中川正之『漢語からみえる世界と世間 日本語と中国語はどこでずれるか』

5月18日(土)晴れ

 平山昇『鉄道が変えた社寺参詣 初詣は鉄道とともに生まれ育った』(交通新聞社新書)と中川正之『漢語からみえる世界と世間 日本語と中国語はどこでずれるか』を読み終える。今月はまだ1冊しか本を読んでいなかったので、今日1日のうちに2冊を加えても、月の半ばを過ぎたのにまだ読み終えた本は3冊である。今日は、『漢語からみえる世界と世間』を取り上げて論じてみようと思う。

 題名からわかるように、この書物は中国語と比べながら日本語の特色を論じようとする書物である。それも、中国語を勉強したことのない読者にも分かりやすく読めるように、「千年以上も昔に日本語に大量に流入してきた中国語である漢語と、根っからの日本語である和語との比較、あるいは現代中国語と日本で通用している漢語との比較」(まえがき)を展開している。そしてそこから「世界と世間」のような外の世界の見方についてのより深い考察も行っている。
 
 日本語は中国語がそれほど厳密には分けていない何事かを区別して表現しようとしていることに著者は着目する。一方は感覚的・個人的な領域に関する表現であり、他方は論理的・集団的な領域に関する表現である。例えば、冷酒を「ひやざけ」と訓で読む場合は前者、「レイシュ」と音で読む場合は後者、同じ音読みでも罰を「ばち」と呉音で読む場合は前者、「バツ」と漢音で読む場合は後者であり、大きな傾向として訓読みよりも音読み、和語よりも漢語、呉音よりも漢音の方が分類的・抽象的な意味を示しているという。

 以下、日本語と中国語の具体的な会話場面に即してさまざまな考察が展開される。中国語の学習者にとっては役立つ例が多いし、たぶん、日本語を学ぼうとする中国語の話し手にとっても役に立つのではなかろうか。例えば、中国語で「妖精」というと①化け物、②妖婦の意味だという。これは日本語における意味合いと食い違う。日本語では下位概念を示すことばが上位概念を表す語と共通する例(「くるま」は「車」一般という意味でも「自動車」という意味でも使われる)が多いが、中国語では両者が区別されている。また漢語と現代中国語とを比べてみると、漢語が中国語の変化に影響されず、古い意味を保っている場合が少なくない。その一方で漢語の大半が、中国でのごく普通の日常的用法を欠落させてしまっていることも指摘される。日本語は「なる」言語的な性格が強く、中国語は日本語のような「なる」言語と、英語のような「する」言語の中間的な性格が強いとも指摘される。

 その他の比較を含めて、著者は最後に「世界と世間」の問題を取り上げる。日本人の多くは世間を気にしていて、世界はどこかよその事柄だと思っているという。確かに、世界史というと日本史は含まれない。もちろん、日本語と中国語、日本語を使用する人々の世界の見方と、中国語を使用する人々の世界の見方をこうだと断定してしまうことは性急な試みであるかもしれず、この書物の議論の多くがさらに多くの事例を突き合わせることによって修正される必要はあるだろう。加えて私の読み方が乱暴で、書物のかなりの部分を省略して紹介しているので、不正確になっているかもしれない。それでも、面白い本であることに変わりはないし、実際に役立つ内容を多く含んでいることを強調しておこう。一例をあげると、李白の「静夜思」の第1行「牀前看月光」で李白はどこでどうしているのだろうか。157~159ページをご覧ください。
 
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関連本

中川正之『漢語からみえる世界と世間 日本語と中国語はどこでずれるか』に関連して薬師院仁志『日本語の宿命 なぜ日本人は社会科学を理解できないか』がお勧めです。光文社新書の一冊。

Re: 関連本

> 中川正之『漢語からみえる世界と世間 日本語と中国語はどこでずれるか』に関連して薬師院仁志『日本語の宿命 なぜ日本人は社会科学を理解できないか』がお勧めです。光文社新書の一冊。

ご教示有難うございます。探してみようと思います。
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