中野重治『むらぎも』

7月24日(月)曇り

 7月23日、中野重治『むらぎも』(講談社文芸文庫)を読み終える。この小説はずっと昔に友人から借りた文学全集の1冊として読んだ記憶があるが、その後は、時々拾い読みする程度で終わっていた。この文庫本もいつ、私の書架に加わったのかはっきりした記憶がなく、蔵書の整理をする中で見つけたので、一度精読してみようと思いながら、机の上に置きっぱなしになっていたものである。

 『むらぎも』は中野重治(1902-79)が1954年(昭和29)に『群像』に連載し、この年に講談社から単行本として刊行された長編小説で、彼が1939(昭和14)年に発表した中編小説「歌のわかれ」の続編をなす。「歌のわかれ」の主人公である片口安吉は5年間かかって金沢の(旧制)第四高等学校を卒業し、東京帝国大学に進学してドイツ文学を専攻しようとする。その一方で金沢時代から続けていた短歌の会に参加するが、次第に短歌という表現形式に飽き足らなくなってくる。

 安吉は『むらぎも』では東京帝国大学の3年生になっている(当時の大学は3年制であったので、最上級の学年である。中野がこの小説に取り組もうと考えたのは戦後すぐの時期で、その時は『卒業』という表題が考えられていたという。高等学校で5年を過ごした安吉は、どうしても卒業したいが、さまざまな困難がある。
 「卒業」は人生における境界の一つであるが、他にも境界的な出来事に直面している。1926年(大正15)のことで、この年の12月25日に大正天皇が崩御、年号が昭和と改まる。1923年(大正12)年の関東大震災で東京は大きな被害を受け、その後の生活苦が社会不安をもたらしていた。大正から昭和への改元は新しい時代への動きを予感させた(新しいからといって、それがよいものであるとは限らないのは言うまでもない)。もう一つ付け加えておけば、1925(大正14)年に普通選挙法と抱き合わせで、治安維持法が成立している(小説の中でもこの法律について触れられている)。

 大学入学後、安吉は詩人から小説家になった斎藤鼎(室生犀星がモデル)のもとに出入りしていて、同じように彼のもとに出入りしている文学青年の深江(堀辰雄)や鶴来らと『土くれ』(実際には『驢馬』)という同人雑誌を刊行してきたが、それが10号でいったん打ち切ることになってそのための原稿として何篇のスケッチを書いている。この雑誌は「斎藤の若いときからの詩の仲間で、斎藤が小説作家になってからも詩だけ書いている、偏屈で世ばなれしたようなところのある」狭間京太郎(萩原朔太郎)、それに「師匠株の斎藤と、…特別親しくしてるらしい」(342ページ)葛飾伸太郎(芥川龍之介)らの後援を受けているが、安吉は葛飾と一度会っただけである。ところが、その葛飾からぜひ会いたいという連絡がある。深江は『土くれ』の第10号には、安吉が書き溜めていたスケッチではなく、彼がある会合で話をした啄木論の方がいいという。安吉の文学者としての個性が仲間からも、文壇に属する人々からも、少しずつ認められてきている。その一方で彼は自分自身の美意識の変化、社会意識の変化(とそれをどのように表現していくか)に悩んでいる。

 この時期、社会的な関心を抱いている東大の学生たちの間で組織されていた新人会に安吉は遅れて加わり、マルクス主義の社会理論を学ぶだけでなく、文学理論の研究では中心的な人物になる。労働運動の支援にも出かけるようになる。特に合同印刷(実際は共同印刷)という企業の争議の応援活動が彼のものの味方を大きく変えようとする。
 ドイツから救援会の組織のためにやってきたリーンハルトという人物の通訳をしたり、ドイツ語で書かれた社会主義文献を翻訳して原稿料をもらうようになるが、大学のドイツ文学の授業にはだんだんついていけなくなってきている。 

 この時代の大学で卒業のために必要とされていた科目数は、現在の大学院の修士課程で取得すべき単位と同じ程度の量であったようであるが、それでもなかなか単位をそろえることができず、友人たちの助けを借りて必死になって増やしていく。フランス語(⁉)の試験を代理受験してもらうことになったのはいいが、手違いで自分の名前で出される答案が2通ということになってしまったという場面にはユーモアを感じる。ドイツ文学科の役人風、イギリス文学科の師範学校風の空気に対して、フランス文学科は「芸術的なうえにジャーナリスチックで、その上家族的でさえもあるのらしかった」(89ページ)という文学科の主な専攻の間の空気の違いの指摘も興味深く思われた。

 卒業を間近にした学生たちによる新人会の会合で、それぞれが卒業後の進路について語る。労働組合や政党の事務局で働くというもの、セツルメントへ行くもの、医学部の連中は病院や研究所で働くと言い、文学をやるというものは安吉とあと1人だけだった。安吉自身も含めて、まだ方向性は混とんとしている。まだまだ社会民主主義系の政党や労働組合に勤めようとしているものが多いし、安吉がリーンハルトとともに訪れた先も総同盟をはじめ、多岐にわたっている。安吉(→中野重治)は彼がその後の時点で対立することになる辰野隆吉(青野季吉)の仕事を手伝い、田口(葉山嘉樹)の作品を高く評価している。混とんとしているが、しかしそれが未来への可能性であるとも感じられる。

 文学史、あるいは社会運動の理論と歴史に踏み込んで、もっといろいろなことを書きたいのだが、この作品を読み直して思うのは、この作品(と中野重治の思想)が多くの欠点をもちながらも、文学と社会の関係についての多くの可能性を示唆しているということである。とりあえず、そのことを書いて、私の批評をまとめておきたい。 
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