語学放浪記(3)

5月28日(火)晴れ後曇り

 柳沼重剛『語学者の散歩道』は、1991年に研究社出版から刊行され、その後、2008年に岩波現代文庫から再刊された。著者は故人になられたが、主として古典ギリシア語を専攻する西洋古典学者で、筑波大学などで教えられていた。授業中の雑談が面白いと言って喜んでいた学生の1人が出版社に勤めることになった関係からこの随筆集がまとめられたという。語学、西洋古典学についての雑談的なエッセーが集められているが、研究社版と岩波版とで内容に違いがある。特に「はじめに」が岩波版では相当に短くなっている。その岩波版で割愛された「はじめに」の中に次のようなことが書かれている。

 柳沼さんは古典ギリシア語が専門であり、古典学者である以上ラテン語ができないと通用しないのでラテン語を勉強し、近代語では英語、旧制高校ではドイツ語を第一外国語とするクラスに入ったのでドイツ語、大学では文学部に入った以上英・独・仏はできないといけないと言われて、フランス語を勉強し、さらに英国に留学した時の先生にラテン語をやっておいてイタリア語をやらないとはけしからんと言われて、イタリア語も見につけたという。(研究社版、2ページ)

 それだけの言語を勉強して、その中で自分の専門以外に最も親しんだ言語が英語であるというのが興味深い。学生のころ、アメリカの進駐軍の将校のハウス・ボーイを務め、大学卒業後は新制高校の英語の教師をしたという。特に英語教育についての勉強をしたわけではなくて、旧制高校で英語の単位を取っていれば、卒業証明書と成績証明書を出しさえすれば高校2級免許証が取れるという時代だったという。ところが成績証明書を見て驚いたことに、英語の成績はすべて可であった。教頭にこんな成績でもよいのですかと尋ねたところ、不可がなければよいのだと言われたという。よい時代であったのである。

 ただ、自分の経験からすると、不可がなければよいというのはかなり信頼性のある基準である。私が大学院の入試の口述試験を受けたときに、面接した先生が君は入試の英語の成績が一番だったのに、大学での英語の成績は悪いねえ(良が1、可が3)と言われた。しかし、ドイツ語の方が成績が悪いことを見落とされたようである。とにかく「不可」があったのである(優が1、良が1、可が2、不可が2)。ドイツ語の成績が悪かったのは勉強しなかったこともあるし、その上に試験の前日に用事ができたりして、準備が不十分だったことによる。
 
 外国語の授業を担当する先生にはそれぞれの個性や方針があり、厳しい人も甘い人もいる。それにたまたま山が当たって成績が良くなることもある。それから私が大学の教養部にいたころは、外国語の先生の大部分は文学畑の人が多く、時たまそうでない人がいても哲学畑で、必ずしも学生たちの進学する方向にふさわしい内容の教材を選んで授業をしてはくれなかった。したがって、大学の外国語の成績をあまりに問題にするのはおかしい。それでもやはり「不可」についてはその事情について探っておいたほうがよいだろうと思うのである。

 なお、そのときに君はロシア語の成績が一番いいとも指摘されたのだが、そのロシア語の勉強をいち早く断念したのは皮肉である(そのくらい思い切りがよかったというのが、成績がよかった原因であるかもしれない)。
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