英語の公用語化をめぐって

5月23日(木)晴れ

 母の病状は悪化。仕事は捗らず。「落語・講談に見る「親孝行」」の放送を聴き逃す。理念と現実の落差は大きい。

 石黒圭『日本語は「空気」が決める 社会言語学入門』(光文社新書)はなかなか面白い本である。特に第11章「言葉と政治」の中で提起されている「日本の言語政策――英語の公用語化をめぐって」提出されている6つの懸念には同意したい点が多く見出された。

 第1点はこの動きが財界主導で進められている点であるという。財界だけが言語政策を主導するというのでは困るということであろう。むしろ重要なのは第2点であると思われる。第2点は言語教育について発言する官僚、政治家、財界人などに、社会言語学や言語習得研究の素人が多いということである。石黒さんは詳しく論じていないが、このことは一方でこうあればよいという願望に基づいた理念先行の議論が勧められたり、その根拠としてごく卑近で例外的であるかもしれないような発言者の経験が重視されて取り上げられ、実証的な研究や、教育現場の努力が無視されやすいという結果を招きやすい。多くの教育改革は、教師が一生懸命教え、生徒がそれを間違いなくきちんと学習するという理想主義的な前提に基づいて進められていることが多い。しかし、教育行政の課題は、教師が意欲をもってしっかり教えられる条件を整備することであろうし、教師の課題は児童生徒が意欲をもってしっかりと学ぶように導くことである。それができていないから問題なのである。

 第3点は、英語といっても一様ではないということである。ある1つの正しい英語があるというのは思い込みである。石黒さんが言うように、英語の中にもさまざまな変種がある。「重要なのは、言葉にどんな内容を盛り込むか」(265ページ)だというのはまったくそのとおりである。この点と関連して、日本の英語教育では生活言語能力と学習言語能力との区別ができていないのではないかという指摘も重要である。中身のない内容をペラペラ話しても、国際的には評価されない。中身のある内容を話せる人が尊敬を集めるというのは経験的にもそう思う。そういえば、最近は日本側からの発信ということが強調されるようになってきたが、こちらの方も政府見解を繰り返したり、画一化された日本文化を宣伝するということであっては困るのである。話し手の1人1人が自分なりに思っていること、考えていることが発信できるようになることが望ましいのではなかろうか。

 4点目は英語だけでよいのかという問題が挙げられている。日本の周辺にはさまざまな言語があるし、日本に留学してくる学生たちを見ていると、母語+英語+一言語(英語が母語の場合は英語+二言語)が世界の趨勢になっているように思われると石黒さんは論じている。これは実感だけでなく、実証的なデータを示さないといけない議論だと思うので、私なりに調べてみたい。

 5点目として、日本語も国際化しているという点が挙げられている。日本語の学習熱は内外で見られる。ブラジリア大学で日本語のセミナーに出たことがあったが、そのとき出席していた学生の中に日系人は皆無で(先生は日系人だったが)、大部分が日本のサブカルチャーに興味があるというヨーロッパ系の学生であった(日本の工業技術を学びたいという学生もいた)。言語学習の動機は経済的なものだけではないことも認識すべきであろう→これは第1の点に対する懸念を補強するものである。

 6点目は日本語を第一言語とする日本人は、日本語で思考を行っているという点である。幼い時期は、日本語でしっかりと考えられる力を養成することが大事ではないかという。

 3月2日の当ブログ「語学放浪記」で書いたが、私は小学校のころから英語を勉強してきたが、それがよかったとは必ずしも思わない。そのために中学に入って英語の勉強で油断した時期があったからである。今、多少は英語ができるようになっているのは、早い時期に英語を勉強したためではなくて、大学を出てからずっと英語を勉強し続けたからである。言語の学習は持続である。子どものうちにしっかりやっておけば、それが一生長続きするというのはどうも疑わしい。それに世の中は変わるのである。ある国際会議で出会った私とおそらく同年代のベトナム人が、子どもの頃はフランス語を勉強し、ベトナムが社会主義国になるとロシア語を勉強し、今は国際会議で英語を使うことが増えたと述べていた。英語が世界で最も有力な言語の地位を失う可能性が全くないわけではない。加えて最も有力でなくても重要な言語というのはありつづけるだろう。また言語自体もかなり変化する。英語の例をあげると、focusという語はもともとラテン語からの外来語なので複数形はfociとラテン語そのまま(英語としては不規則な変化)であったのが、最近ではfocusesの方が一般的になってきている。学校で習った英語がいつまでも通用するというのではないのである。

 言語政策にしても、言語教育にしても現実の条件や実践についての実証的な知見を踏まえて推進されることが望まれる。そういうことを石黒さんの著書のこの部分から考えることができた。

 この文章では触れなかったが、日本語を支配する「空気」について考察する各章も興味深い。安倍首相がその発言の中でレジームなどと外来語を多く使うのは、英語の公用語化論を一部先取りしようという意図が表れている(ただ、レジームは英語の中でもフランス語からの外来語であろう)のかもしれないが、この「空気」が依然として苦手だからかもしれない。 
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