偉大なことである。

12月18日
 『朝日』地方欄の「探訪@厚木・伊勢原・秦野」という連載に、伊勢原市日向の日向薬師では、毎年1月8日の「初薬師」の日に、参拝客の健康を祈念して、おかゆとお漬物を振舞うという記事が出ていた。出かけてみたいが、たぶん、参拝路を歩ききる体力がないのが残念である。

 『日経』の文化欄室町時代の酒母「菩提翫」を『多聞院日記』などの記載をもとに復元して、奈良市の菩提山正暦寺でつくられていた清酒「菩提泉」を再考したという記事が出ていた。寺院の日記には百科全書的な性格がある場合もあるということかもしれない。

 NHKラジオの『短期集中3か月英会話』は10~12月の間「洋楽で学ぶ英文法」という内容で放送を行っている。聞き流すのにはちょうどいい内容なので、聞いているのだが、今週は追悼ウィークだそうで、その第1回としてレオン・ラッセルの”A Song for You"が取り上げられた。
 I've been so many places in my life and time (これまで、いろんな場所に足を運んできた)
 I've sung a lot of songs, I've made some bad rhymes (たくさんの曲を歌い、つまらない歌詞を書いたこともあった。)
 I've acted out my love in stages (ステージで自分の愛を表現してきた)
 With 10,000 people watching (1万人の人が見ている中で)
 But we're alone now, and I'm singing this song to you (でも、今は二人きり、そしてこの歌をおまえに歌っている)

12月19日
 『短期集中3か月英会話』はゲーリー・ムーアの”Still Got the Blues"を取り上げた。ムーアはベルファスト出身だそうで、文化の衝突の中で、彼の音楽を育んだらしい。
 Used to be so easy to give my heart away (昔は簡単に人を好きになることができた)
 But I found out the hard way (でも、つらい思いをして分かったんだ)
 There's a price you have to pay (払うべき代償があるってね)
 I found out that love was no friend of mine (愛は友達ではないことが分かった)
 I should have known time after time (そのことをしっかり学ぶべきだった)

12月20日
 NHKラジオ『実践ビジネス英語』は”Transforming a Night Owl"(夜型人間の改造)という新しいビニェットに入った。
Their body clocks are out of sync with the rhythms of the working world, especially in a hyper place like Manhattan.(彼らの体内時計は、実社会のリズムと合っていない。マンハッタンのようにあまりに活動的なところでは、とくに。)という。私は、最近、夜型の生活をしていて、何とか、朝型に戻そうとするのだが、コンピューターの仕事が遅いこともあって、なかなか戻せないでいる。

 研究会でAI(人工知能)の読解力がまだ十分ではないことが指摘されているが、そのAIに及ばない読解力しかもっていない大学生がかなりいるのではないかという報告があった。その原因や対策をめぐってさまざまな議論が展開された。

12月21日
 NHKラジオ『まいにちスペイン語』応用編「スペイン文学を味わう」は19世紀スペインの文学作品を取り上げており、12月はガリシア地方出身の女流作家エミリア・パルド・バサン(Emilia Pardo Bazán, 1851-1921)のLos Pazos de Ulloa (ウリョーアの館)を読み進んでいる。ゴンクール兄弟やゾラなどフランスの自然主義の作家たちと交流したり、ロシア小説の紹介につとめたりしたりする一方で、フェミニストとしても活躍した。講師の大楠栄三さんはこの小説の翻訳を手掛けた人だけに、番組への取り組みも一段と力が入っているようである。
 ガリシアの山の中にあるウリョーアの館の礼拝堂付き司祭になった若いフリアンは、館の当主であるドン・ペドロとその使用人たちの荒々しく粗野な生活ぶりに驚く。ドン・ペドロが執事であるプリミティボの娘で、館で女中として働いているサベルを愛人にして、ペルーチョという子どもまで儲けていることを知ったフリアンは、何とかドン・ペドロを立ち直らせようとドン・ペドロの母方の叔父であるドン・マヌエル・パルド≂デ=ラ=ラヘのサンティアゴ・デ・コンポステラにある屋敷に出かけさせ、そこでドン・マヌエルの3女であるヌチャとドン・ぺドロが結婚することになる。
 新妻であるヌチャは、館のこれまでのいきさつなど何も知らないまま、館のことを知ろうとしてあちこち探索を始め、鶏舎から卵を盗んでいたペルーチョを見付け、彼が自分の夫の私生児であることなど気づかず、かわいいので、すっかり気に入ってしまう。
 ヌチャは懐妊し、難産の末出産するが、生まれたのは女の子で、これ以上子どもは難しいと医者に言われたため、ドン・ペドロは途端にヌチャに冷たく接するようになる。一方、館で大っぴらに振舞うようになったペルーチョは、赤ん坊に興味を持ち、彼女を喜ばせようといろいろな工夫をするようになる。

