カルヴィーノ『まっぷたつの子爵』(3)

6月16日(金)晴れ

 イタリアのどこかにあるテッラアルバという村の領主であるメダルド子爵は、トルコ軍との戦いの際に、大砲の前に剣を抜いて立ちはだかり、砲弾を受けて左右まっぷたつに吹き飛ばされた。奇跡的に助かった子爵の右半身は故郷に帰って、領民たちを虐げ、悪行の限りを尽くす。子爵は村の羊飼いの娘であるパメーラを見初めて妻に迎えようとするが、パメーラは彼を避けて森で暮らすようになる。
 物語の語り手である<ぼく>は子爵の姉が密猟者と駆け落ちしてできた子どもで、両親を失い、城で育てられたが、主人の側にも使用人の側にも属していない自由な立場にあり、イギリス人の船医で、村に住み着いたトレロニー博士の研究の助手をして日々を過ごしていた。トレロニー博士は医者の仕事はせずに、奇妙な研究にばかり没頭していたのである。
 テッラアルバに子爵の左半身が戻ってくる。右半身と違ってひどく親切な様子である。そして、この左半身もパメーラに恋をしてしまったらしい。

 「はじめの半分は悪かったが、それと同じぐらい善い残り半分の子爵が帰ってきた、という知らせが広まると、テッラルバの生活は大きく変わった。」(113ページ) トレロニー博士はこれまでと違って、医者の仕事をはじめ、朝早くから往診に出かけるようになった。善い方の子爵はその往診の作業を助けたが、悪い方の子爵は邪魔をして回った。
 「こうしてぼくたちの村の生活は慈悲と恐怖のあいだを往きつ戻りつした。《善半》は(もう一方の《悪半》に対してぼくの叔父の左半身はこう呼ばれるようになった)今や聖人の列に加えられんばかりであった。」(116ページ)
 その間、パメーラは相変わらず森の中で生活していた。≪善半≫彼女のところにやってきて、乞食や孤児や身寄りのない病人たちのところから集めてきた衣類を彼女に選択させたり繕わせたりした。彼女にも善い行いをさせようとしたのである。そして彼女が洗濯ものを乾かすためにすっかり綱に張り渡すと、《善半》は彼女にタッソの叙事詩を読んで聞かせた。
 「パメーラには読書は何のたしにもならなかったから、草の上に横になって退屈しのぎに、虱をとったり(森のなかで生活しているとどうしても獣みたいになりがちだから)、お尻のかゆいところをかいたり、バラ色のはちきれそうな脚の線を眺めたりしていた。」(117ページ) パメーラが《悪半》を恐れながらも、《善半》に飽き足りない様子であるところに、作者のものの考え方を読み取るべきであろう。

 《善半》の人気が高まってきたのを知って、《悪半》は早急に相手を殺そうと考えた。そこで警官たちを招集して、《善半》を逮捕して死刑にせよと命じる。しかし、警官たちはクーデタを企てた。いまの半分の子爵をとらえ、監禁して、《善半》を新しい領主にしようとしたのである。しかし計画を知らされた《善半》が暴力に反対したために計画は失敗し、警官たちは処刑されてしまう。「《善半》は彼らの墓に花を運び、寡婦や遺された子供たちをむなしく慰めた。」(133ページ) 《善半》の思想や行為にも問題があることがはっきりし始める。
 メダルド子爵の乳母であったセバスティアーナは《善半》の善意に全く答えようとせず、彼に会うたびに彼をしかりつけた。「おそらく一種の母性本能から、またおそらくは人間の力にはかり知れぬ無意識の予感から、乳母はメダルドがまっぷたつに分かれてしまったことをあまり重視していなかったのだろう。」(134ページ) そして《悪半》のした悪事を、《善半》に対してしかりつけたのであった。
 次第に《善半》の善意の行動の限界や問題点が明らかになってくる。テッラルバの一角に癩患者達だけが住んでいる《きのこ平》という一角があり、そこでは「酒盛りが永遠に続いている」(49ページ)と噂されていた。しかし《善半》は彼らの体を治療するばかりでなく、その心まで治そうとしはじめた。「それゆえ、彼は常に来患者の中に分け入って道徳を説き、彼らの個人的な事情に鼻先を突っ込み、彼らの背徳行為に腹を立てて、お説教を繰り返すのだった。癩患者たちは《善半》に耐えられなくなった。《きのこ平》の楽しく放縦な時は終わった。片足の、ひょろ長い、神経質で、礼儀に厳しい、賢者気どりの、この半分の影のおかげで、誰も自分の好きなことができなくなってしまった。」(137ページ) 挙句の果てに、「ふたつの半分のうち、悪いほうより好い方がはるかに始末が悪い」(137ページ)とさえ囁かれるようになった。
 《善半》に対する賞賛が衰えていったのは、《きのこ平》の癩患者たちのあいだだけではなかった。次第に「非人間的な悪徳と、同じぐらいに非人間的な美徳との間で、自分たちが引き裂かれてしまったことを、ぼくたちは思い知っていった。」(138ページ)

