高安国世先生について

5月27日(月)晴れたり曇ったり

 前言撤回。母の仮通夜が終わり、葬儀の日程が決まってみると、ブログを中断しなくてもよさそうだということになった。もともと2~3日の中断というつもりではあったが、1日中断することがあるかないかという程度で収まりそうである。亡父は現役のサラリーマンとして死に、母は現役の主婦として死んだ。こちらは既に退職しているが、ブロガ―として現役であり続けるつもりである。

 5月26日の当ブログ「「俳句」その他」で歌人である高安国世先生からドイツ語を習ったことを書いた。本日の毎日新聞の「短歌月評」(11ページ)で大辻隆弘さんが「相対化の視線」という題を掲げて、今年生誕100年を迎える近藤芳美と高安国世の業績の再点検の試みについて取り上げている。どうも偶然とはいえ、不思議なつながりだと思って、この文章について少し紹介していきたい。

 2人は『アララギ』の土屋文明欄から出発し、戦後短歌をリードする存在であったという。高安先生については、先生が主宰されていた『塔』の5月号で、生前の高安国世を知らない世代による座談会が掲載されている。各人が「通説にこだわることなく、虚心な態度で高安短歌の魅力を語っている。・・・自分の作風に満足できず変貌をくり返した高安の姿が浮かび上がってくる」という。

 さらに大辻さんは「これら2つの特集に共通するのは、対象に一定の距離を置いた「相対化の視線」だろう」とも書いている。「晩年の近藤に老耄と頑冥を指摘し、高安の全歌業に安住できない気の弱さを看取する。2人の影の部分に対するこれら率直な表現は、両者が没してから一定の年月を経たからこそ、可能になったものだろう」という。高安先生の「気の弱さ」が影の部分であるかどうかは疑問であるが、確かに先生には気の弱い部分があったと、今になって思う。先生が授業中短歌の話をされなかったのもそのことと関係するのかもしれない。しかし、弱点が魅力になる場合もあるのである。

 「高安没後29年、近藤が逝って7年。歳月の流れは2人の歌人をいやおうなく歴史上の人物に変えてゆく。が、それによって見えてくるものも、実は、大きい」と大辻さんは結んでいるが、何が見えてくるかは人によって違うのではなかろうか。

 私が先生からドイツ語を習った1960年代半ばの京都大学の教養部は、三高時代の木造建築と、戦後建てられ、さらに建てられつつあったコンクリートの建物が並びたち、あちこちで工事が繰り返されている過渡期の学園であった。教養部はもうないのだから、それは明らかに歴史である。私の中で自分の経験が次第に歴史になってきている。どうも複雑な気分である。

 校門の前で学生が独特の口調でアジ演説をしている。グランドでは体育会の連中が練習に余念がない。その一方、ボックス長屋の片隅でブリッジをしている連中がいる。そういうキャンパスの中を高安先生はひょうひょうと自転車を走らせていた。そういった光景も、今や歴史である。
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