本村凌二 マイク・モラスキー『「穴場」の喪失』

6月19日(月)晴れ、気温上昇

 6月18日、本村凌ニ マイク・モラスキー『「穴場」の喪失』(祥伝社新書)を読む。古代ローマ史の研究家で馬事文化にも詳しい本村さんと、アメリカ人の日本文化研究家であり、『吞めば、都』という著書で知られるように居酒屋に詳しく、またジャズピアニストでもあるというマイク・モラスキーさんの対話。インターネットにより大量の情報が出回る中で、「居心地のいい場所」としての「穴場」(この対話では、酒を飲む場所というふうに限定しても構わないようである)が急速に減少しているという危機感を軸に、日本とアメリカについての比較文化論的な議論が交わされる。東京郊外のある穴場スポット=居酒屋で知り合ったというお二人が、それぞれの専門的な知識と多方面にわたる趣味とを背景に、縦横無尽に文明批評を展開している。

 まずどこを自分の「穴場」とするかは個人個人によって違うものであり、だからこそ、自分で店に入ってみて、ときには失敗をしながら、見つけていくものだということ。最近は、個人経営の店が減ってチェーン店が増えているので、個性をもった――自分の個性に合ったー―店を見つけるのがむずかしくなっているという話が第1章「ネット時代の飲食文化」では展開される。私見によれば、共通メニューのチェーン店でも、それなりの個性が生まれている場合もあり、特になじみの客になってくると、対応も変化する例もあるから、その点ではお二人よりも私のほうが楽観的に物事を見ているのではないかと思う。

 第2章「映画ヒーローの日米比較」は本村さんとモラスキーさんの選んだ映画ヒーローのリストが出ていたり、『ゴジラ』の上映内容が日本とアメリカで違っているという話が出てきたり、自分の意見と違うところを突っ込んでいくときりがなくなりそうである。映画の話は、この章に限らず展開されていて、お二人の映画好きぶりも相当なものと推測される。第3章「ギャンブルと文化」は競馬の話が主になるが、アメリカでは1988年に「インディアン賭博規制法」が成立して、ネイティヴ・アメリカンの居留地にカジノの設置が許可されたという話が注目される。「静かだった森に突然、異空間が出現し、住民の日常とは全くかけ離れた時間が流れる、まさに、異様な光景でした。」(90ページ) 日本の最近の立法などを視野に入れるともっと早く知っておけばよかったという気がする。

 第4章「地域性の彩り」では、地域によって多様な特色をもっていたアメリカの大衆音楽がラジオの出現によって地域性が薄められたという話から始まり、言語の地域的な差異、さらに階級的な差異に話が展開する。経験に基づく知見の展開が内容に制裁を与えている半面で、専門的な視角の不足も目に付く箇所である。さらに話が笑いにおよんで、本村さんが小津安二郎の映画の子どものユーモラスな描き方に触れているのが印象に残る。小津の子どもの描き方は私も好きである。第5章「街に生きる」は、都市計画と市民生活の問題、その中で東京がいくつかの小区画から構成されていて、それぞれの区画内を歩き回ることができるという指摘が興味深い。街づくりには経済的な効率を図るという側面と、それ以上に一貫した街づくりの理念を求めるという側面とがある。異種混合の世界に飛び込んで、そこを自分にとっての「穴場」にしていく勇気が求められるという。

 さまざまな話題が自由奔放に取り上げられているが、実は触れられていない問題、避けられている問題はそれ以上に多いのである。そうした話題の選択にも「穴場」の持つ二面性、《勇気》をもって探し当てる必要があるということと、その中に《逃避》して閉じこもってしまっていいのだということが現れているようでもある。比較文化論には様々な可能性が秘められていて、この対談はその可能性の1つを示しただけではあるが、ここで取り上げられた問題のどれか1つを詳しく検討してみるだけでも質量ともにかなりの仕事ができるのではないかと思われる。 
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