 相反する心の持ち主であるメダルドのふたつの半身はともにパメーラを愛していたが、《悪半》は彼女を《善半》と結婚させ、その後で彼を殺して彼女を自分のものにするという計画を立てる。そしてかねてから手なずけていた彼女の母親を通じてこの提案を伝えるが、彼の意図を見抜いたパメーラは、《悪半》と結婚すると申し出る。それからしばらくして、彼女は《善半》とも結婚する約束をする。

 結婚式の当日、教会に《善半》はやってきたが、馬が足を痛めてしまった《悪半》は式に遅れてしまった。式が進んで、指輪の交換が終わった時に、《悪半》が到着し、《善半》に向かって剣を抜いてとびかかろうとした。しかし両者ともに、片足だったので、一本足で平衡をとりながら、戦うことは不可能だった。そこで、翌日の夜明けに改めて決闘を行うことにした。馬具商兼車大工のピエトロキョード親方が二人の決闘のための仕掛けを工夫し、二人はそれぞれ草原の上に円を描きながら戦い続けた。「そして左右の件かっくはばね用に跳びはねながら丁丁発止と渡り合った。が、剣尖は相手の体に触れなかった。突きを入れるたびに、刃は過たずに相手のひらめくマントに刺しこまれるが、どういうわけか、それぞれに相手の何もない側を、すなわちおのれ自身があるはずの側を、激しく突きたてるのだった。」(149ページ)
 さて、どのような結末が訪れるのだろうか。

 第二次世界大戦末期にドイツ軍に占領された北イタリアにおけるレジスタンスに参加したカルヴィーノは、その経験に基づいた最初の長編小説『くもの巣の小道』(1946)について、「ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』とスティーヴンソンの『宝島』とを一緒にしたような作品を書きたかった」と述べたというが、そのような作者の文学的な傾向はこの作品にも見て取れる。『誰がために鐘は鳴る』はスペイン市民戦争という現実の出来事を素材に正義の実現のために自分の命を犠牲にして戦う人間の物語であり、『宝島』は空想の中の、血沸き肉躍る冒険の物語だが、その結果として正義が実現するわけではない物語である。おそらく、その両者を人生の縮図として受け入れようとする矛盾に満ちた人生の認識が作者のものである。そこで、1人の人間の善と悪という簡単には一刀両断に区別することのできるはずがない分身が登場する。一方に歴史的な風土への写実的な描写があり、他方に子どもっぽい幻想と空想に満ちた物語の展開がある。2人の子爵の行為に苦しめられるテッラルバの人々は言う:
「大砲の玉が二つに引き裂いてくれたので、まだ助かった」と、人々は言いあった。「もしも三つに分かれていたら、わたしたちはどうなっていたか知れやしない」(138ページ) 空想の先にさらに空想がある。さらにその先に空想があるかもしれない。

 一見平易なおとぎ話に見えるが、その意味は複雑に入り組んでおり、物語の意味するところを簡単に言い切ることはできそうもない。実際に物語と取り組んで、その幻想と現実描写の入り混じった世界を味わってほしい。

 1回で論評を終える終えるつもりだったのが、パソコンの調子が悪くて3回に分けて取り上げることになり、物語の概要を詳しくたどりすぎたかもしれない。余計なことを書きすぎたのであれば、ごめんなさい。明日(6月17日)はサッカーの試合を2試合見に出かけるつもりなので、そのために更新が遅れるかも知れないことをご了承ください。
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