片平孝『サハラ砂漠 塩の道をゆく』(3)

7月26日(水)雨が降ったりやんだり

 8世紀から16世紀にかけて、西アフリカ内陸部にはいくつかの黒人国家が興隆した。それらはサハラ砂漠を越えて北から運ばれてくる岩塩と南からの金や象牙、奴隷などの交易で繁栄したと言われる。その中心にあったのはサハラ砂漠とニジェール川が出会う場所に建設されたトンブクトゥであった。”黄金都市”としてその名がヨーロッパにまで届いていたトンブクトゥの繁栄は過去のものとなったが、昔のままのやり方で岩塩が切り出されるタウデニ鉱山から、ラクダのキャラバンである「アザライ」によってトンブクトゥまで塩が運ばれてくる交易は21世紀の現在も続いている。
 塩と塩を運ぶ人々に興味をもった写真家である著者は、2003年の12月にパリ、マリ共和国の首都であるバマコを経て、陸路、トンブクトゥへ達する。ベルベル系トゥアレグ族出身で、トンブクトゥの観光ガイドであるアブドラを通訳兼コック、タウデニへのアザライを何度か経験したことがあるアラブ系ベラビッシュ族のアジィをラクダ使いとして、3頭のラクダ(これは旅の規模を考えると少ない)とともに、12月8日に著者はタウデニ鉱山に向けて出発する。往復1500キロ、42日間をかけることになる旅のはじまりである。
 遊牧生活をしているアジィの親戚から2頭のラクダを手に入れ、砂漠の旅を続けて、8日目にアラワンのオアシスに到着する。その先、次の井戸までは6日かかる。「見渡す限りの砂砂漠だ。左前方に、砂丘群が山脈のようにどこまでも我々の移動と並行して動いている。・・・/塩の道は人とラクダの屍を道標にして続いている。しかも数百年の時を重ねて続いてきた。」(47ページ)
 10日目にアジィの知り合いであるベラビッシュ族のムスターファが率いるアザライに出会う。モハメッド、ラミィ、イブラヒムという隊員たちはすべてムスターファの親戚縁者であり、それぞれが借り集めた52頭のラクダとともにタウデニを目指している。標準規模のアザライであるが、比較的若いラクダが多い。見知らぬ人々との合流を嫌がるが、礼金を払って、同行することになる。
 隣国のモーリタニアからやってきている遊牧民のラクダの中に、2年前にアジィが失くした2頭のラクダを見付け、交渉の結果とりもどす。著者のキャラバンのラクダは7頭となり、「もうどこから見ても立派なキャラバンだ」(79ページ)。

 トンブクトゥを出発して19日目の午後にタウデニ鉱山に到着する。「様々な事情を抱えた男たちや犯罪者たちが国中から集まり、身を寄せる」(92ページ)、「一人の女も住まない潤いのない」(93ページ)場所である。ここで著者は、手と足を使って岩塩の大きさを測る昔ながらの方法で行われている採掘の様子や、職人たちが掘り出された原石を「バー」と呼ばれる塩の板に仕上げていくところを見学する。炎暑が続く5月から10月までの間タウデニは無人の地になるが、その間もこの場所に留まり、10年間暮らし続けているというアルバという男に出会う。借金を返すためにここで働いているというこの男が著者に示す底知れないやさしさに著者は感動する。
 タウデニに先着していたモハメッドは自分のラクダ12頭分の岩塩を確保していたが、ムスターファとラミィの34頭のラクダに乗せる岩塩はまだ半分しか入手できていない。イブラヒムは急に、タウデニに残って働くと言い出す。わるいことにムスターファの左手がひどく化膿している。
 2日の滞在を4日に延ばして、ようやく出発のめどがついた。

 この書物は、日付についてのはっきりした記載がないのでわかりにくいが、どうやら2003年12月31日の早朝にタウデニ鉱山を出発、タウデニではお互いに知らないふりをしていたムスターファたちのアザライと合流する。著者の一行も、7頭のラクダのうち2頭に8枚のバーを積んでミニ・アザライになっていた。
 ラクダの体力に合わせて塩を積む。4歳以上のラクダは左右2枚ずつ計4枚、3歳のラクダは3枚、2歳のラクダは2枚ということである。バー1枚の重さは約30キロだという。ムスターファたちのキャラバンはイブラヒムが抜け、その代わりにアルファという男が加わったが、ムスターファがけがをしていることもあって、アジィが手伝いに出かける。それでミニ・アザライはアブドラが仕切ることになったので、彼は珍しく張り切っている。
 「塩を積んだ初日は、ラクダと積み荷のバランスをチェックしながら、ラクダ全体の歩調が合うようにペースを落として移動した。」(125ページ) 行きの路で埋めておいた水とラクダの餌をアジィが掘り出す。岩塩の積み下ろしで傷口が破れてしまったのが幸いして、ムスターファの左手の傷が治る見込みが出てきた。

 夜のうちに出発しようとする。気温の変化が激しい砂漠の夜の気温は2度まで下がり、氷のように冷たい岩塩を積まれることを嫌がってラクダが号泣する。2004年1月1日に、3番目の井戸であるビル・オウナンに到着して水を補給する。
 朝は毛布をかぶって震えながら歩いているのだが、昼には炎暑に襲われる。水分の補給が十分でなかった著者はキャラバンに追いつけなくなる。撮影器具を中心とする荷物も多すぎる。張り切りすぎてタウデニ出発4日目で潰れてしまった。
 「星を見ながら歩くと目眩がした。栄養が足りず血が薄くなった気がする。昨日は熱中症で、今日は栄養失調。寝不足が疲労を増幅させていた。頬に手をやると、げっそり削げ落ちている。」(141ページ) やせ細ったために、これまで気づかなかった尻の骨が飛び出していることに気付く。

 敬虔なイスラム教徒である(イスラムの導師である)アジィは朝6時の祈りをするのだが、他の隊員たちは祈りをしなくなる。早朝の暗闇の中、アブドラとモハメッドが枯草を見付けて火をつけて暖をとる。モハメッドと交代したアジィとラミィも暖をとる。「みんな寒さで死にそうに震えていた。・・・鋼のような体と体力をもっているように見えるが、寒さに驚くほどひ弱である。栄養が足りないのだ。」(159ページ)

 サバンナ地帯に近づいて、ラクダは砂漠に生える草を食べながら歩けるようになった。アジィの正確な土地勘のおかげで、広大なサハラ砂漠で往路と全く同じ道を引き返している。帰りの旅は終わったも同然だとアジィは自信満々だが、朝から歩かずにラクダに乗るなど、疲れた様子がうかがわれる。著者のカメラの自動焦点が故障して手動で写真を撮らなければならなくなり、いらいらする。ただ一人元気なのハムスターファだが、野営地を巡って彼とアジィが衝突する。猿も木から落ちるということか、居眠りをしていたアジィがラクダから落ちて不機嫌になり、さらに遠くまで進んで野営をしようと言い張る。30日目、13時間の行程。厳しい一日。

 『徒然草』の「高名の木のぼり」ではないが、トンブクトゥが近づいてきたからといって安心はできない。人もラクダも疲れ切っているし、夜は寒く、昼は暑い砂漠の過酷な条件はまだ続いている。この後、さらに波乱が起きるが、それはまた次回。
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