久野収 鶴見俊輔『現代日本の思想 ――その五つの渦――』

7月14日(金)晴れ、暑し

 この本を初めて読んだのは、もう30年くらい昔のことではないかと思う。しかし、それでも本の発行から30年余りたってからのことである。昭和31(1956)年に岩波新書の1冊として刊行されたこの本の「まえがき」に記されている2人の著者の趣意は、私にとってかなり新鮮なものであったし、幸か不幸か未だに、その新鮮さは薄れていない。

 「日本では、これまで現代思想を扱った書物といえば、ほとんど外国の思想流派の紹介、それもそのときどきの流行のトップモードを批判的に紹介する仕事にかぎられていた。日本の現代思想が論じられても、せいぜいつけたりに過ぎなかった。
 本書は、これとは逆に、日本の代表的思想流派を正面から扱った思想入門である。現実に働きかけ、現実を動かした日本の代表的思想流派の仕事をちゃんと評価しなければ、日本の思想の足どりをしっかりさせることはできない。これまでの日本の思想は、フラフラしたちどり足をまぬかれていない。私たちは、そう信じたので、最初の試みといて本書を書いた。」(ⅰページ)

 今日では、外見的には様相はかなり違っている。本屋の「哲学」だの「思想」だののコーナーに出かけると、この時代にくらべると、「外国の思想流派の紹介」にかかわる本はかなり少なくなっている。その分、日本や東洋の思想に関する本が増えているように思われる。しかし「フラフラした千鳥足」は依然として続いていると(ひどくなっているかもしれない)とおもわれる。さらに、「現実に働きかけ、現実を動かした」というところにどこまで視線が向けられているかも問題にすべきであろう。著者たちは次のように続けている。

 「現実の問題状況へのはたらきかけというすがたで、思想をつかむとすれば、思想をせまい意味の哲学だけにかぎるわけにはゆかない。本書で扱われた諸流派が、せまい意味の専門的哲学者の仕事からではなく、文学、政治、教育、叛乱、世相など、生活のさまざまな分野からえらばれたのは、思想が最も具体的な活動をとおしてのみ、現実を動かす力になると信じるからである。」(ⅰ-ⅱページ)

 興味深いのは、「19世紀ドイツの精神史」として「ヘーゲルによる完成とニーチェによる新たなはじまりとのあいだの決定的な転換点を示」そうとしてまとめられたレーヴィットの『ヘーゲルからニーチェへ――十九世紀思想における革命的断絶――』(岩波文庫)が、専門的哲学者の仕事を中心に取り組まれながらも、ゲーテ、フローベールのような文学者、トクヴィルのような政治思想家、ブルクハルトのような歴史家の仕事にも言及していること、そしてこの書物が、1930年代の日本(仙台)で書かれていることである。近現代の思想に取り組む際に、総合的な視点が必要であることを戦前の日本における社会と思想の展開は示しているのではないかと思うのである。

 『現代日本の思想』は
Ⅰ 日本の観念論――白樺派――
Ⅱ 日本の唯物論――日本共産党の思想――
Ⅲ 日本のプラグマティズム――生活綴り方運動――
Ⅳ 日本の超国家主義――昭和維新の思想――
Ⅴ 日本の実存主義――戦後の世相――
の5章からなる。昭和(多少、大正に食い込むが)期に社会的な影響力を持った運動を、ある思想の枠組みのもとで整理しているが、これらの整理のすべてが妥当なものかをめぐってはかなり議論の余地があるのではないかと思う。それにこの5つを選んだ根拠というのも今ひとつはっきりしないところがある(他は哲学的な区分であるが、「超国家主義」は政治的な思想区分ではないか)。

 個人的には、ⅠとⅢに興味があるので、次回以降、このあたりに注目しながら、論じていくつもりである。特に、私の友人・知人のうち2人も、父君が白樺派に共鳴する学校教師だったというのがいるので、そのことが久野・鶴見の見通しの鋭さを示しているのではないかと思っているところなのである。(単に影響力があったというだけではなく、その影響が身近に及んでいるということである。) それに私自身も日本民芸館や河合寛次郎記念館に出かけたり、「新しき村」についての資料を集めていたりしたのだから、まあ影響を受けているということなのであろう。 
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