ダンテ・アリギエリ『神曲 天国篇』(22-1)

6月22日(木)曇り

 ベアトリーチェに導かれて、天上の世界へと飛び立ったダンテは月天、水星天、金星天、太陽天、火星天、木星天を経て、土星天に達した。そこではこれまでと違ってベアトリーチェは新しい世界に入ったことを知らせるように微笑んだりせず、魂たちの歌も聞こえなかった。ベアトリーチェが微笑まないのは、その美しさにダンテの視力が耐えられないからだと彼女は説明する。また土星天からはその頂が見えないほど高い階段が伸びており、無数の魂たちがその階段を伝って土星へと降りてくるのが見えた。その中の1人であるペトルス・ダミアーヌスの魂がダンテと会話し、魂たちの歌が聞こえないのは、ダンテの肉体の耳の聴力がその歌声に耐えられないからだという。しかし、ダミアーヌスと話すうち彼の耳に魂たちの声が聞こえるようになるが、ダンテにはその声の語る言葉の意味が分からない。

驚きに圧倒され、私は導き手を
振リ返った。まるで深く信頼を寄せる人のもとに
いつでも助けを求めてしまう幼児のように。

するとその方は、日ごろから落ち着かせるいつもの声で
真っ青になって怯える息子を
すぐに元気づける母親のように、
(328ページ) ダンテに向かって、彼が天空の世界にいることを思い出させ、彼の有限な力では理解できないことがあっても不思議はないと言いながら、教皇を取り巻く腐敗に対して神の怒りの鉄槌が下されることをほのめかす。
ここ天上の剣は性急に振り下ろされることも
遅れることもありません。それを恐れ、あるいは望んで
待っている者達がそう感じるだけなのです。
(329ページ) そして、別の魂たちと向き合うように勧める。彼の目には多くの輝く魂が見えたが、自分が出すぎた態度をとらないようにと、心のなかに湧き上がってくる質問を抑えて沈黙していた。

するとそれらの真珠のうちで
最大にして、最も光を放つものが前へと進んできた、
自らのことを伝えて私の願望を満たすために。
(330ページ) それはナポリ北方のカイロ山にモンテ・カッシーノ修道院を開いた聖ベネディクトゥス(?-543)の魂であった。ここでダンテは聖ベネディクトゥスに代表される教会刷新運動への共感を示しているようである。

 ダンテが聖ベネディクトゥスに、光の中にある本来の姿を見せてくれるように頼むと、聖人は、ダンテは至高天でその姿を見るであろうと答えた。
・・・「兄弟よ。おまえの高き望みは
究極の天輪の中でかなえられるであろう。
そこでは他の者達の望みも、我の望みもかなえられている。

あらゆる希望はその場所で
完全、完成、無欠となる。その中でだけは
あらゆる部分はそれが常にあった場所にある。
(334ページ)

なぜならそれは空間の中に存在せず、回転軸も持たぬからだ。
そして我らの階段ははるかそれに至るまで渡っていく。
それゆえにおまえの視線からは超越して飛翔しているのだ。

太祖ヤコブの前に天使たちを擁する階段が出現した時、
彼には、階段がそこに達するまで
最上部を伸ばすのが見えたのだ。
(334ページ) そして、土星天から至高天まで、観想を象徴する天の階段が述べていると述べた。それは『旧約聖書』「創世記」でヤコブが夢に見たはしごと同じものであるという。

 そして修道士たちが堕落し、神を思う観想生活をもはや送っていないことを非難した。
かつて修道院として使われていた壁は
もはや魔窟と成り果てた。
腐った小麦の詰まった袋なのだ。

だが、重い利息が神のお望みに逆らって
搾取されてはいるが、修道士たちの心をこれほど狂わせる
あの実入りによる搾取ほどではない。
(335ページ) 本来、教義上、教会は財産を所有することができず、ただ貧者の救済に役立てるためという名目で保持が許される教会財産や徴収が許される十分の一税等の課税を、実際には聖職者やその愛人や近親の者が私的に使っていることが非難されたのである。修道会の創設者に彼の後継者であるはずの修道士たちの堕落を批判させるというのはかなり効果的な手法である。
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