片平孝『サハラ砂漠 塩の道をゆく』(4)

8月2日(水)曇り

 2003年12月にパリ、マリ共和国の首都バマコからかつての”黄金の都”トンブクトゥに到着した著者は、12月8日、地元のガイドであるアブドラを通訳兼コック、アジィをラクダ使いとして、3頭のラクダとともに砂漠の旅に出発する。目指すは16世紀末から岩塩の産地として採掘がおこなわれているタウデニ鉱山である。途中で岩塩を運ぶキャラバンであるアザライと合流し、タウデニ鉱山との往復の記録を残そうというのである。
 砂漠の旅の途中で、アジィの知り合いのムスターファが率いるアザライに出会い、交渉の末合流することができる。このアザライに加わっているムスターファ、モハメッド、ラミィ、イブラヒムはみな親戚縁者で、それぞれラクダを借り集め、合計して52頭のラクダからなるキャラバンを構成している。
 トンブクトゥを発って19日目にタウデニ鉱山に到着すると、岩塩の採掘や掘り出した原石を「バー」と呼ばれる塩の板に加工する作業を見る。5月から10月までの炎暑の期間に、他の人々がトンブクトゥに引き上げた後も1人だけこの地にとどまって、10年間を過ごしてきたというアルバという男に出会い、彼の「巌窟王」のような優しさに感動する。
 ムスターファの一行の岩塩の調達が手間取り、2日の滞在予定を4日に引き伸ばして、ようやくトンブクトゥへの帰りの旅を始めることができた。イブラヒムがタウデニに残って働くことになり、代わりにアルファという男が加わる。ラクダに塩を積んでの帰り道は、人間にとっても、ラクダにとってもつらい道のりである。寒暖の差が激しい砂漠の旅の中で著者は体力を消耗し、栄養失調で普段なら気づくことのない尻の骨が飛び出しているのに気づくほどやせ細ってしまった。

 トゥアレグ族(黒人)のアブドラとベラビッシュ族(アラブ系)のアジィは本来ならばいっしょに仕事をしないはずの関係であるが、これまでの経緯や、アブドラが優柔不断で気が弱いために、何とか折り合って旅を続けることができた。アジィがムスターファのアザライに様々な気遣いを重ねてきたことも効果的であった。

 一行はこの砂漠の旅の中での最大のオアシスであるアラワンに戻ってくる。往路で見送ってくれた男たちが、大分痩せましたねと驚きながらも、口々に声をかけてくる。ラクダに思う存分水を飲ませて、昼食抜きで出発。
 大きな砂丘を越えると、サバンナの景観に変わる。目的地が近づいて油断したのか、疲労のためか、著者は右手の親指を骨折してしまう。歩くことに支障がないのが不幸中の幸いである。
 アカシアの木が見えるようになり、ムスターファたちのアザライの本拠地に到着する。ラミィが15頭のラクダを連れて南西の方角に離れていった。次にモハメッドとアルファが18頭のラクダを連れて家路についた。残ったのは著者たちとムスターファ、26頭のキャラバンになった。ムスターファも自分の家に戻るが、別れのあいさつを兼ねて彼の家族の写真を撮らせてもらうことにする。ムスターファに応分の礼金を払って、彼がトンブクトゥの<塩の家>に塩の板を運ぶところを撮影させてもらうことになる。

 37日目、トンブクトゥに向けて出発。出迎えるのは派手だけれども、見送るのはそっと。それがサハラの流儀である。アジィの家族のテントの近くで野営。ところが豪雨に出会い、岩塩が影響を受ける。岩塩が乾くのを待つために、行程が遅れる。ムスターファと一緒に塩を運ぶつもりでいたラミィが事情を知って追いついてくるが、彼も4分の1のバーを割るなど被害を受けていた。
 奇蹟的に岩塩は1枚も割れず、40日目にムスターファは出発する。トンブクトゥが近づくにつれてメッカに向かって祈る祈り方が変わってくる。
 
 42日目、最後の行進。マリ第2の街もプティに飛び立つ、飛行機のエンジン音が聞こえる。翌日、同じ飛行機に著者が乗ることになるのだが、まだ実感がわかない。トンブクトゥの町が近づき、昼近く、町の入口に到達した。「ムスターファが14頭のラクダを引き連れて、西の通りから町に入る。アジィはラクダと直進して自分の家に向かった。」(216ページ) 著者とアブドラはムスターファについていく。「通りを10分近く行くと、左側の角に日干し煉瓦の雑貨屋があった。/出迎えたソンガイ族の中年の男がムスターファと挨拶を交わした。彼が店の主だった。彼が出てこなかったら、この雑貨屋が「塩の家」だとは気づかない。挨拶もそこそこに、若い男を手伝わせて店先にバーを下した。すぐそばのトタンを張ったせまい扉の奥が塩の保管場所だ。」(216-217ページ) こうして著者は「塩の家」を写真に収め、取引の様子を目撃することができた。

 迎えに来たアジィの家で荷物をまとめ、ホテルで一泊、翌日、モプティに飛ぶことが決まった。モプティは塩の集散地なのである。そこで著者は約3000円でバーを1枚買う。大きすぎて運べないので3分の2にカットして日本に持ち帰り、現在は「たばこと塩の博物館」に展示されているそうである(この博物館は昔、渋谷にあったころに出かけたことがあるが、現在は墨田区にあるという)。
 骨と皮になった体は1か月で元に戻り、33年抱いていた夢を成し遂げたというのにご本人以外の人はあまり興味を示さなかった。次の旅は、アザライの一員になって、タウデニから塩を運ぼうと思ったのだが、マリの治安は再び悪化、武装闘争が起きていて、自由に旅行できない状態が続いている。

 砂漠の中、岩塩を運ぶキャラバンは8世紀ごろからずっと続いてきたというが、マリでもより安価に海の塩が手に入る時代を迎えようとしていると著者は言う。人々の暮らしは楽になるかもしれないが、歴史的に積み重ねられてきた砂漠の中の旅の知恵がこれで失われるかもしれない。現実に、著者たちは砂漠を車で走り回っている欧米人たちの姿を何度も見ているのである。
 前回も書いたが、日付など、旅の詳細がはっきりしない部分がある。さまざまな撮影器具を身につけて移動していた著者はアブドラから「アルカイダだ」といわれて笑われたそうであるが、過酷な条件や危険のために、落ち着いて記録が整理できない部分があったのかもしれない。砂漠の中で塩を運ぶ人々が作り上げてきた文化や歴史についても触れられているが、それ以上に、人々の心情に分け入って旅の記録をまとめている点を評価すべきであろう。つねに盗賊や反乱分子からの攻撃の危険にさらされ、部族間の反目も絶えず、不安が絶えない中で暮らしている彼らであるが、家族や仲間、旅人にやさしい配慮を忘れない側面もある。そういう砂漠に生きる人々の生活の内側に入って、ごく一部であるかもしれないが、その心情をさぐりだした書物として、この書物は意義があると思う。
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