シェルブールの雨傘

8月9日(水)晴れ、依然として暑し

 8月6日に、中区真砂町のミュージック・スタージ・イライザで行われた別府葉子シャンソントリオ(ヴォーカル&ギター:別府葉子、ピアノ:鶴岡雅子、ベース:中村尚美)の「サマー・ツアー2017」に出かけた。第1部では7曲、第2部では6曲、アンコールを含めて15曲が歌われた。これまでのコンサートで聞いた歌が多かった中で、第2部の最初に「シェルブールの雨傘」(作詞:ジャック・ドミー、作曲:ミシェル・ルグラン、訳詞:あらかわ・ひろし)が歌われたのが印象に残った。いうまでもなく、ジャック・ドミー監督の代表作である映画『シェルブールの雨傘』の主題歌である。

 別府さんのブログを読んでいて気づくのは彼女が映画が好きだということである。それもフランス映画が好きで、映画の字幕の翻訳者になろうと思ってフランス語の勉強できる大学に入ったという話も読んだ。今回のコンサートでも、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『舞踏会の手帳』という映画の話が出てきた。私は不幸にしてこの映画は見ていないのだが(「不幸にして」というのは単なる修辞で、実はそれほど不幸だとは思っていない)、昔のヨーロッパの(アメリカも多分同じ)社交界にはいろいろなしきたりがあって、舞踏会で踊る予約をした相手の名前を手帳に控えておくのもその一つである。ある女性が、年をとってから、その手帳に名前が記された男性を一人一人訪問してみるという話だそうである。別府さんは、それから先を話すとネタバレになってしまいますから…ということで話を打ち切った。ジャック・フェデー、ルネ・クレール、ジャン・ルノワール、そしてデュヴィヴィエを(私の亡父が慶応ボーイだった)昭和10年代の日本の映画ファンたちは「フランス四大巨匠」と呼んでいた。私の父親が親しんでいたような古い映画にまで興味があるというのは相当なものである。

 さて『シェルブールの雨傘』は私が大学に入学した1964年に日本で公開された映画で、私の世代にとって懐かしい映画である。この映画は北フランス(ノルマンディー地方)の港町であるシェルブールを舞台に、愛し合う若い男女の男性の方がアルジェリア戦争のために兵役に取られてその中を引き裂かれて、それぞれ別の人生を歩むことになるが、偶然のことに再会し、それぞれの立場を理解して別れていくという話である。
 この映画を私はスクリーンで3回、TVで1回見ている。いつだったか、ラジオの『まいにちフランス語』で清岡智比古さんとレナ・ジュンタさんがこの映画を話題として取り上げたことがあって、爆笑コンビと称されるお二人がこの時はいやにまじめに話しているなと思った記憶が残っている。

 別府さんの歌を聴いて、映画の記憶がよみがえったのだが、特に気になったことが2つある。1つは既に書いたことだが、この映画がアルジェリア戦争を背景にしているということである。登場人物の運命に、アルジェリア戦争が何らかのかかわりをもっている映画として、アラン・レネ監督の『ミュリエル』とか、ロベール・アンリコ監督の『美しき人生』など、かなりの数の作品を取り上げることができる。先ほど触れたジュリアン・デュヴィヴィエ監督の最後の作品である『悪魔のようなあなた』で、主人公のアラン・ドロンが記憶喪失になったのも、どうもアルジェリアでの戦争のためらしいというように、この戦争の影はかなり大きかったのである。つまり、日本と違ってフランスは第二次世界大戦終了後も、インドシナの独立戦争、アルジェリアの独立戦争という植民地の人々の独立を求める要求を抑圧する戦争を戦ったということであり、そのような戦争はその時代の若者にとって<過去>ではなく、<現在>の問題だったのである。フランス映画における<戦争>の問題を考える時に、このことは無視できないと思った。

 もう一つは、シェルブールの駅で出征していくニーノ・カステルヌオーヴォをカトリーヌ・ドヌーヴが見送るシーン。これはこの映画の中で一番印象に残る場面だと思うのだが、日本で出征兵士を賑々しく送り出す(NHKの朝ドラなどの戦争中の描写でよく出てくる)のと大変な違いである。見送るほうも、見送られる方も一人だけ。フランスは個人主義の国だといってしまえばそれまでだが、哀切さが心にしみる。
 『シェルブールの雨傘』はセリフを歌にするなどの実験的な工夫が施されているとはいえ、わかりやすい映画である。南と北の違いはあるが、同じ港町を舞台にしたマルセル・パニョルのマルセイユ三部作を思い出させるような物語の展開部分もある。その意味では、伝統的な<人情>が踏まえられている。これにくらべると、イプセンの劇を思い出させるようなアラン・レネの『ミュリエル』はきわめて難解である。『シェルブールの雨傘』のヒロインの母娘が金がないと騒いでいる一方で、ディオールの衣装を着ていることの非現実性を、アンナ・カリーナが批判したという記事を読んだことがあるが、本当のところ、アンナ・カリーナはこういう分かりやすい映画に出演したかったということではないかと私は勝手に想像している。(なお、私はアンナ・カリーナの方がカトリーヌ・ドヌーヴよりも好きである。念のため。)

 別府さんが8月6日に歌う歌の1つとしてこの歌を選んだことで、映画について、あるいはその社会的な背景について、いろいろと考えるきっかけになったと思う。そのことを私が8月9日に書き記していることの意味もくみ取っていただければ幸いである。
 
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