ダンテ・アリギエリ『神曲 天国篇』(23-2)

7月13日(木)晴れたり曇ったり、風がかなりが強いが、それでも暑い

 ベアトリーチェに導かれて、天上の世界へと旅立ったダンテは、月天、水星天、金星天、太陽天、火星天、木星天、土星天を経て恒星天に達する。そこで彼は、キリストの凱旋の行進と神の恩寵のアレゴリーであるベアトリーチェの微笑を見ることができた。地上の人間が本来見ることのできないものを見るまでに成長を遂げたのである。ベアトリーチェはダンテにイエスの母であるマリア(薔薇)と十二使徒(百合)とを見るように告げる。

  ダンテは、彼女の勧めに従い、「乏しい視力で/戦いに再び身を投じた」(351ページ)。
これまでに、影に護られる我が目が、
切れ切れの雲間をぬう清らかな
太陽の光線に照らされた、花咲く野原を見てきたように、

光輝の源泉は見えないままに、
私は、燃え上がる光線に烈々と上から光を注がれる
群れ集う無数の輝きを見た。
(351-352ページ) ダンテの目は、魂たちの「無数の輝き」の中で「最も大きな火」(352ページ)である聖母マリアに向けられた。するとマリアの光の周囲に天使ガブリエルの光が輪になって降下し、周囲を回転しながら調和の音楽を奏でた。
そして我が光る両目が私に、地上で他に勝ったように
天上でも他に勝る、あの生命ある星の
輝きと大きさを映し出すやいなや、

その天空のなかへ一つの燃える松明が降下し、
王冠のように輪の形をなして
その星を取り巻くと周囲を回転した。

ここ下界でひときわ心地よく響き、
ひときわ魂を惹きつけるどの調べでさえ、
最も明るい空を飾る

美しい青玉の冠となっていた
あのリラが奏でる響きと比べれば、
雲が引き裂かれて雷鳴が轟いたかのように感じられる。
(352-353ページ) 「松明」は天使ガブリエルと考えられている。「青玉」は聖母マリアの譬えだそうである。6月23日に放送された「まいにちイタリア語」応用編「描かれた24人の美女」の第22回:ティエーポロ<マリアの教育>でも話題になっていたが、マリアはほとんどの絵画の中で青い衣を着ているという。天使ガブリエルが奏でるリラの響きにくらべると、地上のどんな音楽も雷鳴にしか聞こえてこないというのである。

 聖母マリアはイエスに続いて、本来の住処である至高天へと戻っていく。見送りながら魂たちは聖歌「レジーナ・チエーリ(空の王妃)」を歌う。この歌は、キリストが復活し、死に勝利したことをマリアに対して祝うものだが、その復活とは、キリストの贖罪により原罪が赦され、聖母の守る人類が死に勝利したことをも意味していた。実際にダンテも、マリアの恩寵によりこの死後の世界の旅に出たのであった。『地獄篇』第2歌でウェルギリウスは彼のもとを訪問したベアトリーチェが「空にあらせられる高貴な婦人」(『地』、48ページ)の意を受けて、ダンテに死後の世界を案内するように依頼したと述べたとおりである。

おお、何と豊かな貯えがあることか、
下界で善き種蒔く人であった、
それらのこの上なく豊かな収穫箱には。
(356ページ) 「収穫箱」は下界では信仰の「種蒔く人」であった十二使徒のことである。「種蒔く人」というと、ミレーとゴッホの絵を思い出す(そういえば、京都にミレー書房という本屋があって、そこで本を買うとミレーの絵をデザインしたカバーをつけてくれた)が、彼らの絵のキリスト教的な含意が日本では別の、もっと世俗的な意味にとられたようである。

 ダンテは地上を、堕落を象徴するバビロンと呼び、地上での生を天国からの追放と表現している。
ここで人々が糧にして生き、味わうのは、
バビロンへ追放されていた間に、涙を流して手に入れた
あの宝。黄金などは向こうに放ってきたのだ。
(同上) 天上の勝利した教会とは祝福された人類の共同体であり、地上「バビロン」で精神の「宝」を手に入れ、まがい物の幸福「黄金」は地上に捨ててきた人々からなる。そして、その「宝」を手に入れる指導を地上で行う地上の教会の長(歴代教皇は彼の代理でしかない)ペテロが最後に登場する。
これほどの栄光への二つの鍵を持つ方が。
(357ページ) 

 ダンテの描く世界の中で、恒星天までは物質的な世界であるが、さらにそこから非物質的な世界である原動天、至高天に進むために、彼は試問を受けることになる。その次第についてはまた次回。

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