同じく『まいにちドイツ語』応用編「ベルリン――変転する都市」では”West-Berlin Eine Insel in der DDR"(西ベルリン――東ドイツに浮かぶ島)という文章を読んだ。西ベルリンはいわば東ドイツという海に浮かぶ孤島となったのだが、その政治的な地位は独特のもので、外交と通貨行政は西ドイツが代行するという協定があり、実質的には西ドイツの飛び地だったが、法的には、アメリカ、英国、フランスの占領地区であり、西ドイツ領ではなかった。兵役義務がなく、住民の流出を防ぐために補助金の支給もあったため、西ドイツから兵役を忌避する学生や若者が集まった。1968年の学生運動の中心となったのも、そうした背景からであり、その中でさまざまな若者文化が生まれたという。

 同じく『まいにちイタリア語』応用編「原文で読む古典の楽しみ」では16世紀の詩人ルドヴィーコ・アリオスト(1474-1533)の《Orlando furioso》(狂乱のオルランド)を取り上げる。シャルル・マーニュ(カール大帝)に仕える騎士であるオルランドの武勇と、彼の美女アンジェリカへのかなわぬ恋を描いた騎士道叙事詩である。姿を消したアンジェリカを探すオルランドは、アンジェリカが他の男と恋に落ちているという徴を見付けるが、それを信じたくない…。
 この放送では省略されていたが、怪獣の生贄にされようとしたアンジェリカをオルランドが助ける場面は、アングルをはじめ多くの画家によって描かれている。ペルセウスとアンドロメダ、聖ジョージと国王の娘(名前を忘れた)、(素戔嗚尊と櫛稲田姫)の同工異曲であるが、ペルセウスとアンドロメダ、素戔嗚尊と櫛稲田姫は結婚し、聖ジョージは助けただけ、オルランドは助けたのに振られるという一番悲惨な運命をたどる。

12月22日
 『まいにちスペイン語』応用編、『ウリョ-アの館』の続き。当時、この地方を支配していたのは2人のカシケ(cacique, 有力者)であった。1868年に革命が起きて、1869年に憲法制定議会が開かれることになり、そのための選挙が行われることになる。伝統主義者と自由主義者の激しい対立が展開していたのだが、
Conviene saber que ninguno de los dos adversarios tenía ideas políticas, dándoseles un bledo de cuanto entonces se debatía en España(敵対するどちらも政治的見解などまるで持ち合わせていなかったことは知っておくべきだろう。そのころスペインで議論されていたことなど、彼らには全くどうでもよかった。)
 革命以前穏健派だったバルバカナは、今やカルロス支持派となり、中道的な自由主義連合を支持していたトランペタは、急進的な自由主義者になっていた。そしてバルバカナが自分は立候補せずに、ウリョーア侯爵の名で知られるドン・ペドロ・モスコソを推薦したので、ウリョーアの館は大騒ぎとなった。
 選挙戦は白熱し、相手候補者の中傷や、投票用紙のすり替え、署名偽造、脅迫、暴力などありとあらゆる策略が駆使された。
 作者の父親はこの制憲議会に議員として参加したそうで、そうした経験や記憶が物語により迫真性を与えているのであろう。

 NHKラジオの「朗読の時間」で田山花袋の『蒲団』を放送しているが、(前回も書いたかもしれないけれども)同じく「自然主義」的傾向をもつ作品と言われる、この『ウリョーアの館』に比べてスケールが小さいというか、想像力が働いていないというか、情けなくなるところがある。

12月23日
 『朝日』の朝刊の地方欄にエリザベス・サンダース・ホームの創設者である澤田美喜がキリシタンの遺物のほか、キリスト教にかかわる様々な土地の石を集めていたという記事が出ていた。何の変哲もない、おそらくはほとんど無価値の石ではあるけれども、拾った場所やそこまでの旅路を考えると、金や美意識では評価できない意味があるということなのだろう。ある人間の事業や取り組みと、その人間の趣味やコレクション(それ自体が事業になる場合もあるけれども)とはその人だけの理由で結びついているということがあるのかもしれないと思った。 
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