平山昇『鉄道が変えた社寺参詣 初詣は鉄道とともに生まれ育った』

5月19日(日)晴れ後曇り

 石黒圭『日本語は「空気」が決める 社会言語学入門』(光文社新書)を読み終える。この本については後回しにして、昨日読み終えた平山昇『鉄道が変えた社寺参詣 初詣は鉄道とともに生まれ育った』について書いてみるつもりである。

 一般に古くからの伝統だと思われていることが、実はそれほど古くから広がっていたことではない、あるいは近代になって再解釈や、再定義によって改造されたり、あるいはまったく新しく生み出されたりしたものであるということは少なくない。その場合、そのような再解釈や再定義がどのような意図によってどのように展開されたかを知ることは、意味のないことではあるまい。

 「社寺参詣のために敷設された鉄道は多い」という従来からの言説に対し、この書物は鉄道各社の集客競争の中で社寺参詣の動員力が注目され、それまでの「恵方詣」に代わって、「初詣」が普及するようになったことを鉄道各社の社史や新聞広告等の資料に基づいて実証する(特に西宮神社をめぐる研究の詳しさは敬服に値する)。恵方詣は年ごとによって異なる恵方(縁起の良い方角)にあたる神社仏閣に参詣することによって歳徳神(その年の幸運をもたらす神様)のご利益をさうかることを願うものであった。このやり方だと年によってお参りする神様が違ってくるので、沿線の神社に参拝する利用客は流動的になる。安定した方法を求めて鉄道各社は初詣のご利益を強調するようになったということである。

 首都圏、京阪神の他、より広い範囲の人々とかかわる伊勢神宮や仙台と塩竃神社のような事例についても目が配られているが、これ以外の地方についてはどうだったかについて目を配ってもよかったという気がする。例えば出雲大社をめぐってはどのような物語があるのか。太宰府天満宮や、宇佐八幡についてはどうなのか、気にしていくときりがない。

 著者は初詣が実はレジャー行動でもあったという側面を明らかにしているが、この点と関連して例えば浅草の観音様の近くには吉原遊郭があるというような信心の別の側面も掘り起こしてよかったかもしれない。そこまでいかなくても、堀之内祖師(杉並区)をめぐっては落語を引き合いに出して語った方がわかりやすいのではないか。落語と言えば、「恵方詣り」と言われていた落語が「山号寺号」で知られるようになった経緯というのもこの書物の趣旨と関連しそうである。楽しく読める本であり、示唆に富むだけでなく、いろいろと考えさせるものを内包する書物でもある。
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