ダンテ・アリギエリ『神曲 天国篇』(21-2)

6月15日(木)晴れ

 ベアトリーチェに導かれて煉獄山の頂上にある地上楽園から天上の世界に旅立ったダンテは、月天、水星天、金星天、太陽天、火星天、木星天を経て、土星天に達した。そこで彼は頂点が見えないほど高い一本の階段を見た。階段を伝って無数の魂たちが土星天に降りてきたが、その中のひとつの魂がダンテの傍に来てひときわ激しく輝いた。ダンテはベアトリーチェの許しを得て、この魂に質問する。彼はなぜ、ダンテのもとにやってきたのか。他の天では聞こえていた魂たちの合唱が土星天では聞こえないのはなぜか。魂は答える。肉体の聴覚をもっているダンテには、神に近いこの圏の魂たちの声は強すぎて耐えられないからである。この魂がダンテのもとにやってきたのは神の定めによるものである。そこでダンテは、さらに、その魂が神に選ばれた理由を質問した。

 その魂はまず、天上の世界にいる自分たちと神との関係からダンテに対する答えを説きはじめた。彼らは神から直接、神的な知と力である光を照射され、そのために彼らには、彼ら自身の力にさらに神の力が加わり、その高まったに認識力を意味する「視力」で神を見ている。
その御力が我が視力に加わり、
我を我以上に高めているため、
その流出の源である至高の本質を見ている。

そこから歓喜が来るがゆえに我は燃え上がっている。
というのも我は、我が視力に対し、それが明瞭なだけ、
己の炎の輝きを等しくしているからだ。
(322ページ) そして神を見ていることにより、神の視界ともいえる神の認識に触れることで彼らの喜びは増し、その喜びを示す彼らを包む輝きも強まる。そのため、彼らの輝きが強ければ、それだけ彼らの認識力も強い。

 しかし、その彼らの中で最も輝く魂(聖母マリアの魂)も、最上位の天使達である燭天使(セラフィム)達の中でももっとも認識力の強い天使も、神が彼を選んだ理由は理解できないと付け加えた。
なぜなら、おまえのたずねていることは、
永遠の掟の深淵に入り込み、
どのような被造物の視線からも隔てられているからだ。

ゆえに、必滅の者達の世界におまえが戻る時には、
そう述べ伝えよ。これほどの目標に向かって
足を進ませようなどとこれ以上思い上がらぬために。

人の知性は、ここでは輝き、地上ではくすむ。
それゆえ考えても見よ、天空に受け入れられたものでさえできぬことを
下界でどうしてできようか」。
(322-323ページ) 人間の知性は、天空では神の光、すなわち真理を受けて叡智となって輝く。そのような天空の魂たちが理解できないことが、地上の人間に理解できるわけがないという。

その言葉が私に限界を明らかにしたため、
私はその質問を離れ、引き下がり、
へりくだってその光にどなたか尋ねた。
(324ページ) すると魂は、
「イタリアの両岸に挟まれて峩々たる山々が立ち上がっている。
それはお前の祖国からそう遠くないところにあり、
雷(いかずち)さえはるか下で轟くほど高く聳え、

カトリアと呼ばれる山塊をなしている。
・・・」(324ページ)と、その履歴を語りはじめる。香取アさんはダンテの故郷であるフィレンツェから約120キロのところにある山で、標高1700メートル、その麓にベネディクト会系のカマルドーリ修道会に属する聖(サンタ)クローチェ・ディ・フォンテ・アヴェッリーノ修道院があり、彼はそこで修道士となったという。そして簡素な食事だけで神を思惟する観想の生活を送った。彼の名はペトルス・ダミアーヌスであり、後年、ラヴェンナの別の修道院に引きこもった時にはペトルス・ペッカトール、つまり罪人ペトルスと名乗ったと答えた。

 ペトルス・ダミアーヌス(1007-1072)はラヴェンナの人で、若いころに法学等を学び、法律家として成功、財をなした後に世を捨て、30歳で聖クローチェ・ディ・フォンテ・アヴェッリーノ修道院の修道士となり、1043年にカマルドーリ修道会総長、1057年枢機卿に就任し、世俗化する教会に批判的な立場から教会改革に参加し、使徒的教会への回帰を訴えた。しかし修道院への復帰を強く願い出て認められた後、ラヴェンナではなく、以前にいた聖クローチェ・ディ・フォンテ・アヴェッリーノ修道院に隠棲した。ダンテが言及している、ラヴェンナの修道院とは、聖マリア・イン・ポルト教会のことであるとされる。この修道院はダミアーヌスとは別のぺトルス・ペッカトールと呼ばれる人物が設立したが、ダンテの時代には両者が混同され、彼がラヴェンナで『天国篇』を執筆していた時に、ペトルス・ダミアーヌスは世俗化する高位聖職者達に憤慨してこの修道院に隠棲したとする説が広がっていたと推測される。
 ラヴェンナはイタリア北東部のエミリア・ロマーニャ州にあり、西ローマ帝国の最後の首都であったこと、ダンテがその晩年を過ごしたことで知られる都市である。したがって、この都市の出身で教会の世俗化に対する批判を展開したペトルス・ダミアーヌスがここで登場するのは意味のあることである。

 天国のペトルス・ダミアーヌスは、自身の希望に反して枢機卿位につかされたと述べた後、その枢機卿位は悪人からさらに邪悪な人物へと引き継がれ続けていると語った。そして原始教会で活躍した使徒たちの清貧の上に教会が建てられたこと、原始教会が霊的な指導力を発揮したことを述べた。それに比べてダンテの時代の高位聖職者たちは、贅沢な生活のために自分では馬に乗れぬほど太り、またその権勢で周囲に人を侍らせてかしずかせ、「獣」、つまり悪魔と化してしまったと続けた。
だが今や、現代の牧者たちには、両側から支える従者、
彼らを乗せて運ぶ従者、彼らを後ろから押し上げる従者が
必要なのだ。それほどまでに重々しいのだ。

あの輩(やから)は大外套で乗馬を覆うため、
一つの皮をかぶった二頭の獣が進んで行くことになる。
これを看過されるとは、なんという忍耐であらせられるのか」。
(326ページ) 「重々しい」には、高位聖職者たちが贅沢で太っていることと、また彼らの尊大な態度の2つの意味が込められている。「二頭の獣」は馬と高位聖職者を表す。「獣」は「黙示録」などでは悪魔を意味している。ペトルす・ダミアーヌスは高位聖職者たちの神への冒涜のような行為に対する罰を神に願っている。

この声とともに、さらに多くの炎が
段から段へと降りてきて自転するのを私は見た。
そして回転するたびにそれらはより美しくなっていった。

それらはこの炎の周囲に来て留まると、
ここ地上では似ているようなものがないほどの
高い音で声を上げた。

私はそれを理解できなかった。その雷鳴はそれほどまでに私を圧倒した。
(326-327ページ) 高位聖職者たちの贅沢な生活を批判するペトルス・ダミアーヌスの声を支持するかのように多くの炎がその周りに集まる。神に近づいた土星天で発せられる声は、ダンテの認識を越えたものである。こうして第21歌は終わる。またペトルス・ダミアーヌスの世俗支配を皇帝権に任せ、教会は使徒的生活の上に精神の指導者であるべきだと主張していたが、これはダンテの政治思想に影響を与えたと言われる。ダンテが地上の人間に神意の理解はできないと執拗にいい続けているのは、当時の教皇や高位聖職者たちが神の名を借りて自らの勢力拡大の意志を正当化してきたからであったと翻訳者の原さんは解説している。
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