ダンテ・アリギエリ『神曲 天国編』(24‐2)

7月27日(木)曇り

 ベアトリーチェに導かれて、天上の世界へと旅立ったダンテは、月天、水星天、金星天、太陽天、火星天、木星天、土星天を歴訪し、それぞれの天で彼を出迎えた魂たちと対話して、神の真実に近づいて行った。そして土星天から至高天へと続くヤコブの階段を上って恒星天に達し、キリストとマリアの凱旋の様子を見る。彼は普通の人間の目では見えないものを見、耳で聞くことのできないものを聞く能力を備わったのである。ダンテはさらに神に近づくために、彼が3つの対神徳の1つである信仰について、十二使徒の一人であり、初代の教皇であり、何よりも信仰という徳を体現する人物であるペテロから試問を受けることになる。
 信仰とは何かというペテロの問いに対し、ダンテは天国の「礎」であり、「目に見えぬことに対する証」であると答える。そのように定義する理由は、地上からの視線は神に届かないので、知性によって神を直接認識することは不可能であり、そのため信仰により神の存在が知られ、その礎の上に人類は天国を望むからというものだった。

 ペテロは次のように言って、この答えを受け入れ、さらにダンテ自身の信仰についても問う。
・・・「この硬貨の純度と重さは、
すでに十分に吟味された。

だが、我に答えよ、お前が財布の中にそれを持っているかどうかを」。
そこで私は、「はい、持っております。それは素晴らしく光り輝き、円く、
その刻印について微塵の疑いも私に起こさせません」。
(366ページ) 「硬貨」は信仰のたとえで、「純度」は信仰の定義、「重さ」は信仰の意味を指すと坊注されている。信仰を硬貨に例えるのは、銀行家の家に生まれたダンテらしい表現である。

 さらにその信仰はどのようにして得られたのかという問いに対し、
「精霊の豊かな慈雨、それは
旧約と新約の羊皮紙の上に広く撒かれたのですが、

これが私に侵攻を論理的に立証した
鋭利な三段論法です。それに比べれば
あらゆる証明は私には鈍く思われます」。
(366-367ページ) この時代、書物は羊皮紙の上に手書きでうつされていた。旧約も新約も様々な時代に様々な著者によって記された文書の集成であるが、それらはすべて精霊に満ちて書かれた神の著作であると考えられていた。

 さらにペテロは、聖書をなぜ、神の言葉とするかと問いかける。ダンテは、そこに記された奇蹟によってであるというが、ペテロは聖書自体が真実の書であるかどうかという問いにダンテが答えていないと問い詰める。
「地上世界がキリスト教に
――私は言った――奇蹟などなしになびいたとすれば、この一事こそ、
その他の奇蹟を合わせてもその百分の一にも及ばぬほどの奇蹟です。
・・・」
(368ページ)とダンテは答える。この答えは聖アウグスティヌスの『神の国』で展開されている考えを受けたものであるらしい。アウグスティヌスの時代とダンテの時代(そして現代)では、キリスト教の人類世界に占める役割がかなり違っているという認識はダンテにはなかったようである。
 そして「貧しく飢え」たペテロを中心に形成されたキリスト教会=「葡萄の木」が今や堕落して「茨と成り果てた」ことも付け加えている。すると、彼の天国への凱旋を許すかのように、天上の魂たちは神への賛歌「テ・デウム」を歌った。

 ダンテの回答を聖ペテロは受け入れる。そしてダンテが何を信じているのか、その真理がどのようにダンテに姿を見せたのかを語るように言う。
 ダンテは第一に「唯一にして永遠なる一つの神」を信じ、その存在は奇蹟と聖書によって証明され、第二に神が「愛」と「希望」つまり神と被造物との照応関係により全宇宙を創造し、運行していること、その神が「一にして三なる」三位格を持つことを信じると宣言した。これに対してペテロは、ダンテの周囲を三回転して彼を祝福した。
このようにその光は私が話したことを喜ばれた。
(372ページ) ダンテが3つの対神徳の第1である「信仰」にかかわる試問に答えたところで第24歌は終わる。次に彼は第2の徳である「希望」についての試問を受けることになる。 

 
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