貸間あり

 多くの文芸作品の映画化を手掛けた川島が、もっとも傾倒していた作家である井伏鱒二の原作に基づき、藤本義一と共同で脚本も書いている。大阪の高台にある武家屋敷風の共同住宅が主な舞台であるが、冒頭に有名な古書店である天牛が出てくる。東京や京都の古書店は大学との結びつきが強いが、大阪はそうでもない。この映画の主要登場人物である与田五郎(フランキー堺)は書物の代作から関東炊きの製法指南までよろず引き受けを生業としていて、この古書店に宣伝のビラを貼っている。市井に隠れた町人学者を心がけているのか、それとも単なる擬態なのかは最後まで分からない。その札を見て模擬試験の代理受験を頼もうという予備校生(小沢昭一)が現れ、五郎と同じ住宅に住む怪しげな男(藤木悠)とともに彼を訪ねる。その一方で、陶芸を手掛ける三十娘(淡島千景)が五郎に作品解説のパンフレット作製依頼に訪れ、そのまま住宅に1間残っていた部屋を借りることになる。
 映画は共同住宅の住人たちの人間模様と相互の関係を描くが、それぞれが一癖も二癖もあり、他人の言い分を素直に聞き分けるわけでもなく、物語は奇妙奇天烈な方向に展開する。ほんわかしたユーモアと残酷な悲劇が隣り合わせになっているのが井伏文学の特徴であるが、ここではそのほんわかした部分がむき出しの欲望に取って代わられているように思われる。井伏がこの作品を「下品だ」と評したと伝えられるのはこのためであろう。原作を読んでいないので偉そうなことは言えないが、重要人物の1人であるお千代さん(乙羽信子)の描きかたなど、原作と映画を比較してみたいものである。お千代さんの送別会で関東炊き屋(桂小金治)が読む送別の辞の結び、「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」(井伏の『厄除け詩集』からの引用)は、川島の人生観を要約する言葉として、映画の文脈とは独立に有名になってしまった感じがある。サヨナラは離別の言葉であるが、その一方で再会への期待も込められている。実際、姿を消して遺書を送って来たお千代さんに似た女性(乙羽信子一人二役)が最後に姿を現して、関東炊き屋がせっかく書いた「貸間あり」の札を無駄にしてしまう。
 川島が井伏を誤読して、片思い的にこの作品を作っているとしても、作品としての価値が損なわれるわけではないが、川島の井伏に対する片思いが、淡島千景のフランキー堺への恋心とそこからフランキーが逃げようとする片思いに投影しているとするのは考えすぎであろうか。予備校生に騙された五郎が旧州の大学を受験に出かけて、随分年をとった受験生だと新聞記者の取材を受ける場面を見ていて、フランキーと小沢昭一は旧制中学の同期生なのに、フランキーだけが問題にされるのはおかしいと思ったりした。
 藤本義一さん、淡島千景さん、そして小沢昭一さんまで亡くなられたという記憶の中でお三方を追悼するつもりで見たのだが、どうもプリントの状態が悪いのが気になった。
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