ダンテ・アリギエリ『神曲 天国篇』(23-1)

7月6日(木)晴れてはいるが、雲が多い。暑い。

 ベアトリーチェに導かれて天上の世界へと飛び立ったダンテは、月天、水星天、金星天、太陽天、火星天、木星天、土星天を歴訪し、それぞれで彼を出迎えた歴史上の有名人や彼の知人の魂と会話し、心に抱いていた疑問への回答を得ていく。そして彼らは恒星天に達して、ダンテはベアトリーチェが勧めるままにこれまでたどってきた宇宙を振り返り、その構造を理解する。宇宙は広大であり、その中で地球が狭小な世界であることを改めて実感する。

 ダンテは第23歌を、闇夜に母鳥が木の中の巣にいる雛のそばで夜明けを待っているという情景から始める。それはベアトリーチェが何かを待っている姿をたとえたものである。彼女が待っていたのは「キリストの凱旋」であった。
…「ご覧なさい、
キリストの凱旋の行進を、そして諸天空の回転により
生じた収穫のすべての果実を」。
(346ページ)

 そして天上の太陽、神の恵みの光の光源が魂たちの光の上に現れ、ダンテはその光に圧倒される。ベアトリーチェはその激しい光がイエス・キリストであることを告げた。
・・・「あなたを打ち負かしたあれは、
それから身を護れるものなど何一つない御力です。

あの中に、空と地の間を結ぶ道を開いた
知と力がおわします。
かつてあれほど長きにわたって望まれていた方が」。
(347ページ) 

 ダンテはその光を見た時に、神の光を受けて神の恵み、つまり神的な知を享受し(ダンテはそれを「饗宴」と呼んでいる)、そのために、元来が神与のものである知性がダンテから抜け出し、「脱我」して、ダンテの知性はその神的知性と接触した。このことが、本来は上に向かう性質を備えている炎気が、性質に反して地上に落ちる現象である落雷に例えられている。
炎気がふくれ上がったために
雲の中に留まれずに噴出し、
生来の性質に反して地上に落雷するのと同様に、

わが知性もその饗宴の中で
常よりふくれ上がり、脱我したのだ。
そして知性は己がどうなったのかを今も思い出せないでいる。
(348ページ) 

 ダンテは「脱我」を覚えていない。が、この神的知性との接触で成長し、ついにベアトリーチェの微笑み、換言すれば神の恩寵を直接見た。翻訳者である原さんは解説で次のように書いている:「しかしここで神の片鱗のようなその微笑を書き切ってしまえば、神との出会いを目指している『神曲』の詩人としての旅が終わってしまうためであろうか、詩人ダンテは…言語の非全能性を理由にその微笑を描かなかった」(614ページ)。
彼女の聖なる微笑と、
その微笑が聖なる顔をどれほど輝かせていたか
歌ったとしても、真実の千分の一にも達しないであろう。
(349ページ)

 ダンテは神の子イエス・キリストと、神の恩寵のアレゴリーであるベアトリーチェの微笑を見た。この後ダンテは、直接目にした神的な出来事を、地上の事物を例えに使って読者に説明するようになる。ダンテが経験した事柄は、地上の人間の経験と想像力を越えた出来事であり、それをそのまま伝えることはできない。地上の人間の理解力に届くように、彼の見聞を表現するのは親征ではあるが、きわめて困難な仕事となる。
・・・この聖なる叙事詩は
天国を言葉で描き出しながらも飛躍せざるを得ない。
あたかもおのれの道が断ち切られているのに直面した者のように。

しかし、この困難な主題と
それを担う生身の肩について思い及ぶ人ならば、
その重みの下で肩が震えたとしても非難しないだろう。

勇敢な船首が水を掻き分けながら進んでいる水路は、
小舟にも、自分の力を出し惜しむ船頭にも
渡れるものではない。
(350ページ) ダンテは全力でこの仕事をやり遂げようと決心する。その彼に、ベアトリーチェは「薔薇」(=聖母マリア)と「百合」(=十二使徒」に目を向けるように勧める。恒星天で彼はさらに多くの物を見るのである。
 
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