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ダンテ・アリギエリ『神曲 天国篇』(33-2)

12月13日(水)晴れ

 1300年4月7日の夜、35歳のダンテは暗い森の中をさまよっていた。彼が野獣たちに行く手を阻まれて進退に窮している時に、ローマ黄金時代の詩人ウェルギリウスの霊が現われて、彼を異界への旅へと連れて行くという。4月8日(復活祭の前の聖金曜日であった)に出発した彼らは(地球の内部に想定されている)地獄をめぐって、すべての罪とその罰を見た後、(地球の南半球に山として聳えている)煉獄で決定的に罪を犯したことがない人々がその罪を清めるさまを見、また自分の罪を清める。煉獄山の頂上にある地上楽園で、ウェルギリウスは去り、案内者としてベアトリーチェが現われる。彼女に導かれて、ダンテは天上の月天、水星天、金星天、太陽天、火星天、木星天、土星天をめぐり、至高天から彼を迎えにやってきた魂と対話して、現世で抱いていた信仰や政治をめぐる疑問への回答を得、彼がこの旅で見聞したことを地上の人々に伝えることが彼の使命であることを自覚する。至高天から土星天に降りてきている「ヤコブの階段」を上って恒星天に達したダンテは、信仰、希望、愛という3つの対神徳についての試問に合格し、彼がその見聞を人々に伝えるのにふさわしい存在であることを証明する。彼は物質的な世界を離れて、天球のすべての運動の始源である原動天を経て、至高天に至る。時間も空間も超越した世界である至高天で彼は祝福された魂が百合の花のように並んでいる姿と、天使たちが飛んでいる姿を見る。ベアトリーチェは天国の彼女本来の場所に戻り、神秘主義者のベルナールが最後の案内者となる。彼は聖母マリアの恩寵を得て神に近づくように指示する。神の光の中に入っていった彼は、彼の見たものを言葉の限界のために表現することができず、ただ、見たという記憶が残るだけであった。彼は見たものを言葉で表現できるように神に祈る。

私は思っている、私が受けた生命みなぎる光線の
激しさゆえに、もしも目を逸らしていたならば、
眼が眩んだままになってしまっただろうと。
(499ページ) ダンテは神こそが救いであり、神から目を逸らしてはならないことを知っていた。
私は覚えている、こうならぬよう
私がさらなる勇気をふりしぼって持ちこたえ、我が視線を
永遠の御力にまで到達させたことを。
(同上) そこで、神の光を必死になって正面から見つめた。
おお、あふれるほどの恩寵よ、そのおかげで私は尊大にも
永遠の光の中に視線を打ち込んだのだ、
そこで我が視力の限りを尽くしきるまで。
(500ページ) 神の恩寵のおかげで極限まで高まった知性の眼の力を限界まで尽くして、ダンテは光源、すなわち神を見つめた。

 彼の眼に最初に見えたのは、全宇宙が1冊の書物、天使をも含んだ諸事物が紙片となり、それを三位一体の宇宙の創造原理で繋ぐ愛が本の綴じとなった、全宇宙を表す一冊の書物の姿だった。

 その後もダンテは同じ神を見ているはずなのだが、ダンテの知性の眼の視力が強くなると、見えてくるものが変わってきた。
むしろ、見ているうちにさらにさらに力をみなぎらせていった
我がうちの視力ゆえに、ただ一つである御姿は、
私が変わっていくにつれ、私にとっては変容していったからなのだ。

至高なる光源の深淵にして光に満ちた実体の中に
同一の大きさをした、三色の
三つの輪が私に姿を表していた。

そして一輪は、まるで虹から虹が生じるように別の一輪に
反射されている姿をしていた。第三輪は
両者が等しく燃え吹き上がらせている火の姿をしていた。
(502-503ページ) そして神秘の深淵でダンテが次に目にしたのは同一の大きさの「三色の/三つの輪」だった。これは、神が円で象徴されることから三位一体の神秘を体現している。それゆえ父である第一輪から、子である第二輪が反射されている姿があり、聖霊、すなわち愛である第三輪は両者からの愛の炎で現出する火の姿をしていた。

おお、永遠の光よ、ただご自身の中にのみあらせられ、
ご自身だけが自らのすべてを知るあなたは、自らに知られ、
自らを知りつつ愛を微笑まれる。

あなたのうちに、反射した光として
生み出されたかのように見えていたその輪、
その全体をしばらく我が目が観想していると、

その中に、その輪と同じ色彩で、
私たち人類の肖像が描かれているのが私に現れ、
そのために我が視線はただそれへと集中した。
(504ページ) そしてダンテは次にこの3つの円のうち、第二の位格、この中に「人間の像が円と両立し」ているのをおみた。ダンテはこの神秘を理解できなかったが、理解を強く求め続ける。


どうしてその人間の像が円と両立し、どうして
その場所にありえたのか、私は理解することを望み続けたが、

私自身の持つ翼はそれに及ばなかった。
だが、我が知性は激しい閃光に撃ち抜かれ、
その中で望んだ神秘が知性に到来した。
(504-505ページ) ダンテが理解しようとしていると、ついに神から発する「激しい戦功」恩寵が彼の知性を打ち抜き、そのなかで、ついにそれを成り立たせている神秘、つまり神、あるいは神の第一位格に知性が触れ、神と合一を果たして三位一体の神秘を直感した。

ついに高く飛翔した我が表象力はここに尽きた。
しかし、すでに中心から等距離で回る輪のように
我が望みと輪が意志を回していた、

太陽と星々をめぐらす愛が。
(505ページ) こうして『天国篇』第1歌で歌われた「超人化」はすべて終わり、ダンテの希望と意志とは、神の意志と一体化し、叙事詩は終わる。

 ついにダンテの『神曲』の全編を読み通すことができた。象徴的表現や寓喩に満ちたこの作品はそう簡単に理解できるものではないし、私はキリスト者ではないので、その神学的な考え方についていけず、理解できなかった部分も少なくないが、それでも一応、全部読み通すことができたことを喜びたい。ダンテの中の中世的、宗教的、神学的な部分と、近代的、世俗的、政治的な部分の両方をこの叙事詩から読み取ることができたのは幸いであった。分かりやすい訳文と、丁寧な注釈、解説を提供してくださった原基晶さんには心からお礼を申し上げたい。また、機会があれば原さんの翻訳、あるいは山川丙三郎、壽岳文章などの方々による他の翻訳を読み返してみたいし、たぶん、夢に終わるだろうが、原文で読むことも目指していきたいと思っている。
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